夢が叶って憧れの英国ロイヤル・バレエに入団する五十嵐大地=インタビュー「毎日がオーディションだと思って頑張った」

ワールドレポート/東京

インタビュー=香月 圭

英国ロイヤル・バレエ・スクールを首席で卒業し、ニネット・ド・ヴァロワ賞を受賞した五十嵐大地。さらに英国ロイヤル・バレエ入団の夢も叶えた。目の前の目標にひとつひとつ全力で努力してきた積み重ねが現在の集大成となって結実している。踊りには眩しいほどの生命力がほとばしる。渡英準備で忙しい合間を縫って、留学生活や今後のことなどについて語ってくれた。

――ご出身の新潟バレエスクール(新潟市西区のバレエスタジオ 校長:マサコ・カブラギ先生)の公演(2020年8月2日)で大地さんが踊ったのはどの作品でしたか。

五十嵐 『パキータ』第3幕のリュシアンのヴァリエーションを踊りました。

――コロナウィルスの影響で日本でもほとんどバレエ公演が中止になりました。そんななかで開催され、観客の皆さんも待ち望んだものだったと思いますが、大地さんはどんなことを感じましたか。

五十嵐 2020年2月のローザンヌ国際バレエコンクールに英国ロイヤル・バレエ・スクールの代表として出演したとき以来、ずっと舞台はご無沙汰でした。世界中がロックダウンになった頃、学校の対面授業もできなくなり、各自の自宅で待機するように言われ、3月下旬頃からのイースター休暇の前に帰国しました。それ以後の三学期の授業はすべてZoomで行われました。自宅ではダンサーとして身体を維持できる最低限のトレーニングしかできませんでしたが、外出自粛も解けた頃スタジオでのレッスンも徐々に再開するようになり、やっと故郷での舞台に立つことができました。この公演のリハーサルで舞台に立ったときはブランクを感じたものの、大きい舞台で踊ることができるのは幸せなことだとあらためて思いました。日本で踊るのは6年ぶりで、ロイヤル・オペラ・ハウスに観に来てくれた母以外の家族やロンドンで僕の舞台を見ることができなかった方々に来ていただけたのがすごく嬉しかったです。

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『ラプソディ』五十嵐大地 ローザンヌ国際バレエコンクール2020 @PDL2020_Gregory Batardon

――留学中は日本の舞台で踊るチャンスがなかったのですね。

五十嵐 本当はローザンヌの舞台のあとオーチャード・ガラに出演する予定だったのですが、公演1週間前になってコロナの影響で帰国できなくなってしまったのです。日本のデビューはこの舞台だっただけに残念でした。世界中のバレエ・カンパニーの公演が未だ再開しないなか、僕の母校の公演が無事開催され、その舞台で踊れて本当によかったです。

――ご出身の新潟バレエスクールからは国内外で活躍するバレエ・ダンサーを数多く輩出しています。このスクール時代の思い出をお聞かせください。

五十嵐 4歳のときに習い事を始めようということで、サッカーとかヒップホップとかいろんなお稽古事の体験教室に連れられていったなかで、唯一泣かなかったのがバレエでした(笑)。その様子を見て母が「バレエやってみる?」と言ってレッスンを始めることになりました。実際、バレエは楽しいことばかりではないので通い出してすぐ泣いたりしたこともあったようですが、バレエは楽しいということを教えていただいたのがこのバレエスクールです。子どもは正直で自分が嫌だと思ったら続かないと思うのですが、僕がずっとバレエを続けてこられたのも、先生方が導いてくださったからだと今でもずっと感謝しています。

――英国ロイヤル・バレエ・スクールを首席で卒業すると同時にニネット・ド・ヴァロワ賞を受賞されました。おめでとうございます。どのように選考されたのか経緯をお教えください。

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英国ロイヤル・バレエ・スクール留学2年目、ホランド・パークでの『白鳥の湖』パ・ド・トロワPhoto by Courtesy of Daichi Ikarashi

五十嵐 学校のアーティスティック・スタッフに直接伺ったわけではないので、詳しい経緯はわからないのですが、踊りがすべてではなく、他の科目や生活態度などすべてにわたって模範となる卒業生に与えられる賞です。僕は毎日がオーディションで先生方に審査されているという意識で日々臨んでいました。

