米沢唯のオデット/オディール、福岡雄大のジークフリードが素晴らしかった、新国立劇場バレエ団のライト版『白鳥の湖』

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

新国立劇場バレエ団

『白鳥の湖』<新制作 > マリウス・プティパ、レフ・イワノフ、ピーター・ライト:振付、ピーター・ライト、ガリーナ・サムソワ:演出

新国立劇場バレエ団は、古典作品の演出・再振付に定評のあるピーター・ライトの多くの作品の中でも最も重要な位置を占めると思われる『白鳥の湖』の上演を行った。この新制作のピーター・ライト版『白鳥の湖』公演によって、昨年から持ち越しになっていた吉田都舞踊芸術監督のヴィジョンが、具体的に動き出したことは誠に喜ばしい限りである。

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第2幕 米沢唯、福岡雄大 撮影:鹿摩隆司

開幕冒頭で先王の粛々とした葬列を見せ、まず、ジークフリード王子(福岡雄大)が王であり父でもあった存在を喪ったところから物語が始まる。その王子の心を慰めようと、友人のベンノ(木下嘉人)が音頭をとって21歳の誕生日に弓と矢を贈る。ベンノの行動には、若い王子がいるとはいえ先王亡き後の王国の将来をみんなが少し案じている、ということも映されているのかもしれないが、王子を支えもり立てていこうという友情が感じられた。王子に結婚を強く促す王妃(本島美和)は、もっと現実的・政治的な問題を抱えているだろうし、一刻も早く王国の安泰を得たいと願っているだろう。
こうした開幕早々の王子とベンノ、王妃の表現によってピーター・ライトの演出は、観客をそれとは知らぬうちに、巧みにドラマに巻き込んでいく。他の多くのヴァージョンでは第1幕の王子の誕生祝いは屋外に設定され、若い娘と戯れる家庭教師の老いの拙さ、灯りを持った踊りなどがあって、白鳥に変えられた王女が人間戻ることができる時間へと暮れなずんでいく光の変化、音楽と物語を繋ぐ媒介となっている闊達な道化の踊りなどが描かれる。また、新しい王の治世に一末の不安と期待を持っているであろう村人たちの姿もなかった。やはりライトは叙情的な表現よりも、ドラマの展開をフォーカスしようとしている。第1幕のベンノは王子にしっかりと寄り添い、ロットバルト(貝川鐵夫)に対抗する存在として配置されているが、これもドラマティックな効果に寄与している。
舞踊は、催しを華やかなものにするために呼ばれたと思しきクルティザンヌ(池田理沙子、飯野萌子)たちが、王子に気遣いを見せ、パ・ド・トロワが踊られる。王位継承を祝う乾杯の踊りも踊られて、王子の周辺の人々の新時代へ意気が軒昂なところも表していた。振付はそれぞれに無駄なく整然と整えられており、表現すべきことが明快だった。そして王子は贈られた弓矢を持って、ベンノとともに飛来してきた白鳥を追う。

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撮影:鹿摩隆司

第2幕は一転して王国の情勢を離れ、オデット(米沢唯)とジークフリードの愛のドラマが展開する。ここで登場した米沢唯のオデットが圧巻だった。脱力しているが表現は力強い。マイムも実にスムーズで音楽の流れに合っていた。出会いから次第にジークフリートへの愛が深まっていく様が、露骨にならずむしろ奥床しく表現されていた。同じパであっても、動きの緩急を自在に扱って表現を工夫している。踊っていくうちに次第に肌が紅調し汗が浮かび上がり、それがまるで白鳥に変えられたオデットの心から発露した愛の形象のよう。ヴァリエーションには、白鳥の姿から解放されるかもしれない僅かな希望が見えてきた喜びを秘められていて、過不足がなかった。一方、福岡雄大のジークフリードは、生まれて初めて湧き上がってくる愛の感情に戸惑いつつ、ロットバルトの魔力のプレッシャーを受けて驚く。しかし、敢然とオデットへの愛を誓う。福岡の揺るぎない堅固な動きが、米沢の踊りの輝きを引き出していた。

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第3幕 米沢唯、福岡雄大 撮影:鹿摩隆司

第3幕の設定はジークフリード王子の花嫁を選ぶレセプションだが、その最中に誠実な愛とそれを魔術によって籠絡しようする力が闘う。3人の花嫁候補がそれぞれ踊るが、ジークフリードの心は動かない。福岡雄大はオデットになりすましたオディールに魅せられて、誤った愛を誓ってしまうまでを落ち着いて冷静に演じていた。福岡は少し細身になったのではないかと感じられたが、愛の誓いから一気に絶望の奈落に落ちる人物をくっきりと描いてみせ、うまく言えないが、弱点をあらわにした人間を魅力的に表現していた、と思う。米沢のオディールは表情をうまく作っていたが、もっと大胆に大袈裟とも見える表現をしても良いのではないだろうか、と感じた。
この幕の衣裳は素晴らしかった。重々しくイギリスの中世風で、重厚な雰囲気を醸しドラマに重量感を与えていた。ただ、文化の異なる外国の歴史の中で着られてきた服だけに、日本人の体型に完璧にフィットしていたかどうかは一考の余地があるのかもしれない。

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第3幕 撮影:鹿摩隆司

第4幕では、魔術に惑わされて裏切ってしまったジークフリードはオデットに、死を賭して許しを乞う。オデットは彼を許すが、白鳥に変えられた呪縛から永遠に解放されることはない。二人は、舞台空間の高さをうまく使った、このドラマティックなバレエを締めくくるのにふさわしい見事なパ・ド・ドゥを踊った。美しいフォーメーションを見せたコール・ドも深い悲しみ形象し、繊細な悲劇の美を舞台に結実させるのに大いに力になっていた。
ラストシーンはジークフリートの遺体を抱いたベンノが、湖畔の水際から登場、天では二人の魂が結ばれている情景があり、愛し合う魂の崇高さを観客に訴えた。
全体にドラマとしてよく整備されており、高い精神性を啓示して説得力もあった。サムソワが関わったと思われる第2幕・第4幕も繊細に踊られて美しかった。ただ一言だけ言わせてもらえば、これは演劇ではなく音楽とともに踊られるバレエである。センシティヴな輝きや抒情的な美しさを表現することのできる舞台芸術である。演劇的に優れているからといって単純に評価して事足れりとして良いものかどうか、考えてみても良いかもしれない。
(2021年10月23日 新国立劇場 オペラパレス)

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第4幕 米沢唯、福岡雄大 撮影:鹿摩隆司

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