アンナ・カレーニナの凄絶な愛と死の真実を描いた、エイフマン・バレエ

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

エイフマン・バレエ

『アンナ・カレーニナ』ボリス・エイフマン:振付・演出

エイフマン・バレエのもう一つの作品は『アンナ・カレーニナ』。原作はロシアの国民的作家レフ・トルストイの同名の小説で、雑誌掲載ののち1876年に刊行された。日本語訳の文庫本は3巻で1,500ページに迫る長編小説。ただ「アンナ・カレーニナ」が表題ではあるが、主人公はレーヴィンという農業を営む男性で、彼にはトルストイ自身が投影されていると言われている。時は、ロシアの大地を巨大な機械の塊り、蒸気機関車が走り回るようになった19世紀後半で、現代小説として書き綴られている。貴族階級が次第に退潮していく時代であり、唯物史観が普及し始める。そうした中で信仰の問題を考え抜き、誠実な生き方を求めていくレーヴィンの人生と同時並行的にアンナとカレーニン夫婦、アンナとヴロンスキー、アンナの姉夫婦が描かれている。19世紀ロシアの一大叙事詩ともいわれる、傑作長編小説である。

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撮影/瀬戸秀美(すべて)

エイフマン・バレエの『アンナ・カレーニナ』では、登場人物はカレーニン(セルゲイ・ヴォロブーエフ)、アンナ・カレーニナ(ダリア・レズニク)、ヴロンスキー(イーゴリ・スボーチン)の三人に絞られている。このトルストイの小説は、ロシアやヨーロッパで過去何度か映画化され、バレエ化もされている。(最新映画は2017年のロシア映画『アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語』で、後年、日露戦争に参加したヴロンスキーの回想から物語が進行していく)映画化あるいはバレエ化された際にはほとんどの作品に登場する、競馬場でヴロンスキーが落馬するシーンや、アンナとの恋の成就に悲観してピストル自殺を図るが辛うじて一命を取り留めるシーンなどのいくつかの名シーンを、エイフマンは惜しげも無く切り捨てている。そして具体的・演劇的なシーンではなく、ダンスによって彼ら三人の関係を描くことに集中していく。

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冒頭から、形式的な夫カレーニンとアンナ夫妻とその息子セリョージャ、華麗な舞踏会、そしてヴロンスキーとアンナの出会い、さらにカレーニン夫妻の確執が描かれる。次にヴロンスキーがアンナをかき口説くシーンの背景は、天地中央に回廊が設えられていて、神々の彫像が地上を見下ろしている。これは言うまでもなくエルミタージュ広場の情景が示唆されている。その神々の彫像の間からカレーニンが二人の密会を覗き見ている情景もあった。
アンナとヴロンスキーの愛は、いよいよ燃え上がっていく。そしてまた、アンナとカレーニンの確執。セリョージャが登場し、母と引き裂かれる。次第にアンナの中に狂気の兆しが芽生えていく。これらのシーンは、ほとんどアンナとカレーニンのリフトを多用したパ・ド・ドゥを中心として表されている。最後に雪の中オモチャの汽車が円形を描いて回る象徴的なシーンまで、一気に踊られてなかなか見応えがあった。

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一方、ヴロンスキーもアンナを激しく求める。ここでもまたアンナを求めるヴロンスキーとの激しいパ・ド・ドゥ。そこにカレーニンも登場して激越したパ・ド・トロワとなり、やがていつの間にかカレーニンのソロとなって終わる。カレーニンは多くの場合、秀才型で出世して地位を極めた気弱なタイプとして描かれるが、エイフマンのカレーニンは堂々として自分を主張している、愛には恵まれないが。
第2幕ではヴロンスキーがアンナを絵に描く。イタリアを旅行する幸せな二人だ。しかし、サンクトペテルブルクの舞踏会では思わず知らず、アンナの孤立が深まっていく。ついにはヴロンスキーの愛さえも信じられなくなっていき、精神に変調をきたす。そしてヴロンスキーとの激しくしかし確執を秘めたパ・ド・ドゥの後に、地獄の底からこの世を圧するようなリズムを刻み、巨大な蒸気機関車が近づいてきた・・・・。
シンプルなストーリーとして、エイフマンらしい力強いタッチで、ぐんぐん観客を引き込む。ダンサーたちも力強く長身で柔軟な身体を目いっぱい使って踊るので、それを見るだけも満足感が得られた。
今回、エイフマン・バレエが上演した2作品は、ともに三人の愛の確執を描いたものだったが、『ロダン〜魂を捧げた幻想』は、ロダンからカミーユとローズ・ブーレを見ており、『アンナ・カレーニナ』は、アンナからヴロンスキーとカレーニンを見ている。この違いが、舞台がはねた後の観客の印象を異なるものとしている、と思った。
(2019年7月20日 東京文化会館)

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撮影/瀬戸秀美

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