牧阿佐美先生が10月20日、都内のご自宅で逝去された

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

舞踊家・振付家、牧阿佐美バレヱ団主宰の牧阿佐美先生が去る10月20日、都内のご自宅で永眠されました。近親の方々と団員たちにより密葬され、後日、お別れの会が開催される予定だそうです。

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牧 阿佐美

いつも公演会場ではお見かけするのに、最近はお姿がなかったこともありましたが、活躍されている有り様が目に残っており、突然のことでしたから大きな衝撃を受けました。訃報を知った時は、何か、バレエの中心点を失ってしまったような喪失感を感じました。近年、谷桃子先生や薄井憲二先生の訃報にに接した際も大きな喪失感を覚えましたが、その時にはどこかで牧阿佐美先生の存在が私たちを支えていてくださったのかも知れません。しかし私たちは今日、日本のバレエを世界的レベルに向上させるために献身的な努力を重ねてきた偉大な先人たちを次々と喪ってしまいました。

去る10月22日には、新国立劇場バレエ団がピーター・ライト版『白鳥の湖』のゲネプロをプレス公開しました。その際、吉田都舞踊芸術監督が挨拶に立ち「つい先日、貴重なアドヴァイスをいただいたばかりなのに・・・」と声を詰まらせ、得難い先達をなくしたことを惜しまれました。
牧阿佐美先生は、1999年7月から2010年8月まで長期にわたって新国立劇場バレエ団の芸術監督を務められました。この間に、外国人ダンサーをゲストとして踊らせながら、プリンシパルとして踊る日本人ダンサーを育てることに意欲を注がれました。またレパートリーも『くるみ割り人形』『白鳥の湖』『ラ・バヤデール』『ライモンダ』など多くの古典名作を自身で改訂・振付けられて整備しました。2001年から新国立劇場バレエ研修所長も長期に渡って務められ、多くの優れたダンサーをを育てました。今日の新国立劇場バレエ団の隆盛は、牧阿佐美先生の尽力が揺るぎない礎になっている、と思います。
振付家としては上記した古典名作バレエの改訂振付を始め、『椿姫』は、カンパニーのためにヴェルディの音楽によりアザリ・プリセツキーと共同振付を成功させ、新国立劇場バレエ団のためにはベルリオーズの音楽により全幕「牧阿佐美の『椿姫』」を振付けるという、抜きん出た力量を見せました。この『椿姫』は、ボリショイ劇場で上演されて賞賛されました。さらに特筆すべきは、クラシックのシンフォニック・バレエの振付家として多くの作品を残しました。これは日本人振付家として貴重な実績だと思われます。ちなみに私は、2009年に振付けられたサンタクロースが登場する、古典バレエの原典をシンフォニックに表した『くるみ割り人形』のファンタスティックなヴァージョンが好きです。

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牧阿佐美(牧阿佐美バレヱ団稽古場にて)

ダンサーの牧阿佐美先生は1954年に渡米。とりわけアレクサンドラ・ダニロワの熱心な教えを受けて厚遇され、イゴール・シュベッツォフなどの優れた教師たちを紹介されて薫陶も受け帰国。『コッペリア』の日本初演などを踊りました。その後、振付家として才能を発揮し、『ブガク』(黛敏郎・曲)、『トリプティーク』(芥川也寸志・曲)、『シルクロード』(團伊玖磨・曲)など日本人音楽家による作品を創作して留学の成果を示しました。
1956年には日本のバレエの生みの親の一人であるご母堂の橘秋子とともに、牧阿佐美バレヱ団を設立。このご自身の名前を冠したカンパニーは夫君の三谷恭三さんとともに運営されました。アシュトン、ウエストモーランド他の古典作品からローラン・プティなどの世界的なモダン作品、そして橘秋子による日本を題材としたバレエまで、広い視野による優れたレパートリーに基づいた公演を継続して開催しております。
また、教師としての牧阿佐美先生の教育は、ロシア帝室バレエの系譜に連なるダニロワの繊細な教えとシュベッツォフの実際的な身体の使い方を応用したものでした。私は、「牧先生に教えていただきました!」と満足そうな微笑みを浮かべたバレリーナたちの顔を何人も思い浮かべることができます。

ただ、橘秋子の日本を題材とした3部作(『飛鳥物語』『角兵衛獅子』『戦国時代』)の改訂・再演を試みられていましたが、『飛鳥物語』しか実現できなかったことはお心残りだったかも知れません。
牧阿佐美先生は、日本に「影」くらいしか存在しなかった時代から献身的にバレエにつくした橘秋子から受け継いだ、広い視野と熱い魂を持って様々に活動され、大きな実績を遺産として残しました。私たちはこれを継承発展させる、という重い責務を負っていることを自覚し、ご冥福をお祈りしたいと思います。

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