森山未來『「見えない/見える」ことについての考察』初日レポート

ワールドレポート/東京

坂口 香野 Text by Kaya Sakaguchi

森山未來による朗読+ダンスの新感覚パフォーマンス『「見えない/見える」ことについての考察』の全国ツアーが始まっている。10月14日、横浜赤レンガ倉庫で行われたゲネプロと初日の模様を取材した。

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©︎ RYUYA AMAO(すべて)

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劇場を入ると、イヤホンガイドが配られる。観客は森山の肉声とスピーカーからの音声、そしてイヤホンから耳の中だけに響く音声と、三つの声に包まれることになる。
朗読している森山の声が、微妙に二重に聞こえると思うと、いつの間にか録音された音声に引き継がれ、森山は目の前の真っ白な空間で激しく踊っていたりする。森山のパフォーマンスと照明、音声が絡まり合いながら進むので、スタッフとの調整は開演ぎりぎりまで続けられた。

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軸となっているテキストは、ポルトガルのノーベル賞作家ジョセフ・サラマーゴの小説『白の闇』。人々が原因不明の病で次々と視力を失い、ミルクのように真っ白な闇にとらわれていく。病院のベッドは不足し、政府が発表した「間もなく事態は終息する」という予測は外れ、人々はパニックに陥っていく。この小説が書かれたのは1995年だが、コロナ禍の現在をリアルに描いたかのようだ。
怖いのは、目が見えなくなって隔離された人々の中に、目が見えている者がいて、彼らを観察していること。舞台上にはカメラとストロボが設置され、森山が客席にカメラを向けるシーンもある。見る側と見られる側が逆転し、ふと一方的に「見られる」恐怖を感じた。
『白の闇』に絡まってくるもうひとつのテキストが、哲学者・作家モーリス・ブランショによる『白日の狂気』だ。ストーリーのはっきりとある『白の闇』に対して、『白日の狂気』は散文詩的な作品。たとえば舞台上できわめて暴力的なシーンが進んでいるとき、耳のイヤホンからはその現象の奥にある何かを垣間見せるかのような別のことばが、つぶやくように聞こえてくる。物語を象徴する強烈な白い光や闇に近い薄明かり、虹のかけらのような映像が、森山の声と絡まり合い、自在に感覚を刺激してくる。親密な空間で見る森山のダンスは圧巻だ。居合い斬りのような鋭さを見せたかと思うと、痛々しいほど柔らかく、しなやかに見えたりもする。

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「見えなくなったんじゃない。もともと見えていなかったのよ」ということばが、コロナ禍を経験した今、いっそう耳に刺さる。「ひとめでわかる」ような情報が周囲にあふれているけれど、私たちは本当に「わかっている」「見えている」のだろうか?

声と光と身体表現によって繊細に織り上げられた世界を、自分の五感を頼りに進んでいくことで、「今、見えているもの」の外側へ出て行く――この舞台を通して、そんな希有な体験ができそうだ。

「見えない/見える」ことについての考察
2020年10月14日〜11月6日
https://mienai-mieru.srptokyo.com/

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