東京バレエ団・斎藤友佳理芸術監督に聞く----新型コロナ禍の危機をいかに乗り切っていくか

ワールドレポート/東京

インタビュー=佐々木三重子 Text by Mieko Sasaki

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大によりバレエ界も深刻な影響を受け、特に緊急事態宣言の発令後は公演中止やスタジオの閉鎖を余儀なくされた。5月25日に全域で宣言が解除され、活動の回復が図られつつあるものの、ここ数日、特に東京での感染者の急増が危惧されている。そんな折、東京バレエ団の斎藤友佳理・芸術監督に、この新型コロナ禍にどう対処してきたか、どう乗り越えようとしているかを聞いた。

――東京バレエ団は、3月21日と22日に『ラ・シルフィード』の公演を行いました。とても素晴らしい公演でしたが、自粛の要請が強まる中で、大変だったのではないですか。

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© Nobuhiko Hikji

斎藤 多分、バレエ団の中では東京バレエ団が一番最後まで公演をしていたのではないかと思います。何かあったら責任を取らなければならなくなるし、精神的にとても辛い時期でした。でも、ダンサーが時間をかけて役作りをしてきたし、その過程を知っているだけに、「ハイ、やっぱり中止です」なんて言えなくて。皆、最後までよくやりました。観客の方だけでなく、ダンサーにスタッフ、オーケストラや劇場関係者も含めて約250人の方たちにもしものことがあったらと考えると、もう紙一重の差という思い......。ただ、海外から来る予定だった指揮者(ワレリー・オブジャニコフ)は、まだロシアは閉鎖されてはいませんでしたが、来なかったです。多分「今、日本に行ったら戻ってこられなくなるかもしれない」と判断されたのだと思います。そこで急遽、井田勝大さんに指揮をお願いして、『ラ・シルフィード』の公演はゲネプロも含めて無事に終えることができました。初日の主役は沖香菜子と秋元康臣でしたが、秋元君にとってジェイムズは初役だったし、どうしても彼に踊らせたいと思い続けていた役なので、そう簡単に引き下がる訳にいかなかったのです。でも、世間の目というか考え方との間に挟まれる形になり、すごく辛かったです。

――その前の2月末から3月初めにかけてのパリ・オペラ座バレエ団の日本公演も、開催が危ぶまれていましたが、NBSは実施しましたね。

斎藤 ダンサーやスタッフ、指揮者など、150人近い人を呼んできての引っ越し公演に近いものでしたし、確かに、公演はできないのではないかという噂は立っていました。けれどNBSの専務理事の髙橋典夫さんは、「こういう時期だからこそ、芸術が人々の癒しになる。芸術は必要なものなのだ」という強い信念を持っていらした。だからこそ、できたことでした。

――ゴールデンウイーク恒例の〈上野の森バレエホリデイ〉は、4月7日に首都圏を含む7都道府県に緊急事態宣言が出され、中止になりました。

斎藤 今年のメインは、『第九』をモーリス・ベジャール・バレエ団と一緒に上演することだったのに、合同公演ができなくなりました。東京バレエ団だけでできる作品ということで、『白鳥の湖』になりました。その変更をダンサーたちに伝えて、チケットを売り始めたところで、4月7日の緊急事態宣言です。ただ、それより前の、演目を変更した時点で、ダンサー全員を集めて伝えていました。「止めるのはいつでもできる。最初からやらないと決めてしまったら、我々の活動はそこで終わってしまう。踊ることは生きることなのだから、生きるためには常に踊る場を作らなければいけない。我々は活動を停止しないで継続していこう、最善の努力は尽くしていこう」と、事務局長である髙橋典夫さんが話してくれました。

でもね、私は『ラ・シルフィード』公演のころから辛かったんです。毎日、千葉や埼玉、横須賀や相模原など、遠くから通ってきているダンサーがいますから。コロナ感染の危険性が高いこのご時世に、特にラッシュ時の換気の良くない満員電車に乗せることを考えた時、一度は続けることになったけれど、このままいったら後で後悔する、このまま続けてはいけないと感じました。そこで、リハーサルの予定だった日に団員たちを集め、とことん話し合いました。事務局の方がいると思っていることが言えなくなるから、事務局の方は抜きにして。皆の意見を聞いた上で、その時点で一番ふさわしい選択をしたいと思いました。

