激しく交錯する感情をぶつけあい、火花を散らすガニオとアルビッソンの演技が戦いのようだった、オペラ座バレエ『オネーギン』

ワールドレポート/東京

佐々木 三重子 Text by Mieko Sasaki

パリ・オペラ座バレエ団

『オネーギン』ジョン・クランコ:振付・演出

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© Kiyonori Hasegawa

新型コロナウィルスの感染拡大を防ごうと、各種のイベントや公演が軒並み中止され、海外からの公演団体の来日中止も相次ぐ中、パリ・オペラ座バレエ団が3年振りに来日を果たし、2月末から3月初めにかけて公演を行った。オレリー・デュポン芸術監督の下での2度目の来演で、同バレエ団が世界初演したロマンティック・バレエの名作『ジゼル』と、ジョン・クランコ振付によるドラマティック・バレエの傑作『オネーギン』を上演した。このうち、バレエ団のレパートリーに採り入れられたのが2009年と比較的新しく、日本で披露するのは初めてという『オネーギン』を観た。
ダブルキャストのタイトルロールは人気実力No.1のマチュー・ガニオと躍進目覚ましいユーゴ・マルシャンで、相手役のタチヤーナにはエトワールのアマンディーヌ・アルビッソンとドロテ・ジルベールが配された。このうち、『オネーギン』の本家であるシュツットガルト・バレエ団と共演済みのガニオがアルビッソンと組んだ日を選んだ。会場入り口には赤外線サーモグラフィが設置され、劇場スタッフや係員はマスク姿で応対、観客の多くもマスク着用という、一種異様な雰囲気だったが、幕が上がると新型コロナをすっかり忘れさせるような舞台が繰り広げられた。

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© Kiyonori Hasegawa

プーシキンの原作によるバレエ『オネーギン』は、1920年代のロシアを舞台に、サンクトペテルブルク育ちの洗練された青年オネーギンと純真な地主の娘タチヤーナの、それぞれの思いが哀しくもすれ違い移り変わる様を、「鏡」と「手紙」を効果的に用いて、ドラマティックに描いた全3幕の作品。チャイコフスキーは同じ題材でオペラ『エウゲニー・オネーギン』を作曲しているが、クランコはオペラの音楽は一切使わず、代わりにチャイコフスキーの他の楽曲を用いてロシア情緒を濃厚に醸している。また、緻密に構成された踊りで雄弁にドラマを進めるだけでなく、その踊りに登場人物の心の奥底の微妙な心理を浮き上がらせてもいる。その巧みな手腕に今回も感服したが、主役の二人はもちろん、オネーギンの友人レンスキーと婚約者でタチヤーナの妹オリガ、タチヤーナの夫となるグレーミン公爵を演じたダンサーたちが、それぞれの人物像に深く迫っていたのにも感心した。

ヒロインのタチヤーナは、内気で慎み深いが、いつも文学の世界に浸っているような少女で、鏡をのぞくと恋する人が現れるという遊びで、鏡の中にオネーギンの姿を見て驚き、一瞬のうちに貴公子然とした青年に恋してしまう。アマンディーヌ・アルビッソンは、そんな多感なタチヤーナになりきっていた。オネーギンのマチュー・ガニオは、優雅な立ち振る舞いの中に、厭世観にとらわれたような物憂さを滲ませた。ガニオがソロで見せた跳躍はこの上なく美しかったが、一方で、タチヤーナが読んでいた本を手に取り一瞥し、そっと鼻で笑って返す仕草や、彼女の腕を取りながら素っ気なくあしらう様に、オネーギンの慇懃無礼な人となりを伝えていた。瑞々しくレンスキーを演じたジェルマン・ルーヴェも秀逸だった。ソロではしなやかにラインを描くジャンプで印象づけ、オリガのレオノール・ボラックとのデュエットでは恋する喜びを素直にうたい上げたが、後に起こる悲劇の前だけに、二人にとっての幸せなひと時を刻印するようにみえた。