――卒業式がオンラインだったことについてどのように感じていますか。

五十嵐 英国ロイヤル・バレエ・スクールでも学校創設以来初めてのことだったそうです。でも僕自身はリアルの卒業式がなかったことにそれほど落胆していません。僕たちだけでなく世界中の多くの学校で卒業式がなくなったのですから。7月初めにZoomで卒業セレモニーが行われたのですが、テクノロジーの進化のおかげで家族がそばにいる日本から卒業式に参加できて、かえってよかったとも思います。どのような形であれ、この学校を無事卒業させていただいたことに感謝しています。

――英国ロイヤル・バレエへのご入団おめでとうございます! 英国ロイヤル・バレエ・スクール生でも狭き門ですが、どのように内定したのでしょうか。

五十嵐 アッパースクール3年生の最終アセスメント・テスト(ヴァリエーション、パ・ド・ドゥなどの演技披露)が昨年12月初旬頃で、会場にはケヴィン・オヘア(英国ロイヤル・バレエ芸術監督)やカルロス・アコスタ(バーミンガム・ロイヤル・バレエ芸術監督)などの先生方が来場されていました。これが実質のスタジオ・オーディションだと思って臨みました。それから2、3週間後、校長室に呼ばれてみると、ケヴィン・オヘア芸術監督が座っていらっしゃって「君は来シーズンから英国ロイヤル・バレエへの入団が決まったよ」と言われたのです。同じく入団が決まっている2名の同期男子生徒とBBCテレビにも出演しました。でも3年生の最終試験だけが決め手ではないと思います。アッパー1、2年生のときからカンパニーの先生方は公演やクラスの様子を見に来ていました。

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初めて英国ロイヤル・バレエ・スクールに登校した13歳の頃 Photo by Courtesy of Daichi Ikarashi

――アッパー1、2年生の学校公演の頃から大地さんは頭角を現していましたね。

五十嵐 昨年2月のチャールズ皇太子70歳のお誕生日祝賀公演でヤナーチェクの『利口な女狐の物語The Cunning Little Vixen』(スカーレット振付)にカエル役として出演したときがターニング・ポイントだったと思います。この大役には命を懸けて頑張りました。そのとき以降、ケヴィンさんには何度かコメントをいただくようになりました。

――2020年度ローザンヌ国際バレエコンクールで英国ロイヤル・バレエ・スクール代表としてゲスト出演され、フレデリック・アシュトンの『ラプソディ』のソロを踊られましたね。これは1980年エリザベス皇太后80歳のお誕生日の記念公演でバリシニコフとレスリー・コリアのためにアシュトンが振付けた抽象バレエで熊川哲也さん、吉田都さんも踊ってきた作品です。大地さんの舞台は踊る喜びが溢れて力みがなく、完全に自分のものとして踊っていらっしゃるようにお見受けしましたが、どのようにこの作品に取り組みましたか。 またコーチはどなたでしたか。

五十嵐 スティーヴン・マックレーと吉田都さんが日本のガラで踊ったショート・ヴァージョンをオリジナルとしています。アシュトンらしい細かい足さばきのステップが短いフレーズの中に高密度で詰め込まれていて、今まで踊ったなかで最もチャレンジングな役でした。オジリナルでは男性ダンサーは最初から最後まで一人なのですが、スクールの生徒には体力的に厳しいということで、ソロとデュエットの部分で出番を2人の男性ダンサーで分割することになりました。
バリシニコフや熊川さんが踊ってきた役を3年生になった僕に挑戦させていただく権利を与えていただいたことがとても嬉しかったですし、レスリー・コリア、ラウラ・モレーラ、僕の担任で去年までロイヤル・バレエに在籍したリカルド・セルベラなどに直接ご指導をいただけたことは、英国ロイヤル・バレエ・スクールでなければ不可能だったと思います。特にレスリーはアシュトンに直接振付をされた方なのでオリジナルのオリジナルという存在で、そういった方に直接コーチをしていただけたことは大変光栄に思っています。ロイヤルに入ってからはそういうことが当たり前になっていくのでしょうね。
この作品は振付が決まっているけれども、ある程度自由に自分の個性を出せる作品だとコーチの方々に言われました。バリシニコフにしても熊川哲也さんにしても一人一人スタイルが違いますね。僕も自分なりのオリジナリティを出そうと務めました。

