秋山瑛(東京バレエ団)インタビュー「ジゼルの心の流れを伝え、観ている方と一緒に物語に入れるように演じたい」

ワールドレポート/東京

インタビュー=佐々木 三重子

『ジゼル』の初演180年を記念して、東京バレエ団が6年ぶりにこのロマンティック・バレエの名作を上演する。ジゼルとアルブレヒトは、沖香菜子&柄本弾、秋山瑛&秋元康臣のダブルキャスト。初めてジゼル役に臨む秋山瑛(あきら)は、東京バレエ学校やリスボンのコンセルヴァトワールで学び、イタリアのツアー・カンパニーで舞台経験を積んでおり、2013年、ベルリンでのタンツオリンプ(ドイツ国際バレエコンクール)で銅賞の受賞歴もある。東京バレエ団に入団したのは2016年1月だが、翌17年8月には子どものためのバレエ『ねむれる森の美女』のオーロラ姫で主役デビュー。以来、様々な役を通して実力を伸ばしてきた。躍進目覚ましい秋山に、バレエについて、『ジゼル』について聞いた。

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photo/Shoko Matsuhashi

――バレエを始めたきっかけは、どのようなものだったのですか。

秋山 7歳の時、いとこにレニングラード国立バレエ(現ミハイロフスキー劇場バレエ)の『白鳥の湖』に行こうと誘われたのがバレエとの出会いでした。公演を見て、「バレエを習いたい!」と母に頼んだら、最初は本気にされず、「もう少し様子をみて、本当にやりたいのなら考えましょう」といわれました。私がずっと「習いたい、習いたい」と言い続けたので、母が近くのバレエ教室を探してきてくれました。出身は埼玉県の桶川です。
『クララ』というバレエ誌で、たまたま東京バレエ学校がSクラス(プロを目指す小学校5年生〜高校3年生が対象)の生徒を募集しているのを見て、オーディションを受けて入りました。小学校5年生の時で、中学3年生まで、週に1回、東京バレエ学校のレッスンに通いました。中学3年からはレッスン回数を増やし、週6回通うようになりました。プロを目指す生徒のためのクラスとはいえ、まだ中学3年ですから、プロになれるという確約はありません。受験などでバレエを止める友達もいましたが、私は止めようという気持ちにはなりませんでした。

――いつ頃から留学を考えるようになったのですか。

秋山 東京バレエ学校の生徒でも留学していく人が多く、私も何となく、プロになるなら海外も経験したいなと思いました。はじめはドイツの学校に行こうと考えたのですが、東京バレエ学校での経験や高校の授業の単位の置き換えなど、うまく考慮してもらえる学校を探していたら、(こちらの希望を)全部受け入れてくれたのがリスボン国立コンセルヴァトワールだったので、そこに決めました。やはり高校は卒業したかったので。

――何歳で留学したのですか。またコンセルヴァトワールでの生活はどんなでしたか。

秋山 17歳の時です。留学先の先生はロシア人でしたが英語で話していました。友だちとの会話も英語だったので、ポルトガル語が話せなくても大丈夫でした。日本では学校で勉強してからバレエという生活でしたが、向こうではずっとバレエ。キャラクターとかコンテンポラリーとか、色々なクラスもありました。日本では家からバレエ学校まで遠かったけれど、向こうは寮から学校までとても近く、一日中を踊ることができ、バレエを学ぶ環境はすごく良かったです。コンテンポラリーはあまり得意ではなかったのですが、初めて習ったので、すごく勉強になりました。日本にいた時より色々なものに触れられたと思います。

――クラスの中で競争が激しいとか、そういうことはありませんでしたか。

秋山 いいえ。友だちは皆すごく優しくて、いろいろ助けてもらいました。特にコンテンポラリーは、最初は何が何だか、私には分からなかったので。期末毎にテストがあって、成績が張り出されます。だからテストの前に、皆で振付の確認をし練習をしました。テストの内容は決まっていて、この振付でテストをするというのが事前に分かっていましたから、テスト用の振付をバーレッスンやセンター、ヴァリエーションやパ・ド・ドゥも、皆で練習しました。

