新国立劇場の『イヌビト』、新型コロナ禍の深刻な現実を洒脱なステージングで見事に描いた舞台

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

『イヌビト〜犬人〜』

長塚圭史:作・演出、近藤良平:振付

新国立劇場の演劇が「こどもも大人も楽しめるシリーズ」として、7月に上演した『願いがかなうぐつぐつカクテル』に続いて、長塚圭史の作・演出『イヌビト〜犬人〜』を上演した。新国立中劇場の客席はソーシャルディスタンスを守っているので、かつての満員とは少々表情は異なっていたが、観客の熱い視線の矢が集中して舞台に注がれていた。バレエ公演ばかり観ている私は、演劇の舞台を観ることは少ない。しかし、多くのダンサーが参加しているから、とお誘いを受けて観せていただいた。
私にとっては、新型コロナウイルス感染拡大をしっかりと見据えた創作に向き合うことは、ダンスはもちろん映画やテレビや小説などを含めて、今回がまったく初めてであった。そのためだろうか、何かドキドキする「存在の実感」のような感覚を胸の奥に感じながら観た。近年ではほとんど味わったことのない、独特のライヴ感覚があったのだ。それはスタッフ・キャスト全員が一体となって、この舞台で訴えたいと願った切実な意欲が醸したものだろうと推測できる。

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撮影/細野晋司(すべて)

俳優の松たか子など共に、コンテンポラリー・ダンサーの首藤康之、近藤良平、島地保武、そして他の出演者のほとんどがダンサーであり、俳優でもあると言ったキャスティングだった。長塚はアントニオ・ガデスの公演を観て、ダンス表現を積極的に活用するステージングを思い付いた、と公演プログラムの中で語っている。
登場人物の配置は動きの流れというか、方向性を重視したものであり、人物の流れと共に背景の影絵のような街のセットが自在に動き、まるで一緒に踊っているかのよう(美術:木津潤平)。ダンスと歌、ユーモラスなセリフの掛け合い、そして犬化した人々の牙を剥いて唸る凶暴な声の合唱を渾然とさせ、今日の私たちが陥っているカオスを暗示している。しかし、舞台が現す重苦しい現実とは裏腹に、歯切れよく軽快なステージングだ。深刻な現実を「僕の持っているストーリーラインを身体にどう落とし込むか」考えた結果の適切な方法(ダンスコメディ)によって、浮かび上がらせているのである(音楽/阿部海太郎)。
ドラマの展開とともに、犬をペットとして生きるあるいは生きざるを得ない人間と、その社会に蔓延する感染症の実態。かつてSF映画などで見られた、検疫官自身も感染しているのかどうかわからなくなってしまう、という視界ゼロの疑心暗鬼が渦巻く中で、次第に感染症・イヌビト病の症状があちこちで顕在化する。そしてこの街にやってきた田中家(自然を愛するタナカ/首藤、貞淑な妻/島地、無口な息子/西山友貴)にも、危機がひしひしと迫ってくる。さらにヒトからヒトへの感染も明らかになり、その感染症のある種レミング的な意味合いも明らかになってきて、身の毛もよだつ、にっちもさっちもいかない絶望的な状況に全員が陥った。
しかし、その暗黒の八方塞がりの中、かつて人間と犬を歴史的に結びつけてきた「きずな」が機能する・・・という気の利いたエンディング。舞台を体験した観客は、ひとたびは救われたのだった。

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ダンサーたちの活躍は素晴らしかった。まるでお隣に暮らしているような田中さんが犬を介した感染症が蔓延するエリアにやって来て、息子の愛するペットを守る父親を演じた首藤にはシンパシイを感じた。そのオドオドした日常を過ごしていた人が最後に発症した際の迫力は、まさに驚異だった。保健所の人とテリヤに扮した岩渕貞太は、長髪をもうひとつ別の手があるようにふり乱してエネルギー溢れる演技。唸り声も見事だった。田中の妻、ツマコを演じた島地保武。最初はずっと女性が扮しているもの、と思い込まされていたほどディテールまでも巧みだった。ネタモト夫妻は碓井菜央と柴一平、ウワサバヤシ夫妻は入手杏奈と黒須育海。彼らが田中一家を迎えた時の二つの夫妻の動きは、ソーシャルディスタンスを意識的に生かしつつ関係を表す見事な展開。前半の見せ場だった。ソーシャルディスタンスという考えがなければ、このシーンは生まれなかった。私たちの内にも知らず知らずのうちに、ソーシャルディスタンスという距離感が自然と身についていたのである。
そして振付を手掛け、保健所の人と古代犬サルキを演じた近藤良平は、牙を剥き出した犬軍団の心のやり場のない踊りでは、圧巻の見せ場をつくった。彼は愛犬家でもあるというが、人間と犬が古代より深い絆で結ばれているがために、深く胸に響く踊りだった。ここが後半の見せ場である。松たか子らの俳優たちもまた、際立った芝居を見せた。この芝居の案内係と二役の害獣駆除の専門家マツダ タケコに扮し、その助手、ジョシュモトに扮した長塚に厳しい指示を与えるところなどでは、実はやはり血に飢えているのではないか、とも感じられて凄みがあり恐ろしかった。
「ウィズコロナ」という日常は、私たちには果たして可能なのだろうか? この深刻な現実について深く考えさせられた舞台であり、かつまた、大いに楽しめた舞台でもあった。
(2020年8月16日マチネ 新国立中劇場)

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撮影/細野晋司(すべて)

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