有馬えり子(有馬龍子記念京都バレエ団代表)=インタビュー

ワールドレポート/東京

インタビュー=関口紘一

有馬龍子記念京都バレエ団代表、京都バレエ専門学校校長として、パリ・オペラ座バレエ団と多くの交流を重ねてきた有馬えり子。1000年の都、京都の伝統文化とクラシック・バレエのコラボレーションにより、新しい日本のバレエの展望を開く試みを聞いた。

――2018年11月の京都バレエ団公演で『屏風』を観せていただき、大変面白かったのですが、同時に上演されました『京の四季』にも大変に興味を惹かれました。生花のお師匠さんがライヴでお花をいけている舞台で、同時に並行してバレエが踊られ、季節の移ろいが表されていました。京都の伝統の美しさというと、われわれはスタティックなものとして捉えがちなのですが、それが『京の四季』では、クラシック・バレエの中で生き生きと息づいているように感じられました。京都の伝統の美とクラシック・バレエをコラボレーションすることの素晴らしさ、に改めて気づかされました。京都の方にとっては自然な成り行きなのかもしれませんけれど。

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有馬 京都には茶道や生花の著名な方がいらっしゃっいます。私も年ごろの時にはいろいろ習っておりました。京都バレエ専門学校では一般教養の授業の一環として、裏千家や池坊の先生に来ていただいて10回シリーズの授業を行なっております。その華道の先生が教えられている時に、お花を生けるときは、「風が通るように生けてください」とおっしゃっていました。バレエでも「風が通るように」ということがあります。花は生きているもので、自然から生まれる花の色は感動的です。この花の色を舞台でなんとか生かしたい、という思いがありました。風が通るように花を生けていく中で、バレエとコラボレーションさせてみたい、というのが最初の発想でした。
音楽は、亡くなられた薄井憲二先生が宮城道雄の箏曲『春の海』が大好きで、私も好きでした。上賀茂神社で演奏会があった時、『春の海』をヴァイオリンとフルートで演奏されたことがあって、これもいいなと思いました。しかしやはり『春の海』を使わせていただくとなると京都にはお琴の名手がいらっしゃいます。そこで大谷祥子さんにお願いして、夏・秋・冬(沢井忠雄作曲)を作曲していただき、全体を整えていただきました。
夏は蛍の情景にして、秋は祇王の涙、冬は『くるみ割り人形』の雪が降りしきる情景をお琴で表現し、男性ダンサーに踊らせよう、と考えました。それぞれの季節にに物語を盛り込んで振付けました。

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「京の四季」撮影/瀬戸秀美

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「京の四季」撮影/瀬戸秀美

――色彩が非常に印象的。動きと一緒に展開していく色が美しかったです。東京で生活していたのでは、なかなか味わうことのない京都ならではの色の世界を感じました。お母様の有馬龍子先生はどちらのご出身でしたか。

有馬 母は東京の人間でした。東京の大学を出て京都大学に研修に来て、医学部にいた父を知り合って結婚しました。そして京都にはバレエ教室がなかったので、自分で作ってしまい、東勇作先生を呼んだのです。父は鹿児島の人間でしたが、母にも京都への憧れがあり、京都の文化をバレエに生かしたいという気持ちがありました。それで母は『屏風』や日本を題材にしたバレエを何作かつくっています。私もそういうものを見てきましたので、自分の発想で 創ってみたいと思って振付けたわけです。