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photo/Shoko Matsuhashi

――リスボンのコンセルヴァトワールを卒業して、イタリアのラ・カンパーニア・バレット・クラシコに入られたのですね。

秋山 コンセルヴァトワールは卒業していません。2年間学び、8年生で卒業なのですが、私がリスボンに行ったのは17歳、7年生のクラス編入でした。もう1年、学校で学ぶか、それとも舞台に立てるようなところを探すか、ということになり色々探しました。私はあまり背が高くないし、ビザの関係もあって、自分にあう就職先を探すのは難しかったです。私が入ったイタリアのバレエ団はツアー・カンパニーで、専用の劇場があるわけではありません。でも、イタリアでは都市ごとに劇場があるので、一つの都市で公演してまた違う都市に行くという感じで、踊るチャンスはたくさんありました。入団した時に妊娠のために休団するダンサーがいて、その方の代わりに色々踊らせていただく機会がありました。野外の劇場は床がデコボコだったりと条件の良くない舞台もあり、本当に色々な環境で踊りました。演目は、全幕物では『コッペリア』や『ドン・キホーテ』など。バレエ団のオリジナルの『春の祭典』もありましたが、抜粋版や小品のようなコンサート用の作品が多かったです。おかげで色々な方と組んだり、たくさんの作品を踊ることができました。クラシックが中心でした。2年半ぐらいこのカンパニーで踊っていました。

――そんな中で、特に思い出に残っている忘れられない公演はありますか。

秋山 『コッペリア』でスワニルダを踊っていた時のことです。フランツ役の方が1幕の上演中に十字靭帯を切ってしまい、フランツの友人役を踊っていた人と組むことになりました。突然、初めて組む人と踊らなくてはならなくなり、ものすごく焦りました。でも相手の方の助けもあって、何とか踊りきりました。公演中にパートナーが急に代わるなんて、本当に本番では何がおこるか分からないんだなって思いましたし、何が起きても冷静に対処できるようにならないといけないんだと、その時強く思いました。

――イタリアのバレエ団から東京バレエ団に移られて、どんなことを感じましたか。

秋山 イタリアのバレエ団は小さなカンパニーで、全幕公演がほとんどなかったんです。そのためコール・ド・バレエの経験がほとんどありませんでした。東京バレエ団はコール・ド・バレエにすごく力を入れていますから、それが最初は本当に大変でした。合わせることも難しいし、合わせながらきちんと踊ることも難しい。列に並んだ状態だと、一人で踊る時よりもスペースがありません。好きな所に足が出せないというか、皆が同じ所に出さないといけないので、自分が一番やりやすい場所を考えるだけではできないのです。それでも、白鳥なら白鳥たちになりきって踊らなければなりません。すごく難しくて、最初のうちは本当にどうしていいか分かりませんでした。皆で呼吸を合わせる感じがつかめるようになってからは楽しくなったというか、皆で一緒に創り上げる喜びを改めて感じるようになりました。最初は本当に余裕がなかったんです。

――2016年1月に入団して、17年8月に早くも子どものためのバレエ『ねむれる森の美女』のオーロラ姫で主役デビュー。それから様々な役を踊ってこられました。新型コロナ禍に見舞われた2020年だけでも、『ラ・シルフィード』のエフィー、『ドン・キホーテ』のキトリとキューピッド、『くるみ割り人形』のマーシャとスペインを踊られました。

秋山 東京バレエ団は(古典からコンテンポラリーまで)本当に幅広い、素晴らしいレパートリーを持っていているので、すごく恵まれていると思います。入団してから約1年の間だけでもベジャールやバランシン、ロビンズの『イン・ザ・ナイト』など色々な振付家の作品を踊りました。私は踊ったことがないのですがレパートリーにはキリアンの『小さな死』もあります。色々な作品が経験できて、すべてが繋がっていると感じています。ベジャールの作品や〈コレオグラフィック・プロジェクト〉の作品を踊るのも、全部クラシックのためにもなっているように思います。それぞれ全く異なる作品だけれど、色々なものを踊れば踊るほど、ダンサーとしての表現やテクニックの引き出しがどんどん増えていくのではないかと思います。

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photo/Shoko Matsuhashi

――2021年幕開けの〈ニューイヤー祝祭ガラ〉では、『タリスマン』よりパ・ド・ドゥを宮川新大と踊られました。

秋山 12月の『くるみ割り人形』のあと、バレエ団はお休みに入ったので、自分で練習していました。宮川さんにはたくさん練習に付き合ってもらいました。宮川さんは前回、沖香菜子さんと踊ってらっしゃるので、色々教えてもらい、助けてもらいました。あのパ・ド・ドゥですべてを切らず、流れるように踊るというのはすごく難しかったです。宮川さんとは、『くるみ割り人形』でも一緒に踊っています。その時は、振付のことよりも役作りについて色々と話し合いました。パートナーと組む時は、相手とのやりとりがお客様に伝わるようにしないといけませんから、きちんとアイコンタクトを取るようにしています。『くるみ』だったら王子に対するマーシャの気持ちが踊りを通して見えるように、『ドン・キホーテ』ならバジルのことが大好きというキトリの気持ちが観ている方に伝わるように演じたい。素っ気なくならないように、感情的に踊りたいといつも思っています。

