シェイクスピア『じゃじゃ馬馴らし』のバレエ、シュツットガルト・バレエのクランコ版とモンテカルロ・バレエのマイヨー版について

ワールドレポート/東京

佐々木 三重子 Text by Mieko Sasaki

シェイクスピアの戯曲の幾つかはオペラなど音楽作品にもなって親しまれており、またバレエ化された作品もある。最も多くの振付家によってバレエ化されているのは『ロミオとジュリエット』で、次が『真夏の夜の夢』ではないだろうか。
モナコ公国モンテカルロ・バレエ団の芸術監督、ジャン=クリストフ・マイヨーは、この両方をバレエ化しているが、他にバレエ化の例が少ない『じゃじゃ馬馴らし』も手掛けている。ボリショイ・バレエの委嘱により2014年に振付けたものだが、2017年に自身のモンテカルロ・バレエ団で上演する際に群舞などを大幅に改訂したという。それにしても、あのボリショイが、マイヨーという極めて斬新な舞踊表現や創意あふれる演出で知られる鬼才に委嘱するとは意外に思ったが、当時、芸術監督を務めていたセルゲイ・フィーリンによる、ボリショイの刷新を図ろうとする英断だったのだろう。
マイヨーは古典バレエであれ文学作品であれ、独自の解釈を加えて提示するのが常であり、加えてこの作品はいくらでも面白おかしく演出できそうなだけに、彼がこのコメディーをどう舞台化したか、大いに興味をそそられる。そのマイヨー版『じゃじゃ馬馴らし』、実は、11月にモンテカルロ・バレエ団が来日して日本初演する予定だったのだが、新型コロナの感染拡大によりヨーロッパからの入国制限が緩和される見通しが立たず、やむなく中止と決まった。なお、『じゃじゃ馬馴らし』はバレエ化の例が少ないと書いたが、物語バレエの偉才とうたわれたジョン・クランコは、1969年に自身のシュツットガルト・バレエ団のために振付けており、コミック・バレエの傑作として定評を得ている。クランコ版は、1984年、同バレエ団により日本初演され、近年では2012年にも上演された。それだけに、半世紀も前に創られたクランコ版と最新のマイヨー版を比べる楽しみもあり、モンテカルロ・バレエ団の来演は注目を集めていた。それなのに中止とは残念極まりない。そこで、クランコ版の紹介を通じて、いつか見られるであろうマイヨー版へと話題を繋いでみたいと思う。

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photo/Kiyonori Hasegawa(クランコ版)

クランコ版の『じゃじゃ馬馴らし』では、スカルラッティの音楽にのせ、短いエピソードを淀みなく連ねる形でドラマが展開される。
あら筋は、富豪バプティスタの長女で強情なじゃじゃ馬のキャタリーナが、豪放なペトルーチオの持参金目当ての強引な求婚を受け入れてしまい、夫に馴らされて従順な花嫁になり、周りが驚くほど理想的なカップルになるというもの。これに、キャタリーナの妹で淑やかなビアンカや、次女より長女の結婚が先だと宣言するバプティスタ、ビアンカの心を射止めようと争う三者三様の求婚者たちが幾重にも絡んで喜劇性を高めていく。1984年の日本初演では、クランコのミューズと称され、若くして没したクランコの後を継ぐ形でバレエ団の芸術監督を務めていたマリシア・ハイデと、その名パートナーのリチャード・クラガンという最高のコンビが主演し、正に抱腹絶倒の舞台を繰り広げてみせた。