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「屏風」光永百花 撮影/瀬戸秀美

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「屏風」光永百花、山本隆之 撮影/瀬戸秀美

――『屏風』も冷泉家などの京都の伝統文化の深い部分とクラシック・バレエのコラボレーションでしたね。

有馬 『屏風』は母が振付けたものを、私が改訂しました。エリック・サティの『パラード』に使用したものと同じ曲を使っていますが、この曲を「和」のバレエに使用した母の発想はとても面白いと思います。母が亡くなって25年くらいの間に何回か私が改訂して上演しましたが、今回は思い切って発想を変えて、サティのピアノ曲を生演奏で上演しようとしました。しかしピアノの連弾でして、これをダンサーの動きと合わせるのがほんとうに大変でした。
シナリオについては『ジゼル』を上演している時に、ロマンティック・バレエには能の発想に近いものがあるのではないかと思いました。そしてある時、冷泉家の貴実子さんとお話していて、能は現世の人に怨みがある人物が黄泉の国から現れる・・・、というお話になりました。やはり、ロマンティック・バレエと能の世界は通底するものがあるのではないか、と思いまして、冷泉貴実子さんにシナリオを書いていただくことにしました。
小鼓と横笛の演奏により謡をうたってくださったのは金剛永謹さんですが、冷泉さんが書かれた詞章が、能の発想を採り入れた言葉で見事に『屏風』の世界を表していると思いました。冷泉さんはさらに能の世界と深く関わるバレエにしたい、とおっしゃっているので、もう一度改訂してみようと計画を立てております。金剛さんは実はオペラの大ファンでして、謡をうたっていますが、プライヴェートではオペラの歌唱をしています。お隣に住まれている方が、朝からオペラの歌声が聴こえてくるので驚かれていました。私はまた、その金剛さんの声が大好きなんです。

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「屏風」撮影/瀬戸秀美

――『京の四季』が美しいヴィジュアルを見せる舞台でしたし、『屏風』は不条理の情念が現れてくる不思議な舞台で、二作とも京都の伝統文化の深奥と触れる作品でした。素晴らしい公演でした。

有馬 京都バレエ団では、パリ・オペラ座の先生方やダンサーたちを招聘して、フランス・スタイルのバレエを学んでおります。「それはとても良いこと、でもそれを身に付けたら日本のバレエを創りなさい」、とオペラ座の先生方はおっしゃいます。それは西洋のバレエを核にして、日本でしか創れないバレエを創ることを目標とするべきだ、そういうことだろうと私は思っています。

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「京の四季」撮影/瀬戸秀美

――そうですね、京都バレエ団を語るためには、パリ・オペラ座バレエ団との交流については外すことの決してできないテーマです。

有馬 私は、イヴェット・ショヴィレ先生が来日された頃には、バレエ学校の二期生として学んでいました。まだ、その時は若かったのでショヴィレ先生のオーラにただ感動しており、学んでいくことで精一杯でした。当時は私の母ですが、有馬龍子先生はほんとうにすごく怖かったです。いまだに舞台裏方スタッフの中に「龍子先生怖かったよね」という方がいるくらいです。ショヴィレ先生と龍子先生の前では髪の毛をかきあげることさえ憚られました。お二人とも着るものに至るまですべてにわたって、厳しく徹底的に指導してくださいました。
母が亡くなってからパリに行って、あるホテルのロビーでしたがショヴィレ先生に母の死をお伝えしました。そして「私が後を継ぎますので、どうぞ、よろしくお願いします」と言いましたら、ショヴィレ先生は号泣されたのです。私も驚いて、ショヴィレ先生はお付き合いで私たちのバレエ団に来てくださっているのではなくて、母のことを本当に理解して教えに来てくださっていたんだな、と改めて感じて感動しました。
それから何回か日本に来てくださいましたし、とても気を遣って教えていただきました。私はショヴィレ先生がお体の調子が悪くなられてからも何回もパリに伺いましたし、ご葬儀の時もパリ・オペラ座バレエ団元芸術監督ブリジット・ルフェーブル、現パリオペラ座バレエ学校長エリザベット・プラテール、元パリ・オペラ座総裁ユーグ・ガルなどの人々と一緒に、最後までお見送りさせていただきました。
薄井憲二先生もそうでしたが、クラシック・バレエは品格がなければならない、というショヴィレ先生の教えを、自分の学校だけでも守っていこうと思っております。

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イヴェット・ショヴィレと

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イヴェット・ショヴィレと

――京都バレエ団はショヴィレと龍子先生の絆をしっかりと守られ、そこに薄井先生がとても良い影響を与えていらっしゃった、と思います。薄井先生も京都に住んでいることを喜んでいらっしゃるように見えました。

有馬 あの厳格な教えでよく知られているクロード・ベッシー先生も、先日、京都に行きたいんだけど、新型コロナ禍で行けないので・・・とメールくださいました。ベッシー先生は東北大震災の時にも一番にお見舞いのメールをくださって、日本を脱出してパリにきて私の家に住みなさい、とまで言ってくださいました。

