夢見るエネルギーが舞台に渦巻いた、Kバレエカンパニー『くるみ割り人形』

ワールドレポート/東京

坂口 香野 Text by Kaya Sakaguchi

K バレエカンパニー

『くるみ割り人形』熊川哲也:演出・振付

東京・Bunkamuraオーチャードホールで、この冬もKバレエカンパニーによる『くるみ割り人形』が上演された。
2005年の初演以来、毎年数多くのダンサーが、本作品で主役デビューを果たしてきた。塚田真夕がマリー姫、吉光美緒がクララを演じ(共に初役)、10月にプリンシパルに昇格したばかりの堀内將平がくるみ割り人形/王子を踊った、2020年12月4日夜の公演の模様をレポートする。

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撮影:瀬戸秀美(すべて)

子どもの頃を思い出してみると、クリスマス・イブや大晦日のワクワク感には、一抹の「怖さ」が混ざっていたような気がする。夜の間に、何か特別なことが起こる。現実とは違う目に見えない世界があり、一時的にそちらとの距離が近づいているような......。
熊川版『くるみ割り人形』は、子ども時代のそんな感覚を呼び覚ましてくれる。こっくりとした闇とまばゆい光をいっぱいにはらんで、子どもも大人もワクワクさせてくれるのだ。その秘密は、夢と現実との絶妙な距離の取り方、それに生き生きとしたキャラクター の造型にあるのかもしれない。
ドロッセルマイヤーは、「人形の国にかけられた呪いを解くことのできる、純粋無垢な人間を探す」という使命を帯びて、人間界にやってきた人物という設定だ。この夜、ドロッセルマイヤーを演じたのは杉野慧。磁力のような存在感を放って力強く踊り、夢と現実をつなぐ要として、物語全体を導いていった。

クララは、ちょうど『不思議の国』のアリスのように、現実と異なる世界を見ることができ、そこに自分から飛び込んでいく、勇気ある女の子として描かれている。吉光はとても自然に、全身でクララを表現。喜んだり悲しんだりドキドキしたり、そのときどきの感情が身体の表情に素直に現れて、物語に引き込まれてしまう。
たとえば1幕のはじめ。客人でにぎわう広間のクリスマスツリーに灯がともった瞬間、「天使」が現れる。金色の翼と光輪をつけた姿からして、ツリーを飾る天使の人形なのかもしれない。それがなぜか、生きて歩いている。クララはただ息を呑む。幻想的な音楽と照明、まったく無関心な客人たちの演技、そしてただ一人、吸い込まれるように天使を見つめる吉光の集中力によって、「たしかに今、ありえないことが起きている」と信じられるのだ。
続いて元気のよい「行進曲」が始まると、空気は一変。子どもたちの踊りには馬跳びや「ロンドン橋が落ちる」のような遊びの要素がたっぷり詰まっていて、ステップはうきうきと弾む。クララの様子を見守っていたドロッセルマイヤーは、彼女こそ人形の国を救える人物だと確信し、くるみ割り人形を贈る。
尚、今回はKバレエにとって久々の、シアター オーケストラ トーキョーによる生演奏での上演だった。全曲が珠玉の名曲である『くるみ割り人形』の素晴らしさは、やはり生演奏でこそ堪能できる。

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深夜。ドロッセルマイヤーの設置した時計が12時を告げると、巨大化したねずみが現れ、クララの手からくるみ割り人形を奪い取り、時計の中へ消えてしまう。時計は、人形の国への入り口だったのだ。クララは、くるみ割り人形を助けにいくべきか何度も迷う。今の出来事は気のせいだったことにして、寝室に戻りかけもする。巨大ねずみに遭遇しただけでも恐ろしいのに、そんなものが出てくるわけのわからない世界に飛び込むなんてもっと恐ろしい。吉光の表情からクララの思いがまざまざと伝わる。
クララが意を決して時計に入ると、杉野・ドロッセルマイヤーは、渾身の力で舞台を大転換させる。スケールの大きなジャンプと全身から発するエネルギーで、劇場全体に魔法をかけようとしているかのようだ。ツリーの細部が巨大化した装置によって、人形サイズに縮まっていく、めまいのような感覚を味わうことができた。

