バレエを愛する方にこそ観てほしい映画です 『ミッドナイトスワン』内田英治監督インタビュー

ワールドレポート/東京

坂口 香野 Text by Kaya Sakaguchi

9月25日に全国公開される映画『ミッドナイトスワン』。
故郷を離れ、東京で女性として生きるトランスジェンダーの凪沙(なぎさ)と、育児放棄にあっていた少女・一果(いちか)との間に生まれる愛情を描いたふしぎな疑似家族の物語であり、本格的なバレエ映画でもある。
主演は草彅剛。心身に葛藤を抱える凪沙を、透明感あふれる存在感で演じている。
一果役の服部樹咲は、ユースアメリカグランプリ(YAGP)日本ファイナル進出など輝かしい実績をもつバレエの実力者で、現在は中学二年生。演技は未経験ながら、数百人の候補者の中からヒロインの座を射止めた。
監督は、『下衆の愛』『全裸監督』で知られる内田英治。バレエ映画の構想を長年温めていたという内田監督に、作品の見所や制作秘話、バレエへの思いについて聞いた。

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©2020 Midnight Swan Film Partners

バレエ少女×トランスジェンダーのヒロイン。
この映画は「相棒もの」でもあるんです

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© Chacott

――お会いできてうれしいです。まずは、この作品が生まれた経緯について教えてください。

内田 いわゆる「バディ(相棒)もの」の映画が好きで。特に70年代のアメリカン・ニューシネマに出てくるような、「都会の片隅でひっそり生きる二人組」が主人公の映画を日本でつくりたいなと思いました。実は以前から、バレエ映画とトランスジェンダーの映画は撮りたいと思っていて、それぞれ別に脚本があったのですが、その二つをミックスして「バディもの」にまとめたんです。それが5年前になりますね。

――これまでにない「バディもの」ですよね。バレエに興味を持ったきっかけはなんでしょうか。

内田 14、5年前になりますが、新国立劇場でオペラを観て面白かったので、バレエも観てみようと、軽い気持ちで『ロミオとジュリエット』のいちばん安いチケットを買ったんです。そうしたら、けがで降板した男性ダンサーに代わって、急遽代役で踊ったのが熊川哲也さんだった。何か吸い寄せられるようで「もっと近くで観たい!」と思いました。そこからものすごく興味を惹かれて。舞台はなかなか観に行けないのですが、バレエ映画やドキュメンタリーを観たり、山岸凉子先生の『舞姫 テレプシコーラ』など、バレエを題材にした漫画を読んだりするようになりました。

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©2020 Midnight Swan Film Partners

――そうだったんですか。昔、TVのドキュメンタリー企画「ダンス甲子園」でアシスタント・ディレクターをされていたとうかがったので、もともとダンスがお好きだったのかなと......。

内田 たしかにダンスの番組を担当していましたね。でも、バレエに惹かれた理由はまた違っていて。ヒップホップやジャズダンスには、根本に「楽しさ」があると思うんですが、バレエには悲しみの上に成り立っている美しさがあるなと。
『ファースト・ポジション 夢に向かって踊れ』というドキュメンタリー映画には、コンクールを目指す子どもたちの姿が描かれていますけど、バレエダンサーへの道には残酷なほどの厳しさがありますね。とてつもない狭き門とわかっているのに、みんな無垢に突き進んでいく。ああいう姿を見ていると、なんだかたまらない気持ちになります。今回はそういった厳しさも含めて、バレエ映画として楽しめる作品にしたいと思いました。

――今回の作品は『白鳥の湖』がモチーフになっていますね。内面は女性なのに男性の姿で生まれてきた凪沙たちと、白鳥の姿にされているオデットの物語が重なりました。

内田 当初は『白鳥の湖』という作品にそれほど思い入れがあったわけではないんですが、結果的に親和性が高かったですね。政治家や弁護士、いわゆる夜の世界で働いている方など、いろいろな立場のトランスジェンダーの方たちに30人ほど取材しましたが、考え方も生き方も一人ひとり違います。トランスジェンダーを主人公にした映画、海外にはたくさんありますが、日本ではまだ少ないように思います。

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©2020 Midnight Swan Film Partners

――凪沙役の草彅さんのノーブルな存在感が圧倒的でしたが、キャスティングはどのように決められましたか。

内田 凪沙役にふさわしい役者さんになかなか巡り会わず。こちらがいいなと思ってもマネージャー段階で断られるというのが何年も続いていました。プロデューサーから草彅さんはどうかと提案があったときは、むずかしい役だし、国民的スターである彼はきっと無理だろうなと思っていたんです。ところが、すぐ「ぜひ」というお返事が来て、超スピーディに決まった。ご本人から脚本の感想もいただいてうれしかったですね。