――京都バレエ団はオペラ座バレエの歴史を作ったような方々を招聘し作品を上演したり、バレエ学校の教育に携わったり深く関われています。一方、京都では、クラシック・バレエというものはどのように捉えられているのでしょうか。

有馬 そうですね、例えば私もその1員ですけど、京都商工会議所の女性部会の人たちなどは、公演に来ていただいておりますが、みなさん芸術に対する理解が深いのでよくご理解いただいております。京都の良さ+バレエが育つように、とすごく応援してくださっています。子供たちは普通の人たちと一緒ですが、周りに芸術文化的なものが揃っているので、嗜みが他の地方の方とは少し違うかもしれません。京都には何事においても横の関係があります。街は碁盤の目のようになってますが、それぞれの関係もまた碁盤の目状になっていて、有効に機能していると思います。ですから違う分野の方々にも興味を持っていただいておりますし、実際、よくバレエを見に来てくださいます。

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カール・パケット、エロイーズ・ブルトン、ファニー・ガイダ、ファビルス・ブルジョワ、モニク・ルディエール、シリル・アタナソフ、エリック・カミーヨ、有馬えり子

――オペラ座のダンサーの方々とかが来た時には、京都の文化に関心を示されるようなことはありますか。

有馬 みなさんほんとに京都が好きなんです。外国のダンサーの方々は東京の公演で来日されても、わずかの時間を見つけてよく京都に来られてます。私はダンサーの方々などが来日されると、仏像がたくさん安置されている三十三間堂にお連れすることも多いですが、とても喜ばれます。寺院の静けさとか、庭園の美しさとかがお好きですね。京都には古い文化が残っているので、もちろんパリにも伝統がありますが、1000年の都と言われる京都は特別の印象を与えていると思います。京都の伝統文化のきめ細やかな繊細さが、クラシック・バレエの伝統に息づく美しさにも通じるところがあるのかもしれないですね。それからまた、外国のダンサーの方たちは高野山に行かれる方も多いですね。

――オペラ座の元エトワール、シリル・アタナソフとも長いお付き合いですね。

有馬 シリルとのお付き合いはもう40年以上になります。ショヴィレ先生が最初に連れてこられたのがシリルです。彼が最後のパートナーでしたから。やはり元エトワールのミカエル・ドナールもそうです。彼は本当に3日にあけずとは言いませんが、1、2週間にくらいの間には必ず連絡をくれます。今はほとんどの人が、新型コロナ禍でパリから出ていて田舎にいますけど。
ピエール・ラコットもお宅に呼んでいただいたりしておりましたが、今はパリを離れて「もう、バレエのことは考えずにゆっくり過ごしたい」と言っておられるそうです。パリ・オペラ座バレエの一世を風靡した方々と長くお付き合いをさせていただいておりますので、フランス・バレエの素晴らしさを受け継いで、これからの人たちに伝えていかなければ、と強く思っております。
オペラ座の方々も私たちのスタジオにいらっしゃって、例えば、『京の四季』でも演奏してくださった藤舎貴生先生が横笛を吹かれていたりすると、みなさん直立不動でじっとお聴きになっています。横笛を吹いている様子を初めて体験して、「こんなに綺麗な音色なんだ」と非常に敬意を抱かれて感心しています。鼓などもスタジオで鼓手の方が紐を通して組み立てているのを興味深げに観ていて、ポーンと打つとその響きに目を見張って打たれたようになっています。

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シリル・アタナソフ

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モニク・ルディエールとシリル・アタナソフ

――そうですか、京都にいると横笛の音色を聴いたり、鼓の生の響きに接したりする機会あるんですね。東京ではごく稀にテレビの画面で見るくらいで、ほとんど接することはないです。

有馬 私は小さい時から歌舞伎や日本舞踊を観に連れて行ってもらっていたので、自然に身近にありましたけど、外から来られてとても驚かれ感心されたら、もっと知ってもらいたいな、と思います。
それから藤舎貴生先生なども和の楽器だけではなく、洋の楽器やジャズなどともコラボレーションをされています。