――2月は『ジゼル』のタイトルロールですね。

秋山 今まで踊らせていただいた中で、内面の動きを何より深く表現しなければいけない作品だと思います。もちろんテクニカルなことも大事ですけど。ジゼルは、第1幕では普通の人ですが、第2幕では人ではなく、ガラっと変わります。その演じ分けだけでも難しいのに、アルブレヒトとの関係性やお母さんやヒラリオン、ミルタなどとの関係性も含めて、ジゼルの心の動きを踊りを通して伝えないといけないのです。まだ2回リハーサルしただけで、振付を身体に入れている段階ですが、芸術監督の斎藤友佳理さんには、絶対に人の真似をしないでと言われています。(どう演じるかは)やっていくうちに、だんだん自分なりのジゼル像が見つかってくるから、今はまだ決めなくていい、アルブレヒトと出会った時の感じも、毎回決まったようにしないで、と言われています。アルブレヒトの出方によっても変わってくると思うので、その時その場で感じたままに演じてみようと、いろいろ試しているところです。

――でも、どんなジゼル像になりそうですか。

秋山 まだ自分の中で形作れていないのですが、第1幕は可憐な感じというか、可愛くて踊るのが好きな村娘。アルブレヒトに対しては恥ずかしさもあるけれど、彼のことが大好きで、でも裏切られてしまって...。第2幕では、それでも愛しているからミルタやウィリたちから守ろうという気持ちになる。村娘から急に大人になったように感じます。恋をして、裏切られて、死んでしまったけれど、でも許そうとするそんなジゼルの心の流れを、観ている方に伝わるように、観ている方と一緒に物語の中に入れるように演じていきたいと思っています。テクニック的な課題では、特に第2幕は重力を感じさせないように踊らないといけません。それも、ノンストップというか、止まるところがなくて、風に吹かれているみたいに。一つ一つのポーズにも意味があると教えていただいています。例えば、跪いたアルブレヒトの背中のうしろにジゼルがポワントのアラベスクで立つ有名なポーズがあると思うのですが、それは後ろから彼を包み込んで守っているようなイメージです。どんな思いでそのポーズを取っているのか、観ている方には説明しないと伝わらないかも知れないけれど、意図してそれをするのと、ただするのではすごく違ってくると思います。どういう気持ちをこめるのか、しっかり意識して踊りたいと思います。

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photo/Shoko Matsuhashi

――どのようなダンサーを目指していますか。また、これから踊りたい作品は?

秋山 全幕物でもバレエコンサートでも、クラシックでもコンテンポラリーでも、どんな役でも、観ている方に、こういう役なんだろうなとか、この役のダンサーはこう思ってるんだろうなと、伝えられるようなダンサーになりたいと思います。テクニックが上手なことももちろん大事ですが、観ている方がその物語に入れるような、自分も物語の中の一員として生きられるような、そんなダンサーになりたいです。

踊りたい作品は、『ロミオとジュリエット』。もちろんジュリエットを踊れたら嬉しいですけれども、主役でなくても作品に携わってみたいなあと思います。この作品の中で、何かの役を生きてみたいと願っています。私の場合、実際に踊ってみないと作品のことが分からないんです。『ジゼル』も今回、自分で踊ってみるまではどのような女の子なのか、どんな作品なのか良く理解できていませんでした。もちろん、作品を観たことはありましたが、細かいことは知りませんでした。今は、リハーサルの中で先生方に歴史的な背景のことも含めて教えていただき、自分でも資料を読んで少しずつ勉強しています。今まで色々な物語の色々な役を演じさせていただきましたが、それぞれの役を生きる中で、少しずつ自分の表現の幅、表現の引き出しが増えてきているよう感じます。演じることは今もすごく難しいけれど、楽しいなと思えるようになりました。

東京バレエ団「ジゼル」全2幕

日程:2021年
2月26日(金)19:00 ジゼル:沖 香菜子 アルブレヒト:柄本 弾
2月27日(土)14:00 ジゼル:秋山 瑛  アルブレヒト:秋元 康臣
2月28日(日)14:00 ジゼル:沖 香菜子 アルブレヒト:柄本 弾
会場:東京文化会館(上野)
https://www.nbs.or.jp/stages/2021/giselle/index.html

 

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