冒頭、キャタリーナ役のハイデはビアンカの求婚者たちがセレナーデを奏でるのを遮って暴れまくる。ベタ足で歩き回り、人を蹴散らす様は何とも痛快だった。それにしても、どの場面でも登場人物たちの動きが台詞のやりとりのように聞こえてくるのには驚かされた。踊りで印象深いのは、主役二人による三つのパ・ド・ドゥである。ペトルーチオの執拗な求婚にキャタリーナが激しく抵抗する最初のパ・ド・ドゥは、さながらバトルのよう。新婚生活はペトルーチオによるキャタリーナの"調教"で幕開けするが、これが二つめのパ・ド・ドゥ。ペトルーチオの荒っぽい扱いに必死にあらがうキャタリーナだが、彼の肩に乗せられると顔をしかめながらも腕を羽ばたかせてみせるなど、次第に合わせることに楽しさを覚え、互いの良さに目を向け、睦まじく協和していく。"女優バレリーナ"と称賛されたハイデだけに、暴れた後にのぞかせた遣り場のない憤りや、花嫁衣裳に身を包んだ時のしおらしさ、勝手の違う新婚生活でみせた哀れなほどの心細さなど、キャタリーナの心の機微を鮮やかに表現していたのに感心するばかりだった。

三つ目のパ・ド・ドゥは妹ビアンカの結婚式に招かれた時に踊られるもので、夫婦がたどりついた至福の境地を具現化していた。従順な妻を善しとするシェイクスピアの時代の規範が21世紀の今日にどうなのかはさておき、クランコは、一見乱暴なキャタリーナに素直さや繊細さ見出し、一見傍若無人なペトルーチオが持つ優しさや包容力に焦点を当てている。外見に惑わされることなく、相手の美点を見出し互いに慈しむ姿に向けられた、クランコの温かな眼差しが心に残る幕切れだった。

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photo/Alice Blangero(マイヨー版)

さて、マイヨー版の『じゃじゃ馬馴らし』はどの様に仕上がっているのだろう。公演のチラシによると、第1幕のキャタリーナとペトルーチオが結婚するまではコメディタッチで描いているというので、一体どんなふうに笑いを誘ってくれるか、想像するだけで楽しくなる。マイヨーの個性が際立つのは、二人の結婚生活が描かれる第2幕に違いない。なぜなら「似た者同士の男女の探り合いから和解までを、独創的で官能的な舞踊言語を駆使して」描いたそうだから。もともとボリショイのダンサーに振付けた作品だけに、高度のテクニックが満載の、緊迫感あふれる丁々発止のやりとりが、官能的な味付けを施されて、息継ぐ間もなく展開されるのだろう。
エピローグでは、理想的なカップルになった二人のデュエットが用意されている。なお、マイヨーが二人を「似た者同士の男女」ととらえていることは気になった。妻が夫に従うのを理想とした昔の社会通念とは異なる、妻と夫が互角ないしは対等という今日的な夫婦関係を暗示しているように感じられるからだ。使用した音楽も、中世の楽曲ではなく、主に20世紀のショスタコーヴィチの映画音楽というのも、今日性を意識したように思える。エピローグで流れる音楽が、往年のヒットソング『二人でお茶を』をショスタコーヴィチが管弦楽用に編曲した『タヒチ・トロット』というのも、味のある選曲だろう。

『じゃじゃ馬馴らし』のヒロインはキャタリーナだが、妹のビアンカがどう描かれているかも気になるところ。乱暴で気難しい姉とは対照的に、ビアンカは優雅で優しく従順と、当時の理想の女性として登場することになっている。求婚者が三人いるが、マイヨーが彼らをどう扱っているかも興味を引く。老齢の貴族グレミオと、お洒落や世間体を気にするダンディーなホーテンショー、そして良家の子息のルーセンショーで、三人がビアンカの心を得ようと奮戦する様も見どころだろう。
また、マイヨーの舞台は特定の場所や時代設定にこだわることはなく、いつも大胆なほど斬新な美術と衣装で目を奪う。例えば、『シンデレラ』では、シンデレラにガラスの靴は履かせず、素足の足先を金粉で美しくまぶして踊らせたし、『ラ・ベル(眠れる森の美女)』では、オーロラ姫を巨大な透明のバルーンに包み込んで登場させるといった具合だ。『じゃじゃ馬馴らし』の衣装はモダンなようだが、どんな刺激的な美術で舞台化したかも見ものだろう。興味の対象は尽きないだけに、コロナ禍が早く収まり、モンテカルロ・バレエ団の来日が実現するよう願うばかりだ。

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