「フラメンコと生きる」世界一に輝いた日本人フラメンコダンサー・SIROCOインタビュー

ワールドレポート/東京

インタビュー:坂口 香野

フラメンコの本場スペイン・アンダルシア地方で開催される国際コンクールのひとつ、「アニージャ・ラ・ヒターナ・デ・ロンダ」で、日本人男性として初の優勝を果たしたダンサー・SIROCO(シロコ)。11月には、現代フラメンコ界を代表する「貴公子」ことファン・デ・ファンと共に、東京・大阪で『私の地 アンダルシア』を上演する。京都に生まれ、「突然変異的に」フラメンコを始めたというSIROCOに、ダンスへの思いと公演への抱負について聞いた。

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――ダンスと出会ったきっかけは、中学生の時にTVで見た「ダンス甲子園」だったとうかがいました。
SIROCO そう、姉の影響でヒップホップとか聴き始めてた頃です。たまたまTVでやっていた「ダンス甲子園」を見て、あ、カッコいいな、僕もこんなんしたい、みたいな軽い気持ちで始めました。友だちに一緒にやろうやって声をかけて、ガソリンスタンドにラジカセ持ってって。ストリートダンスごっこみたいな感じです。

――で、ダンススクールに通ったりとか。
SIROCO いや、ダンスにスクールがあるなんて最初の1年半くらいは知らんかった(笑)。地元の、ちょっとやんちゃな地域にダンスがうまいやつがいるって聞くと、そこへ行って教えてくれよ、みたいな。

――それって、フラメンコの本場に行くと、道や広場で自然発生的に踊りが始まる感じとちょっと似てますね。
SIROCO 似てます。スタジオでの学びから始まるダンスと、ストリートから始まるダンス、どちらにも良さがあるけれど、僕の好みとしては、道端で音が流れれば踊り出すっていうほうが自然でカッコいいなと。フラメンコでは、「アカデミア」と「カゼ・ヒターノ」(ロマのスタイル)という言い方をするんですが、僕はヒターノ風が好き。ちょっと「悪い」、「黒い」のがいいんです(笑)。

――フラメンコとはどうやって出会ったのですか?
SIROCO ストリートダンスを夢中でやってきて、高校を卒業する頃には「ダンスで食べていきたい」と思うようになっていました。でも、40歳過ぎてだぼだぼの服着て踊ってる自分がイメージできなかった。TRFのSAMみたいになるのは無理やなあと。コンテンポラリーやモダンダンスのワークショップにも参加してみたら、新鮮で面白かったけど、しっくりくるところまではいきませんでした。そんな頃、知り合いが、カルロス・サウラ監督のドキュメンタリー映画『フラメンコ』の映像を見せてくれたんです。その中のホアキン・コルテスの踊りを見た瞬間、「これをやる!」って思いました。とにかく男っぽくて野性的な踊りに魅了された。

――で、地元でフラメンコを習い始めた?
SIROCO いや。いきなりスペインのグラナダへ行きました。住むところを探そうにも、スペイン語がわからないから不動産屋に相談もできない。とにかく街を歩き回ってたら、向こうのヒッピーに声をかけられて、連れて行かれたのがサクロモンテの丘のクエバ(洞窟)でした。

――迫害されていたロマの人たちが、そこでフラメンコを発展させたという「聖地」ですよね。
SIROCO ええ。観光用のフラメンコをやってる場所もありますが、大部分はヒッピーの人たちがすみついて無法地帯になってるんです。当然、電気も水道もないんで、あかりはろうそくで、お風呂は川でしたね。実際クエバに住んでたのは4ヶ月くらいです。

――フラメンコの師匠はどうやって探したんですか。
SIROCO 「この街でいちばんうまい男の踊り手は誰だ?」って、タブラオ(フラメンコ用の舞台を備えたバルやレストラン)で聞いてまわりました。みんなが口にしたのがルイス・デ・ルイスという名前でした。

