アンジェロと踊ると「ケミストリーがある」と言われます、サンフランシスコ・バレエのプリンシパル、倉永美沙=インタビュー

ワールドレポート/東京

インタビュー=関口 紘一

----倉永さんは、ローザンヌ国際バレエコンクールで受賞されてサンフランシスコ・バレエの研修生になられましたが、最初からアメリカのバレエに関心を持たれていたのですか。

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倉永 「アメリカのバレエ」という意識はしていませんでした。ローザンヌの後サンフランシスコ・バレエを選んだのは、英国ロイヤル・バレエやアメリカン・バレエ・シアター(ABT)が希望だったのですけど、残念ながら選べませんでした。ですから当時、特に希望していたバレエ団に行ったということではなかったのです。その頃まだ私は、全然外国との繋がりがなくて、「サンフランシスコ・バレエの施設はいい」というような噂だけで選びました。

----そうでしたか。しかし、その後、スクール・オブ・アメリカン・バレエ(SAB)に行かれてますね。

倉永 サンフランシスコでは最初うまくなじめませんでした。いろいろな方に相談しましたところ、「アメリカではアメリカのスタイルをしっかりと習うべきだ。この国のスタイルを学ぶことが重要だよ」とアドバイスされました。それがきっかけで、バランシンが学べるSABに行こう、と決めたのです

----やはり、SABに行ってよかったですか。

倉永 最初は苦労しましたが、バランシンのスタイルを習得したからこそ、今の私があると思えるので良かったと思います。

----SABはロシア流も入っているのですよね。

倉永 そうですね、バランシンはサンクトペテルブルクのグルジア人ですから。当初はロシアの先生が多かったのですが、それから徐々にアメリカのスタイルが確立されたようですね。

----それからボストン・バレエに入団された時の芸術監督はミッコ・ニッシネンでしたね。16年間のボストン・バレエの体験はいかがでしたか。

倉永 たくさんのことを学ばせてもらった場所です。今、サンフランシスコ・バレエに移籍してきて、私はボストン・バレエで育ててもらったと実感しています。ボストン・バレエの練習の組み方は、たっぷり時間のある中で丁寧にコーチングをしてもらって、リハーサルして舞台に立つ。でも、サンフランシスコ・バレエはリハーサルの時間が少なく、舞台に立つまで十分な時間がなく、少ないリハーサルで、突然本番になってしまうことも多々あります。演目数もパフォーマンス数も多く、とても速いテンポのカンパニーです。もし18年前に私がここに留まって踊っていたとしたら、今の自分の踊りはできませんでした。時間をかけて練習を積み上げるより、早い時間で結果を出すことが必要とされるカンパニーなのです。
私がボストン・バレエに入団した時は、ミッコが芸術監督になって2年目だったので、彼がカンパニーを育てていく速度と、自分の成長のタイミングが同じような感じだったかな? と思います。彼の信頼を受けて、たくさんの役をいただき、一つ一つの役を丁寧に作り上げていくことができました。とても感謝しています。若いころだったら、いきなり舞台に立つような状況は怖気づいてしまったと思います。今は、突然舞台に立たないといけない状況でも、落ち着いて踊ることができます。ボストン・バレエで積み上げてきた経験が、今のサンフランシスコ・バレエで生かせています。

----ボストン・バレエのレパートリーはクラシック・バレエが中心ですか。

倉永 レパートリーは本当に幅が広くて、クラシック・バレエの全幕物からイリ・キリアンやウイリアム・フォーサイス、もちろんジョージ・バランシンやアシュトンなどもあります。元NDTのヨルマ・エーロがレジデント・コレオグラファーで新しい作品を振付けています。この素晴らしいレパートリーが、ボストン・バレエの魅力だと思います。カンパニーの規模は小さくても良いレパートリーがありバランスがとれているので、世界中のダンサーが集まってきています。

----ボストン・バレエからサンフランシスコ・バレエにプリンシパルとして移籍されたわけですが、アメリカ大陸の東部から西部の中心地へと移籍されたわけですね。街の雰囲気も違うと思いますが、バレエとしての違いというものはありますか。

倉永 ボストンの観客は、私も長年バレエ団におりましたので、おなじみのダンサーとして温かい拍手をいただいている感じを受けました。サンフランシスコの観客は冷静なニューヨークの観客と似ているかな?と思います。
私の出来が良くない日は、「新しいこの人は誰?」という感じで(笑)。目が肥えたバレエファンが多いのだと思います。

----バレエの演目としてはいかがですか。

倉永 レパートリーはボストン・バレエとは少し違います。でも、ミッコがサンフランシスコ・バレエのプリンシパルでしたから、組織の組み方が似ていると感じます。今シーズン、私が踊った演目でボストン・バレエと同じものは30パーセントくらいです。

----ヘルギ・トマソンですね、芸術監督は。長いですよね。

倉永 33年間です。

----長いですね。ギネスに載ってもいいんじゃないか、というくらいですね。トマソン自身も振付けていますね。

倉永 2019年7月に私がここにきてから、すでに彼の作品を3作品踊っています。

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「ロミオとジュリエット」アンジェロ・グレコと© Erik Tomasson.