4月に入団して3日ぐらいしかバレエ団で活動してない新人もいましたが、皆、オープンに話してくれました。「自分はいいけれど、一緒に住んでいる高齢のおばあちゃんにうつしてしまったらと、苦しい思いでいる」とか、「バレエ団には従わなければならないが、両親や家族には抵抗しなければならない」とか。また「リハーサルできるのは嬉しいけれど、自分たちだけやっていて良いのか後ろめたさも感じる」とか、「どこも中止の中で、ここに来ることだけが救い、ここだけが自分たちの居場所」という人もいました。一人ひとりがコロナに対して真剣に考えて行動しなければいけない時期で、どの意見が良い悪いということではありません。皆の意見を全部取り上げて髙橋さんと話し合い、4月6日に皆をもう一度集めて、政府の緊急事態宣言が出る、出ないにかかわらず、「新型コロナが落ち着くまでは一切出入り禁止」にしました。その翌日に緊急事態宣言が出たんですよね。あれ以上、皆を通常通りに続けさせることはできませんでした。皆の目には陰があったし、それぞれ家族との葛藤があってここに来ているんだということを肌でビシビシ感じていましたから。私自身も限界でした。

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© Kiyonori Hasegawa

――そこまで徹底的に話し合えること、そして皆の意見が取り上げられるというのは素晴らしいことですね。バレエ団とダンサーの信頼関係があればこそ、ですね。その後、活動再開はどのように進められたのですか。

斎藤 ゴールデンウイーク明けの5月11日から段階的に復旧しようとしていましたが、緊急事態宣言が延びたため、結局(全域で宣言が解除された)5月25日からスタジオを開放し、6月1日からレッスンを開始しました。自粛中、最初のうちは、今こういう状況ですと事務局に文書を書いてもらい、ダンサーに配信してもらっていました。でも文書だけ送るというのが段々心苦しくなってきて、今回初めて自撮りというのをして、皆に私からのメッセージを送るようにしました。スタジオを開放する時は、大小のスタジオを使う人数を決め、ひとり何時から何時までと時間割を作りました。私語は一切ナシ、飲食もナシ、シャワーも使用禁止、通路を決めて、入ったらここしか通ってはいけないとか。サイクルとサイクルの間隔を空け、十分に換気と消毒をする。それを1週間続け、6月1日からレッスンを開始しました。

普段は3クラスなのを倍の6クラスにしました。通常のクラスはプリンシパルなど階級毎に分けていますが、それを無視して、通勤に何時間かかるか、どこから来ているかを聞いて、ラッシュ時に合わないように時間割を組みました。感染者数が減った段階で6クラスを4クラスに減らし、6月末か7月の頭には階級別のクラスに戻したかった。でも感染者数が増えてしまい、今は戻す時期ではないと、そのままの形で続けています。誰かがコロナに罹ったらおしまいというふうに思われがちですが、罹りたくて罹る人なんていません。だから皆に言っています、「罹ったからといって隠したりしないで、お願いだから正直に私に言ってね」と。誰が罹ってもおかしくない世の中だから、罹ったからといって、その人が悪者にされたら可哀そうだし、その人のせいで公演が中止になったなんて思われたら、それこそ可哀そう。そんなことは絶対あってはいけないと思っています。

――ところで、〈上野の森バレエホリデイ〉は中止されましたが、初めてオンライン開催が試みられました。東京バレエ団や他のバレエ団の公演の映像や、菅井円加さんやオニール八菜さんたち海外で活躍されているダンサーのインタビュー、東京バレエ団のダンサーたちのレッスンやエクササイズ公開など、多彩な内容に予想を超えた大きな反響がありました。