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――実際にフラメンコを始めてみてどうでしたか。
SIROCO ゼロからの出発ですから。足踏むのが難しすぎて「そこまでやるのか」っていうのが衝撃でしたよね。フラメンコはまず、リズムにはまっていなければ踊れたことにならない。ドラマーやパーカッショニストになるようなもので、針の穴を通すような厳しさがあります。その上で、もちろん踊りのフォームを身につけなきゃいけないし、ギターや歌のことも知らなきゃいけない。でも、このままでは絶対帰れないって気持ちがあったから、しがみついた。
僕に「SIROCO」という名前をくれたのもルイスです。僕の本名は黒田紘登(ヒロト)なんですが、スペイン人はHを発音しないから、何度教えても「イロト」になってしまう。それでは嫌だといったら、彼がパコ・デ・ルシア(スペインの伝説的なギタリスト)の「SIROCO」というアルバムを持ってきて、「じゃ、お前のあだ名はこれにしろ」と。SIROCOは「熱風」という意味です。覚えやすいし、なかなかカッコよくて気に入ってます(笑)。

――その頃から、人一倍練習されていたとうかがいました。
SIROCO 当時より今のほうが練習してると思いますよ。若い頃の「器」なんて小さいものだから。リミッターを外して、限界の先に踏み出すためには経験が必要で、20代の頃はそのための準備をしてたんだと思います。憧れのフラメンコに近づこうともがくうちに、ちょっとずつ世界が広がっていく。おとなになる準備みたいな感じですね。
10年くらいは、スペインと日本を行き来しながら、両手でも数え切れないくらいいろんな人に教わりました。とにかくいっぱいまねして、入れては出し、入れては出し。何が残るかなって。

――世界的なダンサーである"皇帝"ことファルキートには、7年間師事されたんですよね。
SIROCO 僕は名門ヒターノのスタイルを継承している人にばかり習ってたんですけど、ファルキートはその中でもトップアーティスト。ふつうのレッスンなんてやっていませんから、直接お金持って行って、たとえば「2週間、個人レッスンを受けさせてくれ」みたいな感じでお願いするんですね。そうすると2週間、毎日教えにきてくれる。気が向かないと来なかったりするんですけどね(笑)。

――お金を払ってるのに(笑)。
SIROCO それがまさにヒターノ風ですけど、鍛えられていると思えばいいんですよ。初めは踊れないからまったく相手にされない。でも、彼の踊りが大好きだから習い続けて、そのうち三軍から二軍に昇格して......。切磋琢磨しあえるいいライバルや仲間にも恵まれましたね。
ファルキートに習い始めて7年になる頃、僕にはどうしてもできないステップがありました。彼に何度言われてもできるようにならない。彼が毎日教えにきてくれるのに、今日もまた同じことをやってる。それが申し訳なくて、ある日、僕はとうとうレッスン中に泣き出したんですよ。「もう踊れない」って。そうしたらファルキートはびっくりして「泣くことはないだろ。お前、毎日フラメンコを踊ってるじゃないか」と言ったんです。それではっと気づいた。

――......何かすごみのある言葉ですね。
SIROCO 僕が「踊れない」と思ったのは、「もっとこうありたい」とか「一週間後にはこれだけ理想に近づいていたい」とか、自分が勝手に決めていただけの話で。フラメンコを踊れるようになりたくてずっと学んできたことが、そのまま「フラメンコを踊る」ことなんやって、その一言で気づかされたんですね。それをきっかけに、僕は「学ぶ」ことをやめたんです。
もちろん、学ぶことは大事ですよ。一生学び続けてもいい。でも、そのときは人に習っている限り、自分を見つけられない気がしたんです。一度、自分の踊りを引いて見ることが必要だと感じたんですね。今、僕は37歳ですが、30代からは自分の踊りを探す時期に入っていると思います。

――フラメンコの国際コンクール「第23回アニージャ・ラ・ヒターナ・デ・ロンダ」で優勝されたのが、2017年ですね。
SIROCO 実はその年、もうひとつコンクールを受けたんですが、予選で落ちたんです。そのこともあって、ロンダの予選に通ったとき、仲間たちはものすごく喜んでくれたけど、その中でひとりだけ「俺はまだお前の踊りを見ていない」っていった奴がいたんです。