――ときに、トレンチコートに赤いハイヒールという凪沙のスタイルはいつ決まったのですか。

内田 あれは最初から。凪沙には「絶対トレンチだな」と思っていました。ニューヨークを舞台にした『グロリア』(ジョン・カサヴェテス監督)という映画のイメージもちょっと入っています。

オーディションでの彼女の踊りから
バレエの歴史が透けて見える気がしました

――一果ちゃん役の服部樹咲さんは、オーディションで選ばれたんですよね。

内田 オーディションは相当大変でした。バレエ映画によくある、「ダンスシーンの手足だけ吹き替え」というのは絶対にやりたくなかったので、バレエ経験を前提に募集したんです。技術的にはコンクール入賞者から初心者レベルまで、結局1000人近くを見たんですけど。正直なところ、ぴったりな子は見つからないんじゃないかと思っていました。ところが、いましたね。一組めに、ぽつっと。

――採用の決め手はなんでしたか。

内田 コンクール入賞レベルの子はほかにも何人かいましたし、バレエの技術は足りないけれど表現がおもしろい子もいました。でも、「この子でいける」と思ったのは彼女しかいなかった。佇まいが最初から女優でしたね。それと、二次オーディションではじめて彼女の踊りを目の前で見たとき、なぜか泣けてきたんですよ。踊りを通して、バレエの歴史そのものが透けて見えるような気がしました。何千人、何万人というバレリーナたちがたどってきた歴史が。彼女は演技しているわけでもなく、ただいつもどおりに踊っているだけなんですけどね。僕が変なのかなと思って振り向いてみたら、後ろでプロデューサーもハンカチを出してた(笑)。

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――映画の中でも、凪沙が一果の踊りを見てひたすら「きれい......」とつぶやくところが印象的でした。

内田 あのセリフはアドリブなんですよ。草彅さんは(服部)樹咲ちゃんの踊りを心から「きれい」と感じて、そのまま言葉にしたんだと思います。

――服部さん、未経験とは思えない演技でした。特にずっと黙っているときの眼の表情や、突然感情を爆発させるところとか。

内田 最初はなかなか感情を出せなくて、何度もリハーサルをしたんです。ただ、バレエの話になると、がぜん感情豊かになるのがおもしろかったですね。「ふだん、どんなときにイラッとする?」と聞いてみても、あまり思い当たることがないようで、ぽけっとしてるんですけど、バレエに関することだと、コンクールで落ちたときのこととか、悔しい話がたくさんあって、ぽろぽろっと泣きはじめたりする。ああ、この子はバレエが感情の基点なんだなって思いましたね。
彼女以外にも何人か、バレエを真剣にやっている子たちに取材をしたんですけれど、「バレエがなかったら生きていけない」という言葉を何度も聞きました。

バレエの先生と生徒の
強い結びつきから生まれるもの

――映画では、一果ちゃんがバレエに夢中になって、めきめきと上達していく過程がリアルに描かれています。コンクールでオデットのヴァリエーションを踊るシーンも出てきますね。

内田 本当は、ニューヨークのYAGP本選会場で彼女に踊ってもらう予定だったんです。結局、新型コロナの感染拡大でロケは断念せざるをえなかったんですが、逆にじっくり撮影することができました。実は樹咲ちゃん、オデットのヴァリエーションは踊ったことがなくて、相当練習が必要だった。撮影開始前からクランクアップまで1年近く、バレエ監修の千歳美香子先生がつきっきりで指導されていました。

――オデット、ジュニアには難しいヴァリエーションですよね。

内田 当初は彼女自身も不安を抱えていたと思いますが、ラストシーンまでにかなり上手になっているんです。ジャイロキネシスにも取り組んで、背中にもきれいに筋肉がついた。それに、撮影中に身長が5センチも伸びたんですよ(笑)。

――いろんな意味で、「今」しか撮れない映画だったんですね。

内田 実はトゥシューズも、途中で先の細いものに変えているんです。千歳先生に「今のシューズではきれいに見えないし、上手にならないと思う。でも今変えると慣らすのに時間がかかってラストシーンの撮影に間に合わないかもしれない。監督、どうしますか?」と言われて僕も焦りました(笑)。結果的には、新しいシューズでしっかりと踊っています。新型コロナで練習期間をゆっくり取れたことが、かえってチャンスにつながったかなと。

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©2020 Midnight Swan Film Partners

――そういえば、真飛聖さんが演じたバレエの先生にもすごくリアリティがありました。

内田 バレエの先生と生徒の関係には独特なものがありますね。バレエの先生方に何人か取材させていただいたんですが、生徒への入り込み方がすごい。レッスンでよく見かけるのは......えーと、言葉は悪いんですけど、こう、ヤンキーがガンつけてるようなポーズで、なめるように見る(笑)。

