ゴメスとリアブコを加えて「椿姫」の悲劇をあますところなく描いた、フェリ、ボッレ&フレンズによる『マルグリットとアルマン』

ワールドレポート/東京

佐々木 三重子 Text by Mieko Sasaki

〈フェリ、ボッレ&フレンズ〉〜レジェンドたちの奇跡の夏〜

【Aプログラム】『マルグリットとアルマン』フレデリック・アシュトン:振付ほか

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「マルグリットとアルマン」photo:Kiyonori Hasegawa

"女優バレリーナ"として名声を博しながら44歳で惜しまれて引退し、50歳で見事に復帰を果たしたアレッサンドラ・フェリと、"イタリアの国民的スター"として不動の人気を誇るロベルト・ボッレを核に、華やかなゲストを加えて、〈フェリ、ボッレ&フレンズ〉と銘打った公演が行われた。フレンズに選ばれたのは、共演を通じて二人と馴染みのマルセロ・ゴメスと英国ロイヤル・バレエ団のメリッサ・ハミルトンに、ハンブルク・バレエ団の実力派ペア、シルヴィア・アッツォーニとアレクサンドル・リアブコ、そして東京バレエ団の上野水香という顔触れで、ほかにハンブルク・バレエ団の男性ダンサー4人がジョン・ノイマイヤー作品上演のために参加した。
話題は、Aプロでフェリとボッレが踊るフレデリック・アシュトン振付の『マルグリットとアルマン』と、Bプロでフェリがジョン・ノイマイヤーの『フラトレス』をハンブルクのダンサーたちと踊ること。『マルグリットとアルマン』は、1963年にアシュトンが伝説的ダンサー、マーゴ・フォンテインとルドルフ・ヌレエフのため創作した1幕のバレエで、フォンテインの引退後は封印されていたが、2000年にシルヴィ・ギエムの強い希望で復活上演が叶ったもの。今でも限られたダンサーしか踊れないという。『フラトレス』は、舞台復帰を果たしたフェリのために創作された『ドゥーゼ』からの1場面で、今回の上演のためにノイマイヤーが来日して指導に当たるという力の入れようだ。ほかにも注目される演目が目白押しで、両プログラムとも見逃せない。ここでの評はAプロのみで、Bプロの評は9月に掲載予定である。

3部構成のAプロの幕開けは、ハミルトンとボッレによるマウロ・ビゴンゼッティ振付『カラヴァッジオ』(2008年)。伝説的なバロック絵画の巨匠カラヴァッジオの作品に触発された全2幕の作品から、しばしば単独で踊られるデュエットである。肩幅が広く、胸板も厚く、見事な彫像のようなボッレと、筋肉質の美しい身体に恵まれたハミルトン。秘めやかに会話を交すような手や腕の振りに始まり、綾取りのように複雑に身体を絡み合わせ、極限の動きを誇示するようなリフトも入れながら踊り繋いでいった。緊迫感に満ちた静謐なデュオから不思議な詩情も感じられた。
アッツォーニとリアブコが踊ったのは、ナタリア・ホレチナ振付『フォーリング・フォー・ジ・アート・オブ・フライング』(2018年)。バッハの音楽にのせた、柔らかなリフトや流れるようなターンが心地良く、リアブコがアッツォーニの片手と片足を持って彼女を床すれすれに振り回す最後に向けて、慈しみや親愛の情が高揚していった。
第1部の最後は、上野とゴメスによるローラン・プティ振付の『ボレロ』(1996年)。スモークが立ちこめ、騒音が響く舞台には後方からライトが照射され、ゴメスと上野は頭からコートを被って左右に分かれて立っていた。それぞれコートを脱ぐと、ラヴェルの音楽が始まった。始めは交互に踊りを受け渡していたのがユニゾンになったり、ゴメスがリフトしたりと、踊りは強度を変えていった。音楽に拮抗して高揚していくという作りではなく、プティらしいユーモアを湛えた、粋なデュエットになっていた。逞しい身体のゴメスと、すらりと長い脚を持つ上野のそれぞれの長所が生きていた。

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「カラヴァッジオ」photo:Kiyonori Hasegawa

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「ボレロ」photo:Kiyonori Hasegawa

