新国立劇場バレエ『ライモンダ』、主役を中心としたダンサーと音楽の一体感が圧巻だった

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

新国立劇場バレエ団

『ライモンダ』マリウス・プティパ:振付、牧阿佐美:改訂振付・演出

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木村優里 撮影:長谷川清徳(すべて)

新国立劇場バレエ団の『ライモンダ』は、2004年に牧阿佐美の改訂振付により初演された。主役は、ライモンダがスヴェトラーナ・ザハーロワ、吉田都ほか、ジャン・ド・ブリエンヌはアンドレイ・ウヴァーロフ、イーサン・スティーフェルほかだった。2009年にもやはりザハーロワとウヴァーロフを招いて上演している。ちなみに、現芸術監督の吉田都は2004年の新国立劇場公演の舞台がライモンダの初役だったそうだ。
今回私は、4公演目の木村優里のライモンダと井澤駿のジャン・ド・ブリエンヌ、そしてアブデラクマンは速水渉悟(中家正博とW)というキャストで観ることができた。(他日は米沢唯、小野絢子、柴山紗保。福岡雄大、奥村康祐、渡邊峻郁)

タイトルロールを踊った木村優里は、2015年に新国立劇場バレエ研修所を修了して入団。その後、順調に主役を踊ってきており、現在はファースト・ソリストだが、観るたびに心身ともにいっそう充実してきているように感じられる。長身で手足が長く、(今回は僅かにふっくらとしたと感じられなくもなかったが)踊るために良く整えられた身体で、観客を舞台に惹き込む力もなかなか強力。長いアームスがとりわけ美しい、実に魅力的なダンサーだ。ジャン・ド・ブリエンヌの井澤駿は安定感のある踊りで、以前は少し暗く感じられてしまうこともあった表情も明るく生き生きと表して、貴族的な雰囲気を作っていた。
第1幕のライモンダとジャン・ド・ブリエンヌのパ・ド・ドゥは、夢の中で繰り広げられる幻想空間を丁寧に踊ってみせ、客席で豊穣な気持ちを味わうことができた。群舞も淡いグリーンを基調としたロマンティック・チュチュがこの作品に良く似合い、観客を柔らかく優しい世界へと導いてくれた。
アレクサンドル・グラズノフの音楽は、美しいメロディーラインをドラマティックに聴かせると言うよりも、油絵のようにいくつかの音の空間を何回も何回も塗り重ねて、登場人物のすべてを包み込み、人間にとって普遍的なものを啓示するかのよう。なかなか格調が高く豊かな雰囲気を醸していた。

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第1幕 夢の場 木村優里、井澤駿

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ライモンダ:木村優里

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ジャン・ド・ブリエンヌ:井澤駿

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アブデラクマン:速水渉悟

第2幕では、速水渉悟のアブデラクマンがターゲットに据えたライモンダばかりではなく、このバレエ舞台のすべてを食ってやるぞ、と言わんばかりの意気込みを見せて颯爽と登場。にわかに音楽もドラマティックになった。サラセン人やスペイン人の踊りが渦のように舞台を吹き荒れて躍動し、第1幕の幸せの幻想が一気に吹き飛び、別れと波乱という二つのシーンのコントラストが鮮やかに印象付けられた。速水のアブデラクマンの旺盛な活力が際立ったから、ジャン・ド・ブリエンヌとの決闘では、かえって意外にあっさりとした死を迎えた、と感じられた。しかし、その死の間際にはライモンダへの深い愛を表しており、決して無駄死ではなく、異なった文化を超えた高い精神性に支えらえた死であった。

第3幕は耳馴れた名曲が流れて、威風堂々とグラン・パ・クラシックが踊られた。クラシック音楽と民族音楽とバレエが自然に融合した揺るぎない構成による舞踊が、新型コロナ禍のために思うままに舞台を楽しむことができないバレエファンの目の前に、瀟洒な中世の城郭にも喩えられるような美しい姿を現した。牧阿佐美による無駄のない演出・振付が成功を収めた素晴らしい舞台であり、主役を中心としたダンサーとオーケストラ演奏の一体感が圧巻で感動的であった。
(2021年6月12日 新国立劇場 オペラパレス)

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木村優里

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五月女遥

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中島瑞生

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第2幕

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第3幕

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第3幕 撮影:長谷川清徳(すべて)

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