――京都バレエ学校には、エリック・カミーヨとか元オペラ座のダンサーが教師として教えにきていますね。

有馬 そうです。オペラ座バレエ学校の教師が来ていますが、現在は新型コロナ禍で日本に入って来られません。いつもはカミーヨ先生は年に3回くらい来ております。元エトワールで昨年京都バレエ団でアデュー公演をしたカール・パケットもオペラ座バレエ学校の先生になりましたので、教えに来てくれるはずです。また、プルミエのエマニュエル・ティボーもオペラ座に指導者として所属しながら、来てくれます。年に5~6人、2ヶ月に1回は誰かが教えに来ています。やはりカミーヨ先生が一番多いですね。教えに来ていただく度に、私たちのバレエ学校の教師がその教えをしっかりと記録して、普段の教えに生かしております。

――先日も光永百花さんにインタビューしましたが、やはり、オペラ座の先生に教えてもらえるチャンスがあることは貴重なので、京都バレエに行きました、と言ってました。
次の公演は2021年1月の『眠れる森の美女』琵琶湖ホールですか。

有馬 フランス人が日本に入国できるかどうかという問題もありますが、京都バレエ団の2021年は新製作の『眠れる森の美女』で始まります。エリック・カミーヨがフランス人がほんとうに上演したかった『眠れる森の美女』を上演したいと言って振付けます。カミーヨはヌレエフの影響を受けていると思いますが、ヴェルサイユの宮廷文化を感じさせるような舞台にしたい。オーロラが目覚めた100年後では衣装も全く異なっているので、そういう点にも留意したいと言ってます。今までのヴァージョンと全く違う『眠れる森の美女』になると思います。エロイーズ・ブルトン、ジェレミール・ケール、トマ・ドキール、それから光永百花も出演する予定です。その後、8月1日にはロームシアター で再演の要望の多いファビリス・ブルジョア版『ロミオとジュリエット』。9日にはこれは小倉の北九州芸術劇場でも上演する予定です。

――今、パリはまた大変な状況になってきているみたいですね。京都バレエ団、バレエ専門学校の方はいかがですか。

有馬 パリ・オペラ座は今までのクラスを多数に分けて、オーレリー・デュポンまで教えに出ているそうです。私たちのバレエ学校では25人くらいだったクラスを12人ずつに分けて、先生たちもたくさん受け持ってくださって、感染対策を徹底して練習を行なっております。バレエ団も『眠れる森の美女』の公演に向けて、マスクをしてリハーサルをしております。ワンレッスンごとにバーなどを除菌して、エアコンつけて扇風機を回して換気してます。バレエ学校もバレエ団もそれ以外は通常通り再開しています。先日も関西ですが、「学校へ行こう」というテレビ番組が京都バレエ専門学校を取り上げていただき、いろいろと反響をいただきました。

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「ル・レーブ」オニール 八菜 撮影/瀬戸秀美

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「ル・レーブ」オニール 八菜、カール・パケット 撮影/瀬戸秀美

――『ル・レーブ(夢)』(1890年にパリ・オペラ座で上演された日本を題材にしたバレエ。2017年7月、手書きの原曲の楽譜に基づき編・作曲し、資料をもとにファブリス・ブルジョワが新たに振付け、京都バレエ団が上演した)は良かったですね。こういう仕事は京都バレエ団ならではのものだと思います。逆にいうとパリ・オペラ座バレエ団ではできなくて、京都バレエ団だからこそできたわけです。今後もぜひ試みていただきたいことです。

有馬 そうなんです、実は『ル・レーブ(夢)』は、パリでも上演するはずでした。オペラ座バレエの元芸術監督のブリジット・ルフェーブルが関与されている、南フランスのバレエのフェスティバルとパリの2カ所で上演しましょうと予定していたのですが、新型コロナ禍のために全部中止になってしまいました。新しいピアノ曲の資料も見つかって再現するなど、かなり準備を進めていたんですが・・・。でも、パリで上演して欲しい、と要望されていますので、来年は無理かもしれませんが、22年にはぜひ、パリ公演を実現させたいと思っています。

――本日はお忙しところ興味深いお話伺うことができました。まだまだお聞きしたいことはありますが、長くなりますので次の機会にまたぜひお願いいたします。ありがとうございました。

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「ル・レーブ」 撮影/瀬戸秀美

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