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『ラプソディ』五十嵐大地 ローザンヌ国際バレエコンクール2020 @PDL2020_Gregory Batardon

――ローザンヌの舞台に立って感じたことをお聞かせください。

五十嵐 素晴らしいダンサーを多数輩出しているローザンヌ国際バレエコンクールに出るのは子どもの頃からの夢でした。英国ロイヤル・バレエ・スクールに入学してからはローザンヌ国際バレエコンクールで踊る機会はないと思っていましたが、2020年度ローザンヌ国際バレエコンクール決勝日(2020年2月8日)のゲストとしてキャスティングされ、現地に赴いてみると、コンクールならではの緊張感が漂っていて、小学生の頃のコンクールの日々を懐かしく思い出しました。コンクール参加者の皆さんの強靭なメンタリティーはすごいと感心しました。僕は英国ロイヤル・バレエ・スクールの学校代表として客演したのでコンクール参加者とは違う緊張を味わいましたが、夢の舞台に立つことができて観客の皆さんからかえってくるものが大きくてとても幸せでした。

――プロのバレエダンサーになろうと思ったのはいつ頃ですか。

五十嵐 小学校2年くらいでしょうか。熊川哲也さんの公演を観たり、東京バレエ団のボーイズのサマー・スクールに参加して、初めて男の子たちと一緒にバレエをしたときにとても楽しくて、プロになりたいという思いまではなかったかもしれませんが、バレエをもっと頑張ろうと思いました。

――海外留学なさったのはYAGP2013(プリコンペティティブ部門ホープ賞)がきっかけでしたか。

五十嵐 そうですね、小学4年生の頃から2ヶ月に1回くらいの割合で国内コンクールにたくさん出ていました。結果が出始めたのは小学6年くらいの時です。コンクールで知り合った男の子たちとはお互いライバルの立場ですが、いいモチベーションになりました。彼らとは今でも交流が続いています。熊川哲也さんの舞台を小さい頃見て英国ロイヤル・バレエに憧れていたものの、当時はとにかく目の前の目標をひとつずつこなすのに精一杯で、これからどうなるのか、どこに留学できるかなどまったくわからない状態でした。
YAGP2013でスカラシップをいただいて9歳から短期留学が始まりました。どこに行っても楽しくて、いろんな学校へいくたびに「ここに留学したい」と母に言っていた記憶があります。2周間程度のボーイズ・クラスで男の先生から教わったこと、それから様々な人との出会いというのが今では自分の財産になっています。その頃から世界に出たいと切実に願うようになりました。

――13歳から英国ロイヤル・バレエ・スクールに留学されました。きっかけをお教えください。

五十嵐 2014年英国ロイヤル・バレエ・スクールの大阪でのセミナーに参加したときにジェイ・ジョリー副校長先生(当時)から「我が校の11月の短期セミナーに来てみないか」とお誘いを受けて参加しました。その折、パウニ-先生から正式に留学しないかというお話を直接いただき、年が明けて2015年1月からロウアースクールへ留学しました。在籍したクラスは2日で飛び級し、最初は戸惑いましたが、その中にイギリス人で踊りが上手な男の子がいて、彼をお手本にしていきました(笑)。彼とは6年間、寮も同じで朝から晩までずっと一緒で、練習する役もシェアしたり、とても楽しかったです。泣き虫だった僕のメンタリティーもこの学校で鍛えられました。蔵健太先生は僕が留学して最初の2年間の担任でしたので、バレエやそれ以外の面でもお世話になりました。

――英国ロイヤル・バレエ・スクールでは日本で教わる機会が少ないクラスがありますね。

五十嵐 キャラクター・ダンス、コンテンポラリー、創作などは日本では教わらなかったので新鮮でした。キャラクター・ダンスもチャルダッシュ(ハンガリー)、スパニッシュ、マズルカ(ポ―ランド)などそれぞれ全く異なる踊りですが、ロイヤルの舞台に立つからには学校で基礎を教わっておいてよかったと思います。コンテンポラリーもクラシックとは体の使い方が全く違うので、プロになる前に体験しておいたほうがいいと思います。ソロ、デュエットなどの創作にもチャレンジしましたが、難しいですね。でもこれも貴重な体験でした。