――わかります(笑)。怖いですよね。

内田 怖い(笑)。でも、本気で指導するにはそこまで集中する必要があるんだなと。先生との関係がいかに大切かという話は生徒側からも聞きました。真飛さんは宝塚出身でもちろんバレエ経験者ですけれど、役づくりはむずかしかったですね。実は監修の千歳先生をそのまま参考にしてくださいとお伝えしたんですよ。まっすぐで上品な感じが出ているかなと思います。

大好きな世界に向かって解放されていく。
そんな終わり方にしたかった

――他のキャラクターも魅力的です。個人的には一果のバレエ教室の友だちで、家は裕福だけれどいろいろな葛藤を抱えたりんちゃん(上野鈴華)が気になりました。

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内田 りんの配役もむずかしかったんです。一果役の樹咲ちゃんと逆で、上野さんは演技経験はあるけれど、バレエには長いブランクがあったので、たくさん練習してもらいました。樹咲ちゃんに対して、最初は上野さんのほうが「お姉さん」という感じだったのですが、バレエの実力は樹咲ちゃんのほうが上ですから、撮影中にどんどん彼女を見る目が変わってきた。そこが、役柄上のりんと一果の関係とリンクしていましたね。

――愛情は持っているのに育児放棄してしまう一果の母(水川あさみ)、バレエ教育に熱心なりんの母(佐藤江梨子)、息子の生き方を受け入れられない凪沙の母(根岸季衣)、そして、一果の母になりたいと願い、自分を犠牲にしてもバレリーナへの夢を応援したいと願う凪沙と、さまざまな「お母さん」像が登場し、「育てる」ことの大切さや難しさがたっぷりと描かれています。そんな中でも、バレエシーンはみな美しくて "希望の光"のように思えました。たとえば夜の公園で、一果ちゃんが凪沙にバレエを教えるシーンとか。

内田 公園のシーンはもともとあったんですが、凪沙が「バレエ、教えなさいよ」と言い出すあたりからはアドリブなんです。脚本にないやり取りだから、素の樹咲ちゃんが出てる。一果は広島弁という設定だけど、あそこだけちょっと都会っ子なんですよ(笑)。

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公園のシーン撮影風景
©2020 Midnight Swan Film Partners

――最後に、読者の方へメッセージをお願いします。

内田 バレエほど厳しい踊りはないと思います。でも、その厳しさを越えようとする姿は美しいと思う。今回は悲しい物語になりましたが、一果ちゃんが大好きなバレエという世界を見つけて、そこへ向かって解放されていくという終わり方にしたかったんです。
ダンスをやっている方にぜひ観ていただきたいです。バレエを習っている子どもたちや、そのご家族のかたにもぜひ!
実は、もう1本バレエ映画を撮りたいんですよね......。次は男性の主人公がいいかなと。

――それは楽しみです。今日はどうもありがとうございました。

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©2020 Midnight Swan Film Partners

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©2020 Midnight Swan Film Partners

なお、ヒューストン・バレエのプリンシパル・飯島望未からは、さっそく以下のような感想が届いている。ほかにも、バレエ・ダンス界から支持の声が続々(くわしくは公式HP参照)。バレエを愛する人にはさらに深い印象を残す、そんな映画に違いない。

『ミッドナイトスワン』公式サイト
midnightswan-movie.com

ネグレクト、貧困、差別など本当に様々な問題が描かれていて、それらを凪沙は一果の唯一の光だったバレエを奪いたくない気持ち、一果の母になりたいという真っ直ぐな母性愛で全てを吸収しているように感じました。
お互いに孤独だったからこそ共有できる愛があるのだなと思いました。
この映画ではバレエの描写は女の子だけの世界ですが、バレエはジェンダーの役割がはっきり区別されているジャンルのダンスだと思います。
私自身ジェンダーやバレエの在り方について考えさせられました。
一果の踊りが美しいのはもちろん、音楽もとても温かく心地良いけれど、どこか影があるような心にグッとくるピアノ曲でした。
是非この悲しくも美しい物語を多くの方に観て頂きたいです。

飯島望未(バレエダンサー)

内田英治
ブラジル・リオデジャネイロ生まれ。週刊プレイボーイ記者を経て99年「教習所物語」(TBS)で脚本家デビュー。14年「グレイトフルデッド」はゆうばり国際ファンタスティック映画祭、ブリュッセル・ファンタスティック映画祭などで評価され、16年「下衆の愛」は東京国際映画祭、ロッテルダム国際映画祭をはじめ、世界30以上の映画祭にて上映された。近年はNETFLIX「全裸監督」の脚本・監督を手がけている。

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