斎藤 嬉しいです。もっと早くに切り替えることが分かっていたら、もっと準備ができたでしょうね。今回の〈バレエホリデイ@home〉ですごく感じたのは、今は日本の国内のバレエ団が壁を取りはずして、バレエ界が一体になってやっていかなくてはいけない時ではないかということです。牧阿佐美バレヱ団や、金森穣さんのNoism、井上バレエ団や東京シティ・バレエ団、貞松・浜田バレエ団など、いろいろなバレエ団が参加してくれたことが一番の収穫だと感じています。これからは、そういうふうにバレエ界が一体となり、それぞれの持ち味で高いレベルのものを求めていかなくてはと思います。今回はすごく良いチャンスになりました。

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© Kiyonori Hasegawa

――これからの公演というと、8月8〜10日に恒例の〈めぐろバレエ祭り〉があり、9月26、27日に『ドン・キホーテ』があります。

斎藤 〈めぐろバレエ祭り〉は、本来ならいろいろなイベントがあったのですが、なくなったり制限されたりしています。メインの子供のためのバレエ『ねむれる森の美女』は半分しかお客さんを入れられません。でもオンライン・イベント(バレエ・レッスンやレア映像配信など)はコロナでもできるじゃないですか。「スーパーバレエ MIX BON踊り」も今回はZoomです。また、ダンサーが創った作品を発表する「コレオグラフィック・プロジェクト」の公演が急遽できることになりました。私が始めた企画ですが、2017年から今までに創られた作品を全部お見せします。『ドン・キホーテ』は、7月に上演する予定だったのを9月に延期したものです。自粛期間が終わって5週間もあれば皆の身体が戻るかなと思っていたのですが、甘かった! 9月にしてよかったです。もし、予定どおりに明日(7月18日)が本番だったら、みんな壊れると思いますよ。精神的にも余裕がないと良い踊りはできませんしね。

――自粛中やレッスンを再開してみて、どんなことに気付かれましたか。

斎藤 そうですね、ダンサーたちは出入り禁止になって初めて「当たり前だったことが当たり前じゃなかった、自分たちは何と恵まれていたのか」と気付いたようです。だからこそ毎回のレッスンやリハーサルに、皆の熱意を感じます。
また、休みに入る前に、「私の唯一の願いは、中身を充実させて欲しいということです」と言いました。10月に『M』を上演しますが、これと取り組むには最低限の三島由紀夫の小説を読んでいて欲しいし、そこから更に同時代の作家を読むとか、どんな時代でどんな人がいたのかなど、知ろうと思ったらいくらでも広がります。枝葉を伸ばすようにして知ったことは、最後に必ずどこかで交わるところがあるんですよね。皆にはいつもそう言っています。この自粛中、中身が変わったと感じる子が何人かいます。その子の目を見れば分かります。この子はただ休んでいたんじゃない、本当に自分の内面を磨こうとしていたのだと。自粛の時間をどう過ごしたかで、新型コロナが落ち着いた後に伸びる子は伸びるし、落ちる子は落ちる。この期間にどう中身を充実させたかは、私たち一人ひとりに問われているような気がします。

――モーリス・ベジャールの『M』のお話しがでましたが、三島由紀夫の没後50周年を記念しての公演で、バレエ団としては10年振りの上演になりますね。

斎藤『M』は東京バレエ団の宝だと思っています。三島由紀夫、モーリス・ベジャール、黛敏郎の三つのM。私自身は初演(1993年)に携わっていないんですが、今のうちに『M』を再演しないとね。私の時代に『M』が消滅してしまったと思われたくないし、オリジナル作品は本当に大切だと思っていますから。公演活動で今一番大きな問題は、ヨーロッパから指導者やダンサーが来ないと上演できない作品は、今は実現できないということです。そういう作品は今の新型コロナの時代には合ってない、ということがよく分かりました。だからこそ、東京バレエ団だけで進められる作品をセレクトしていかなければなりません。でないと、予定は立てたものの実現できなくなることを想定しなければならなくなります。『M』に関しては、初演時に踊った方たち、団長の飯田宗孝先生を筆頭に、佐野志織先生や木村和夫さん、特別団員の高岸直樹君や吉岡美佳さん、初演時にベジャールのアシスタントを務めて下さった小林十市さんなど、素晴らしいスタッフが周りにいてくれているので助かります。表面的でない部分は初演時に携わった方たちが一番よく知っているので、それを現在の東京バレエ団のダンサーに伝えて、さらに60周年とか百周年にまで伝えていかなければなりません。バレエって伝承芸術ですから。『M』に関しては、そういうふうに継承していきたいです。