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『ラプソディ』五十嵐大地 ローザンヌ国際バレエコンクール2020 @PDL2020_Gregory Batardon

――イギリスでの食事事情はいかがですか。日本食が恋しくなったときなど、ご自分でも料理をすることがありますか。

五十嵐 寮が閉まっている間、イギリスの一般家庭にホームステイすることもありましたが、そのとき出していただいた家庭料理は絶品でした。地元の人に美味しいお店へ連れていっていただきました。ロンドンは大都会なので日本食には事欠きません。アッパー生になってからは自炊していました。

――英国ロイヤル・バレエ・スクールの生徒同士やInstagramなどSNSでの仲間、先輩、後輩と交流しているようですね。

五十嵐 スクール生の仲間とは皆で集まって食事したりと楽しく過ごしています。先輩、後輩とも仲良しです。SNSでの交流もけっこう盛んで人脈が世界規模でスピーディーに広がっていくのを感じています。

――日本では通信制高校(明蓬館高校)にも在籍されていました。学内にもバレエ・ダンサーの方々が通学されていますね。英国ロイヤル・バレエ・スクールと平行して通学していたのですか。

五十嵐 僕はバレエ・ダンサーである前に一人の日本人として最低限の学歴は身につけておきたいと思ってこの学校を選びました。僕たちのように海外留学しながら日本の高校卒業資格を取得できるというダンサー志望の方々のためのコースもある学校です。それから英国ロイヤル・バレエ・スクールでも2017年からローハンプトン大学(University of Roehampton)との提携がスタートして、アッパースクール3年生を終了するとクラシック・バレエとダンスの学士号が取得できるようになりました。僕はその一期生です。勉強は大変でしたが無事学位が取れました。

――休みの日はどのように過ごしていますか。

五十嵐 小さい頃サッカーをやっていたので、見るのもプレーするのも好きです。ロウアー生のときは広いサッカーコートがあってとても恵まれていました。日本でもイギリスでも野球やサッカーを見るのはダンサーとしての日常から離れて気分転換になり、リラックスできます。でも周りにスポーツ好きな人が少ないのがちょっと残念です(笑)。

――好きなバレエ、振付家、やってみたい役はありますか。

五十嵐 その時々で好きなものは変わっていきますが、今は『不思議の国のアリス』と『ロミオとジュリエット』かな。最近見たなかでは「ボリショイ・バレエ in シネマ」でのラトマンスキー版『ジゼル』がとてもよかったです。グリゴローヴィチ・ヴァージョンはマイムがあまり多くないのですが、今回はマイムが多くてストーリー展開に説得力があったと思います。英国ロイヤル・バレエではロミオとソロル(『ラ・バヤデール』)を演じてみたいです。

――憧れのダンサー、目標とする人は誰ですか。

五十嵐 英国ロイヤル・バレエのどのプリンシパルもそれぞれ個性があって、この人が一番とは決められないです。ロイヤル・オペラ・ハウスの舞台に立つようになって、リハーサルでも自分の出番がないときは特等席で彼らの演技を間近で見ていました。スクールの生徒は英国ロイヤル・バレエの公演を無料で見られるので、在学中カンパニーの舞台をたくさん見ることができたのは貴重な思い出です。

――将来の目標・夢は?

五十嵐 まずは英国ロイヤル・バレエのプリンシパルになることが目下の目標です。ほかにもやりたいことはいろいろありますが、それはまたの機会に......。

――ロンドンでの新生活の準備は進んでいますか。

五十嵐 ビザが発給されたらすぐロンドンに向かいます。今度は友人とフラットをシェアする予定です。カンパニー(英国ロイヤル・バレエ)からは9月1日に来るようにとしか言われておらず、詳細は現地入りしてからになります。

――渡英前のお忙しいときにインタビューにお答えいただきありがとうございました。英国ロイヤル・バレエでの今後のご活躍を期待しております。

◆五十嵐大地(Daichi Ikarashi)Instagram
https://www.instagram.com/daichi_ikarashi/

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