ねずみと兵隊の戦いのシーンは、ぎらつく赤い照明が印象的で、多分に悪夢めいている。兵隊人形の仮面をつけたくるみ割り人形(堀内將平)は、兵隊たちを指揮し、縦横無尽の活躍をする。手足を直線的に伸ばした人形振りのまま高くジャンプし、敬礼のポーズを繰り返しながら、ねずみの王様に何度でも立ち向かう。その戦いぶりがひどく誠実で、切ない気持ちにすらなった。おもちゃの大砲が炸裂し、投石機が巨大チーズを発射する。クララは、パーティでもらったお菓子のステッキで力強く加勢し、ねずみの王様は退散、しかしくるみ割り人形は傷ついて倒れたままだ。

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この後、くるみ割り人形が一瞬、王子の姿に戻るシーンがある。堀内はそっと自分の頬に触れ、その柔らかさを確かめる。さりげないしぐさから、本来の姿に戻れた喜びが静かに伝わる。王子とドロッセルマイヤーは、クララをほとんど放り投げるようにリフトしながら、さらに別の次元へと連れて行く。舞台手前に下りていた幕がはらりと落ちると、そこは一面の銀世界だ。この雪のシーンがまた、息もつかせない。雪の女王(毛利実沙子)と雪の王(石橋奨也)を中心に、雪の精たちが細やかなステップを駆使し、次から次へとフォーメーションを変えてゆく。雪の結晶が次々と立ち上がってはきらめくようだったり、風に乱れ飛ぶ粉雪を思わせたり......少しでもタイミングや軌跡がずれれば成立しない、精緻きわまりない振付を、出演者全員が呼吸を合わせて成功させた。

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熊川版『くるみ』では、2幕「人形の国」の場面にも、様々なドラマが持ち込まれている。クララたちが人形の国に到着しても、呪いは破られていないので、人形たちは白い仮面をつけた不気味な姿のままだ。再び現れたねずみの王をくるみ割り人形が倒し、クララがねずみから奪った武器で世界一堅いくるみを割ると、呪いははじめて解ける。
「花のワルツ」の前奏、ハープの夢見るような響きの中で、ねずみにされていたマリー姫が美しい姿で目覚める。マリー姫役・塚田真夕のなめらかなポワントワークは、ハープの音色そのもののようにきらびやかでみずみずしい。呪いを解いてくれたクララへの感謝を込めて、王子とマリー姫からティアラが贈られ、「花」のソリストたちにクララも加わって、はなやかなワルツが繰り広げられる。一緒に踊るマリー姫とクララは、まるで姉妹のよう。見交わす二人の顔には思わず笑みがこぼれ、弾むような踊りからは共にデビューを果たした喜びも強く感じられた。

続く各国の踊りは、どれも音楽を生かし切り、遊び心にあふれた振付。中国人形(萱野望美、佐野朋太郎)のシャープな脚さばきは、ピッコロのさえずりや弦楽器のピチカートと一体化してピリッとした味わいを残し、ロシア人形(本田祥平、三浦響基)は、ジャンプでは高さを、コサックダンスでは低さを競うような豪快な踊りでおおいに会場を沸かせた。
塚田と堀内は、グラン・パ・ド・ドゥでクラシック・バレエの美しさを堂々と表現。塚田のヴァリエーションは、まるでつま先から光がこぼれているかのようだった。

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撮影:瀬戸秀美(すべて)

夢はいつまでも続かない。エネルギーあふれる大団円を経て、人形たちとの別れがやってくる。クララは「さよならなんていや」と全身で表現する。マリー姫と王子はクララを優しく制止し、王子はクララに向かって小さく兵隊の敬礼をしてみせる。
「僕はきみが助けてくれたくるみ割り人形だよ、大人になってもずっときみのそばにいるよ」
王子がそういった気がして、思わずほろりとした。

熊川哲也芸術監督は、「子供の頃のままの純真無垢な心、夢見る気持ち――そんなかけがえのないものを何度でも呼び覚ます魔法の力が、このバレエにはあります」と語っている(公演パンフレットより)。バレエとは、魔法を実現する仕事なのだとあらためて感じた。
コロナ禍が再び深刻化する中、それでも新しい1年に向かう力をもらえたような、力強い舞台だった。
(2020年12月4日夜 Bunkamuraオーチャードホール)

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