――どういうことでしょうか。
SIROCO 「お前は自分の体に手を突っ込んで、心臓を取って突き出すような思いで踊ったことがないだろう」と。その表現のしかたが、僕には衝撃的でした。そして彼は闘牛の話をしてくれたんです。「闘牛士は死ぬことを覚悟して闘牛場に立っている。フラメンコもそうだ」と言うんですね。
そのとき偶然、ロンダで闘牛をやっていて。初めて見たんですけど、ショックを受けました。突進してくる牛の角の前に立つ。そんな覚悟なんてできるかわからんけど、とにかく挑戦してみようと。その直後にコンクールの本戦で踊ったわけですけど、優勝できるなんて思っていませんでした。

――TV「情熱大陸」に出演されていましたが、その中で、今回共演されるファン・デ・ファンとの即興対決が印象に残っています。まさに武士同士の「果たし合い」のようでした。
SIROCO ファン・デ・ファンはグローバルな価値観を持ったアーティストで、日本の文化にも非常に敬意を払っている人です。スペイン人は日本の文化にふれて「武士道」を感じ取ったりするけど、日本人はいつも武士のことを考えて生きてるわけじゃないですよね。僕も京都生まれだけど、全然詳しくない(笑)。「なるほど、フラメンコと武士道には通じるものがあるんだ」って、逆に彼らに教えられた感じです。

――今回の公演『私の地 アンダルシア』について教えてください。
SIROCO ファン・デ・ファンと僕がリーダーになって、スペインと日本のトップアーティストが一緒にひとつの舞台をつくりあげます。ダンスの公演としても、コンサートとしても楽しんでいただけるかなと。めったに聞けない素敵なフラメンコギターと歌が聴けるはず。超一流のギタリストと歌い手、パーカッションとピアノ、5人の女性舞踊手が加わって、総勢14名がそこでひたすら情熱を燃やします。その熱を受け取って、理屈抜きで楽しんでもらえたら。ファンの踊りは本当にすごいんですが、作曲の才能も素晴らしいんですよ。

――楽しみです! ところで、レッスン、リハーサル、ご自身のスタジオ運営などものすごくお忙しいと思うのですが、オンとオフで意識を切り替える、みたいなことはあるのでしょうか。
SIROCO ないです(笑)。妻もダンサーで娘は3歳になるんですけど、家族との時間も全部、もう生活そのものがフラメンコ。

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――子育ても踊りであり、歌であると?
SIROCO そう。娘もそういう僕らを見て育ってるわけですから。自分のためじゃなくて、彼女のために踊って、働いて、生きている。変に使い分けたりするより、ずっとそこにいたほうが安心だし幸せだと思う。

――「情熱大陸」でも、「フラメンコに全てを捧げる」という言葉が印象的でしたけど、それは「生きている時間のすべてがフラメンコだ」ということなんですね。
SIROCO まあ、病気ですよ(笑)。何をしててもフラメンコのことを考えてる。フラメンコ病ですね(笑)。

――最後に。先ほど「自分の踊りを探している」とおっしゃいましたが、現時点でご自分の踊りについてどう考えていらっしゃいますか。
SIROCO フラメンコって、怒りや痛み、悲しみが根底にある芸術だと思います。じゃあ、その魂の叫びはどこへいくのか。たぶん、自由と解放に向かうんだと思います。舞台が終わって家やホテルに帰ったとき、たまにふっと安らぐ瞬間がある。それが心地いいんですよね。でも、その感覚はすぐ消えてしまって、次の日には、また次の闘いが始まる。それはどんな仕事でも一緒だと思いますけど......。
舞台に悔いを残してしまったら、その夜は眠れません。何も解放されず苦しいだけ。だからこそ精一杯、命を燃やして踊る。怒りや苦しみを表現しつくして、その先にある喜び、自由や解放を求めること。それが僕の目標であり、この17年間で見つけたものだと思っています。

――ありがとうございました!

舞台フラメンコ 私の地 アンダルシア

<東京>
11月9日(土) 12:30・16:30・10日(日) 13:00
東京国際フォーラム・ホールC
<大阪>
11月11日(月) 15:00
梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ
https://siroco-juan.jp/

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