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東京バレエ団「M」© Kiyonori Hasegawa

――そして12月は斎藤芸術監督が自ら手掛けた『くるみ割り人形』の再演ですね。

斎藤 『くるみ割り人形』は、去年、本当に大変な思いをして新制作して良かったと思います。髙橋さんが準備に一年もないのに新制作と発表してしまったからなのですが、今年だったら絶対できないもの。装置も作れないし、ロシアに飛んでいって向こうの職人とやりとりするのも、まず無理です。去年きちんと創り上げることができて、本当に良かったと思っています。

――新型コロナの影響で、これからの公演活動はどのように変わるのでしょうか、また、将来への展望は?

斎藤 これからの公演は、Aパターン、Bパターン、Cパターンと常に考えないといけなくなるでしょう。Aパターンは、すべてがうまくいっている時。Bパターンは観客数が百人までとか、何か規制が掛かった時。そうなった時に赤字を出さないでどうやるか。Cパターンは無観客の時。その時はどうするか。実際には、事務局の方が大変になりますね。

展望というか、私がしなければならないことは、はっきりしています。どこからか何かを借りるとか、誰かの力を借りるという形を取らずに、東京バレエ団だけで上演できる作品を増やすことです。この8月で芸術監督になって5年目になるのですが、大きな作品で最初に手掛けたのは『白鳥の湖』で、今はこの装置も衣装も持っていますから、新型コロナの間でも自力でできます。 『海賊』は装置も衣装もないから自力ではできませんが、 『くるみ割り人形』は自力でできます。"自力"といっても全部ではなくても、例えばクランコの作品だったらクランコ財団の規律の中で、自力でできるようにしていくとか。とにかく、自分たちの力だけでできる作品を一つでも多く残さなくてはいけないと思っています。

もう一つの展望は、ダンサーたちに役者になって欲しいということです。動きが言葉になるように。それが、私が目指す芸術としてのバレエへの近道だと思っています。テクニック的にどうとか、クオリティーがとか、抽象的には言えますが、具体的に言ったら、より役者になって欲しいということ。そのために、若い子にはこれを踊らせて、それを卒業したら次はこれというふうに、頭の中では演目も決まっています。これ、絶対、実現させたいです。

繰り返しになりますが、私がしなければならないことは、一つでも多く自力でできる作品を東京バレエ団に残すこと。ダンサーに望むことは、パが言葉になるように努力して欲しいということ。それができるようになれば、私の目指す舞台が出来上がるような気がします。さらに先の展望というと、「コレオグラフィック・プロジェクト」です。私が勇気をもって始めたプロジェクトなので。作品を創るチャンスをダンサーに与えるのは素晴らしいことで、振付ける方も踊る方も、共に成長していると思います。人間関係も出来上がっていきますから。お話ししたように、今年の〈めぐろバレエ祭り〉での公演が決まりました。お客さんは少ないかもしれないけれど、でもね、皆、やりたいの、踊りたくてたまらないの。


後記:
当日はリハーサル後の疲れも見せず、いかに新型コロナと向き合ってきたかを熱心に語ってくれた。常にダンサーに寄り添い、"ダンサー・ファースト"で臨む姿勢がうかがえたが、また、東京バレエ団の芸術監督としてだけでなく、バレエ界を見渡す視線も示唆深かった。

◎公演詳細:東京バレエ団 公式サイト
第8回〈めぐろバレエ祭り〉公演延期・イベント中止について

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