見事だった上野水香のカルメン、完成度の高い舞台を見せた東京バレエ団アロンソ版『カルメン』

ワールドレポート/東京

佐々木 三重子 Text by Mieko Sasaki

東京バレエ団

『スプリング・アンド・フォール』ジョン・ノイマイヤー:振付
『カルメン』アルベルト・アロンソ:振付

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© Kiyonori Hasegawa(すべて)

東京バレエ団が、ゴールデンウイークに〈上野の森バレエホリデイ〉のバレエ公演として企画しながら延期になっていた2作品、ジョン・ノイマイヤーの『スプリング・アンド・フォール』とアルベルト・アロンソの『カルメン』を上演した。この〈バレエホリデイ〉では、当初、モーリス・ベジャール・バレエ団との合同によるベジャール振付『第九交響曲』を予定していたが、新型コロナのために中止になり、代わりにこのダブル・ビルが組まれた。だが、それも3度目の緊急事態宣言により劇場が休館になったため、6月まで延期されていたもの。どちらも20世紀の傑作だが、『スプリング・アンド・フォール』はアブストラクト、『カルメン』はドラマティックと、極めて対照的な作品である。特に『カルメン』は9年振りの上演で、今回はカルメンと同朋らとの喧嘩シーンなども含めた"完全な形"での公演とあって、注目された。

最初の演目は『スプリング・アンド・フォール』。ドヴォルザークの「弦楽セレナーデ」にのせて、白いシンプルな衣裳を着けた女性ダンサー7人と男性ダンサー10人により踊られる。タイトルは「春と秋」という季節を表すほか、ダンスの原理ともいえる「跳躍と落下」の意味もある。秋元康臣ら男性3人による瑞々しいパフォーマンスに続き、しなやかな身体を活かして踊る女性たちも加わり、戯れるように跳び床に転げるといったシーンも織り込まれ、様々な組み合わせにより躍動感あふれるダンスが繰り広げられていった。中でも、沖香菜子と秋元によるパ・ド・ドゥは、身体の動きがそのまま繊細な心のやりとりを映し出していて、何ともすがすがしい。大胆な墨絵のような背景が、音楽に合わせて異なる色彩を帯び、グラデーションを変えていくのも美しく、ダンスと一体となって詩情を深めていたこともあり、爽やかな印象を残した。

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アロンソ版『カルメン』(1967年初演)は、メリメの小説やビゼーのオペラで描かれるヒロインよりはるかに強烈な個性を放っていた。アロンソは、カルメンは「生活の中のすべてのものを摂取しようとする」として、その生活は「自由を侵すあらゆる人々との戦場」であり、「常に生と死の境にある」と捉えた。カルメン以外の登場人物を、衛兵のホセ、上官のツニガ、闘牛士のエスカミリオに絞り、これに運命を象徴する牛をからめて、ヒロインの劇的な生き方を、全4場で約1時間に凝縮して提示した。赤と黒の2色による巨大な牛の顔が描かれた冒頭の垂れ幕や、高い塀に囲まれた闘牛場のアリーナを模した舞台、そこで繰り広げられる死闘を見下ろす塀の上の見物席など、この作品に即した無駄のない美術(ボリス・メッセレル)は、アロンソの意図に沿ったものだろう。
音楽は、ロディオン・シチェドリンがビゼーのオペラをバレエ用に弦楽器と打楽器のみで編曲した「カルメン組曲」である。東京バレエ団による初演は1972年だが、芸術監督の斎藤友佳理にとっては、アロンソから直に指導を受け、何度か主演したことのある思い入れの深い作品である。それだけに、きちんとした形で継承しようと、カットのない完全な形で上演に臨んだ。カルメンは上野水香、ホセは柄本弾というベテランで固め、エスカミリオに宮川新大、ツニガに鳥海創、運命を象徴する牛に政本絵美を配した。

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第1場の幕開き、平舞台ではカルメンが腰に手を当て、片膝を軽く曲げ、正面を見据えて立ち、見下ろす群衆の視線をはねつけるように踊り始める。上野はここでカルメンの強靭な精神力を鮮やかに表現した。ツニガと部下たちが登場すると、統制の取れた群舞で舞台を秩序で制した。鳥海は、杓子定規を絵に描いたような上官だった。カルメンは警備に就いたホセに近づき、生真面目な彼の心をくすぐるように柔らかな身のこなしで絡めとっていった。一方、同朋らとの喧嘩では、カルメンはつかみかかる彼女らを蹴散らし、秩序に従う仮面をつけるのを拒否した。上野の殺気立った演技が光り、いかなる強制や支配にも屈しない、自由を求める強固な意志を上書きしてみせた。一転、自分を監獄に連行するホセには艶めかしい仕草で迫り、解放してもらう。柄本は、任務の遂行かカルメンの釈放かで揺れる心や、任務を放棄した悔いなど、錯綜する思いを繊細に伝えていた。

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第2場は、人々が賑やかに踊るフラメンコで始まり、エスカミリオの宮川のソロになる。宮川は身体と精神の逞しさを際立たせて踊り、カルメンの気を引こうとするが、取り入ろうとはしない。我が道を突き進む自分と似たエスカミリオと、上官に従順で自分を押し出せない気弱なホセと、秩序と権力の権化のようなツニガの3人の男の本質を、カルメンが見定めるように巡るシーンは独創的で、興味深い。カルメンを釈放したことを責めるツニガにホセは初めて反抗し、カルメンへの愛を告げると、彼女は勇気を奮い立たせたホセに惹かれるように、彼と愛のアダージオを踊り始める。カルメンはぴったりとホセに寄り添い、彼の身体に脚を絡め、リフトされてしなやかに脚を伸ばす。上野は長く美しく、表情豊かな脚の魅力をフルに発揮し、まさに脚で愛を語っていた。柄本も、これまでの迷いを振り切るように、カルメンをサポートし、受け止め、共に燃焼していった。

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© Kiyonori Hasegawa(すべて)

第3場はトランプ占いの場で、自分はホセに殺される運命とカルメンは予感する。上野は目を見開き恐怖を露わにしたが、己を曲げてまで死から逃れるつもりはなく、自由な生き方を貫く覚悟を示した。運命を象徴する牛を演じたのは黒の総タイツに身を包んだ細身の政本で、その無気味な行動は緊迫感を高めた。第4場は闘牛場。エスカミリオと牛の死闘に、カルメンとホセの闘いがダブって入り乱れる様は何ともスリリングで、息を呑んだ。悲劇を押し進める要となったのは牛役の政本で、切り込むようにエスカミリオに対したかと思うと、カルメンがホセに向かうように煽るなど、そのシャープな動きが冴えた。死を厭わないカルメンがホセに刺されると同時に、牛もエスカミリオに倒される。闘牛の観客は沸き、ホセはツニガに囚われて終わるが、命を賭して自由を選んだカルメンの壮絶な生き様を刻印するような幕切れだった。そう思わせたのは、上野の進境著しい演技のせいで、カルメンは彼女の当たり役になりそうな気がする。
なお、今回の上演に当たっては、主要な役を踊った経験のある元団員らに指導を仰いだそうだが、その成果がうかがえるような完成度の高い舞台だった。それにしても、アロンソ版の構成の巧みさ、カルメンという人物像の掘り下げ方の深さに、改めて感心せずにはいられない。半世紀以上経っているのに、少しも古びていないことにも驚かされた。
(2021年6月18日 東京文化会館)

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