----よくパートナーを組まれるダンサーはイタリア人ですね。

倉永 そうです。ミラノ・スカラ座バレエのソリストでしたが、サンフランシスコ・バレエに移籍し、5か月後にはプリンシパルに昇格しました。

----どうして彼はサンフランシスコを選んだのでしょうか。

倉永 サンフランシスコが好きだったらしいですが・・・。

----倉永さんと初めて踊られた時はドラマティックだった、とお聞きしました。

倉永 そうですね。最初の出会いはロベルト・ボッレ & フレンズ のツアーが夏にあるのですが、私は2年連続で出演していて、3年目の2018年に初めてアンジェロと一緒に踊りました。その時はそれほど意気投合したわけでもなかったのですが、不思議なダンサーだな、何かあるな、とは思っていました。その後、私の『くるみ割り人形』の客演のパートナーが次々と怪我してしまって、パートナーが見つからなかったときに、アンジェロのことを思い出して、お願いして彼と踊りました。
そこから完全に意気投合してしまって、「どうしたら一緒に踊れるんだろうね、ボストンには来られないし、私がサンフランシスコに行くことは無理だし」と冗談でおしゃべりしていました。
そしたら本当に突然、サンフランシスコ・バレエからオファーが来てしまいました! 2019年のオープニング・ガラでアンジェロがヘルギ・トマソン振付の『ソワレ・ミュージカル』を、サンフランシスコ・バレエのプリンシパルと踊る予定でしたが、彼の相手役が妊娠してしまったため、アンジェロがミッコに電話して「ミサに踊ってもらえないか」と相談して・・・(笑)。多分、ヘルギは私が18年前にサンフランシスコ・バレエに所属していたことはうっすらとくらいにしか覚えていなかったと思います。でも、私がアンジェロと一緒に踊った『くるみ割り人形』の映像を観てくださったみたいで、「ああ、このダンサーなら踊れるかな」と思ったようです。身長もぴったりあっているし。
ということで18年ぶりにサンフランシスコ・バレエに戻りました。

----ボッレのツアーでアンジェロと最初に踊った演目は何でしたか。

倉永 最初に踊ったのは、ボストン・バレエのヴァージョンの『くるみ割り人形』と『海賊』です。サンフランシスコ・バレエで最初に踊ったのは『ソワレ・ミュージカル』です。

----最近はアンジェロとパートナーとしてよく踊られているのでしょうか。

倉永 すべての幕物は今のところ、一緒に踊っています。短い作品は違うこともありますが。次はバランシンの『真夏の夜の夢』で一緒に踊りますし、『ジュエルズ』では「エメラルド」を一緒に踊ります。最後はヘルギの『ロミオとジュリエット』全幕ですが、これはコペンハーゲンのツアーで、すでに一緒に踊っています。それからABTとの共同制作で『四季』という作品があって、その「夏」のパートで彼と長いパ・ド・ドゥを踊る予定です。
今のところ、サンフランシスコ・バレエでは定着したパートナーは私とアンジェロくらいしかいません。ヘルギが「ふたりが踊る時はそれぞれが踊る時よりもいい、ケミストリーがある」と言ってくれます。特に全幕ものとなると相手役と強い信頼がないと踊るだけでなく演じる楽しさが味わえません。先週まで『エチュード』を踊っていたのですが、これはどちらかというとテクニックを重視したもの。『ロミオとジュリエット』などは相手役に恵まれることで、お客様に感動をお届けすることができると思います。

----他に現代の振付家ではどんな人が好きですか。

倉永 ノイマイヤーも好きです。彼が振付けたマーラーの『交響曲第3番』では、(役に名前はないのですが)ダンサーたちの間では「エンジェル」と呼ばれる主役を踊りました。この踊りは、今までにないタイプのもので心身共にチャレンジングでした。
クラシックを超えた深い意味合いをくださったのはフォーサイスとノイマイヤーのお二人です。将来はぜひ、ケネス・マクミランに挑戦したいと思っていますけど。

----これから世界で踊りたいと希望している若い日本人のダンサーに、何かアドバイスをお願いいたします。

倉永 今は、私がバレエを習っていた時代と比べてSNSが発達し、どういうカンパニーがどんな作品を上演しているか、ダンサーたちがどんな毎日を送っているかなど、わかる時代だと思います。昔はそういうものがなかったので、あまりよくわからないまま外国のカンパニーに飛びこむ、という感じでした。ソーシャルメディアをうまく使って、あこがれているバレリーナになりたい、という気持ちを育てることができます。もし、バレエが自分のキャリアだと信じているのであれば、貫いてほしいと思います。バレエを修得するためには辛いこともありますが、それを乗り越えなければいけません。それを乗り越えられるのは、やはり、バレエが好き、という強い想いが根底にあるからです。自分を信じて前に進んで行ってほしい、ただそれだけです。

----本日はお忙しいところ、とても興味深くまた有益なお話をありがとうございました。

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