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© Kiyonori Hasegawa

タチヤ―ナの寝室の場での"鏡のパ・ド・ドゥ"は見せ場の一つ。
タチヤーナはオネーギンに恋文をしたためるが上手く書けず、鏡をのぞきこむとオネーギンが抜け出してきて一緒に踊るという心憎い演出。未婚の女性が男性に手紙を出すなど非常識とされていた時代だけに、アルビッソンはタチヤーナの大胆さを素直な情熱のほとばしりとして受け止め、オネーギンにリフトされ、身体をクルッと回されて受け止められるたびに高揚し、喜びに身を委ねていく様を全身で表していたが、しなやかな身のこなしと美しい足先が際立っていた。ガニオは、ここではタチヤーナが夢想するままのオネーギンを演じていた。

第2幕のタチヤーナの誕生日を祝う会は、悲劇の歯車が回りだす転換点。
退屈を持て余すオネーギンは傍若無人に振る舞い、タチヤーナからの恋文を破いて彼女の手にのせ、オリガを執拗に踊りに誘ってレンスキーの怒りを爆発させ、彼と決闘する羽目になる。ガニオからは、「こんなことで決闘を?」とレンスキーを見下すような態度がうかがえた。また、一途に思い詰めてしまう真面目なレンスキーのルーヴェと、悪気なくオネーギンの誘いに乗る無邪気なオリガのボラックの演技が好対照を成していた。タチヤーナを気遣い優しくエスコートする、オドリック・ベザール演じるグレーミン公爵も存在感を示していた。決闘の場でルーヴェが背中を反らせて踊るレンスキーのソロには、哀しみや苦しみ、後悔などあらゆる思いが込められていて、見ていて胸が痛んだ。全く同じ衣装で駆け付けたタチヤーナとオリガが決闘を止めようと狂おしく踊る姿は何とも異様だった。考え直すよう促すオネーギンを拒否したレンスキーは撃たれて命を落とす。そこで初めて激しく後悔するオネーギンだが、決然と彼と対峙するタチヤーナの目には憎悪と哀れみが入り混じっているようで、今やオネーギンより優位なことを示していた。

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© Kiyonori Hasegawa

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第3幕は数年後のサンクトペテルブルク。
オネーギンはグレーミン公爵邸の舞踏会で侯爵夫人となったタチヤーナと再会し、その崇高な美しさに衝撃を受け、彼女に愛を告白する手紙を送るが、今度は彼が拒絶されて幕となるが、ここでは"手紙のパ・ド・ドゥ"が最大の見せ場になっている。それだけでなく、タチヤーナとグレーミンの幸せに満ちた穏やかな暮らしを思わせるパ・ド・ドゥや、自身の無為な生活を顧みたオネーギンが頭を抱え背を丸めて後悔に苛まれる姿、オネーギンの訪問を恐れるタチヤーナが、鏡に映ったグレーミンに出かけないでと懇願する暗示的なシーンを組み込むなど、クライマックスに向けて綿密に伏線を敷いている。それだけに"手紙のパ・ド・ドゥ"では、激しく交錯する感情をぶつけあい、火花を散らすガニオとアルビッソンの演技が真に迫り、激しい戦いのように思えた。尊大だったオネーギンが身も心も投げ打ってタチヤーナにすがり、アクロバティックなリフトを繰り返すと、タチヤーナの心は乱れ、恋心をよみがえらせてしまい、思わず彼を抱き締めそうになる瞬間も見せた。それでも身勝手なオネーギンの激情にのまれることなく理性を取り戻し、毅然とした態度でオネーギンの手紙を破って掌にのせ、出口を指し示した。絶望したオネーギンが走り去った後、オネーギンへの思慕を封じ込めたタチヤーナが涙をこらえて立ち尽くす姿が限りなく切なくみえた。なお、卓越した群舞にも触れておきたい。田舎の若者たちによる民族色豊かでエネルギーあふれる群舞と、帝都の舞踏会での貴族たちによる優雅なダンスとが対比を成すよう鮮やかに踊り分けていた。おかげで、当時の地方と帝都の社会的、文化的な違いまでが浮き彫りにされ、登場人物が置かれた環境を知る助けにもなっていた。そこまでダンスで語り尽くしたクランコの手腕はさすがだが、彼の意図を見事にダンスで伝えたダンサーたちも凄いと思った。
(2020年3月7日昼 東京文化会館)

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