第2部は、ゴメスとリアブコが踊る『アミ』(2011年)で始まった。近年は振付家としても活躍するゴメスによる男性のためのデュエット。舞台の中央後方で弾かれるショパンの「ノクターン」に反応するように、左右に離れて立っていた二人はジャプを繰り返したり、己を主張するように足先を相手の前に出し合ったりしたが、競うというよりは楽しんでいるふうで、ゴメスの遊び心が感じられた。
『クオリア』(2003年)は、ウェイン・マクレガーが初めて英国ロイヤル・バレエ団のために振付けた作品。ボッレの堅固なパートナリングに支えられて、ハミルトンの弾力性に富んだ動きが冴え、二人の身体が織り成す強靱な美しさで印象づけた。
続いて、アッツォーニとリアブコがプティの『アルルの女』(1974年)を踊った。アルルで出会った女への思いに取り憑かれて正気を失っていく村の青年と、必死に彼を取り戻そうとするその婚約者の葛藤が描かれる。冒頭、二人が幸福感に浸るシーンでは、愛する喜びを体に滲ませて表わすアッツォーニと、途中から怯えたように上の空になるリアブコとの落差が鮮やかだった。リアブコに寄り添い、ガウンを脱いで彼を誘うアッツォーニのいじらしさが痛ましく映り、報われない女の哀しみが胸に迫った。一方のリアブコは、狂おしく舞台を駆け回る鋭いジャンプで次第に狂気に駆られていく様を伝え、窓から飛び出す最後へと一気に突き進んだ。見慣れた作品だが、二人の陰影深い迫真の演技が新たな感動を呼び起こした。

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photo:Kiyonori Hasegawa

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photo:Kiyonori Hasegawa

第3部はフェリとボッレが主演する『マルグリットとアルマン』。デュマ・フィスの小説『椿姫』を下敷きに、ドラマティックなリストのピアノ曲を用い、椿姫(マルグリット・ゴーティエ)の人生を5つのシーンに凝縮して描いた約30分の作品である。病の床でアルマンの到着を待ちわびるマルグリットを「プロローグ」で描き、そこから回想の形で「出会い」「田舎で」「侮辱」「椿姫の死」と綴られたが、すべては、高い柵のようなセットで半円形に囲まれたシンプルな舞台で展開した。ゴメスとリアブコをアルマンの父と公爵に配した豪華な布陣だが、踊りで見せる場面はなく、ドラマの繋ぎ手のような係わり方だった。

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photo:Kiyonori Hasegawa

フェリとボッレはどうだったか。「出会い」の夜会では、マルグリットに魅せられたアルマンのボッレは取り巻きを押しのけて彼女に近づき、フェリも彼の強引さに戸惑いながらその一途さに心を開いていくマルグリットの心の揺れを繊細に伝え、燃え上がるようなデュエットへと続けた。「田舎で」では、マルグリットと暮らす幸せをボッレが伸びやかなジャンプで伝えたが、彼の知らぬところで事態は急変。フェリは、アルマンとの別離を強いる彼の父親への反発を露にしながら、涙ながらに身を引く決意をする。何も知らずに甘えるアルマンを精一杯の笑顔で受け止め、彼が眠ってからそっと別れを告げるマルグリットの悲痛な心を、フェリは身体を奮わせて伝えた。「侮辱」は劇的なシーンの連続で、有無を言わさずマルグリットを引き寄せ荒々しく扱うアルマンに対し、マルグリットは何の弁明もせず、無抵抗にされるがまま。アルマンはマルグリットのネックレスを引きちぎり、札束を彼女に投げつけて去り、呆然とするマルグリットが取り残された。ボッレが暴力的に振る舞えば振る舞うほど、彼のために受け身に徹するフェリの哀れさが際立った。それだけに「椿姫の死」では、許しを乞うアルマンと再会の喜びを噛み締めるマルグリットが抱き合うものの、高くリフトされた後に絶命するマルグリットの姿が美しく刻印され、深い余韻を残した。共演を重ねている二人だけに丁々発止のやりとりにも隙がなく、わずかの仕草で感情をのぞかせる演技も円熟の境地に達していた。だから、5つのシーンだけで『椿姫』の悲劇を十分に堪能させることができたのだ。さて、フィナーレに現れたダンサーを数えればわずか7人。それだけで、これだけ充実した舞台ができるとは、さすが〈レジェンドたちの奇跡の夏〉と謳っただけのことはあると納得した。
(7月31日 文京シビックホール)

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