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木村優里がジュリエット、井澤駿がロメオを踊った鮮烈な若者の死、マクミラン版『ロメオとジュリエット』

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

新国立劇場バレエ団

『ロメオとジュリエット』ケネス・マクミラン:振付

令和元年の文化庁芸術祭主催、新国立劇場バレエ団『ロメオとジュリエット』公演を観た。
ジュリエットは小野絢子、米沢唯、木村優里、ロメオは福岡雄大、渡邊峻郁、井澤駿というトリプルキャスト。マキューシオは奥村康祐、木下嘉人、ティボルトは貝川鐵夫、福岡雄大、中家正博、ベンヴォーリオは福田圭吾、速水渉悟が踊った。私は木村優里のジュリエット、井澤駿のロメオを観たが、福岡雄大のティボルトを見逃したことは心残りだ。

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撮影/鹿摩隆司

『ロミオとジュリエット』の振付はいくつかあるが、このヴァージョンは英国ロイヤル・バレエで一時代を築いたケネス・マクミランの傑作。マクミランは19世紀に完成したと言われるグランド・バレエを形式的・装飾的に陥っているとして、20世紀を生きるリアリティのある人物を描き出すことを目指し、盟友のジョン・クランコとともに、クラシック・バレエの改革に努めた。その中でとり上げたシェイクスピアの『ロメオとジュリエット』は、閉塞的な中世に対して人間の回復を求めたルネッサンスの兆しが現れ始めた時代を、その背景を持つ。マクミラン版『ロメオとジュリエット』は、そうした人間回復の気運を孕んだ時代の原作によって、新しいバレエの創造を試み、見事に成功を収めた作品と言えるだろう。

『ロメオとジュリエット』は、四人の若い主要登場人物が極めて速い展開の中で、次々と死んでいく悲劇だ。まずロメオの親友、マキューシオがキャピュレット家の憎悪の中で死ぬ。マキューシオは明るく陽気な人物像そのままに、死ぬ最後まで戯けてみせた。それよってより深い悲しみがロメオを襲い、激してティボルトに復讐を果たす。ティボルトの死は、家族の激しい絶望感によって表され、彼がいかに嘱望され尊い存在だったかが示される。ロメオの死はあまりにも運命的であり虚しい。愛するジュリエットが彼の傍に横たわってはいるが、すぐに息を吹き返すのだ。しかし彼はそのことをつゆ知らず、愛に準ずるために用意した毒薬で自ら命を絶つ。また、ジュリエットの死はとりわけ痛ましい。乳母と人形を奪い合って戯れていた無垢な少女が、初めて愛を得て生きる本当の喜びを知り、全身全霊を使って愛を全うしようとする。そして実に他愛ない誤解によって、愛する人が彼女とともにいながら自死してしまい、彼女もまた自死するのだから。
わずか20数日間に生死のドラマが凝縮され、その中で全力を賭して戦い、女性として大きく成長していくジュリエット。そのまざまざと生きる姿こそがマクミラン版『ロメオとジュリエット』の最も優れた表現であり、観客の胸を打つ。

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撮影/鹿摩隆司

木村優里のジュリエットは集中し、良く踊り良く演じた。内に秘めた深い愛情が完璧に表現されたとまでは言えないが、一心の演舞により、充分に観客の心に届いたと思われる。ダンサーとして一段と成長しつつある木村が、ジュリエットを演じつつ成長していく様子が目に見える、かのような舞台だった。長い手足が演技の際にはいささかもて余し気味と見える時もなくはなかったが、それでもよくコントロールして表現を作っていた。井澤のロメオは見事な若い死をみせた。安定感のある落ち着いた踊りでロメオの気持ちが正確に伝わってきた。マキューシオは良く踊った。ただ、少し線が細く見えてしまうところがある。そこを戯け者の中にもっと生かすことができれば良いと思った。ティボルトもしっかりと踊ったが、もっと凄みが出てくればさらに良いと思われる。ジュリエットの女友だちのアンサンブルがよかった。
(2019年10月20日 新国立劇場 オペラパレス)

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撮影/鹿摩隆司

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