小野絢子のニキヤ、米沢唯のガムザッティ、福岡雄大のソロルがそれぞれの人物像を見事に描き切った、新国立劇場バレエの『ラ・バヤデール』

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

新国立劇場バレエ団

『ラ・バヤデール』マリウス・プティパ:振付、牧阿佐美:演出・改訂振付

新国立劇場バレエ団が牧阿佐美の演出・改訂振付による『ラ・バヤデール』(初演は2000年11月)を再演した。3月2日の初日の配役(3月9日ソワレも同じ)、小野絢子のニキヤ、米沢唯のガムザッティ、福岡雄大のソロルで観た。米沢唯のニキヤ、木村優里のガムザッティ、井澤駿のソロル(3月3日、10日)という配役も観たかったのだが所用で果たせず、大変残念だった。(3月9日のマチネはニキヤ・紫山沙帆、ガムザッティ・渡辺与布、ソロル・渡邊峻郁)

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小野絢子、福岡雄大 撮影/瀬戸秀美(すべて)

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米沢唯、小野絢子

『ラ・バヤデール』のレオン・ミンクスの音楽は、特に序盤は心理的緊張感を表すシーンがあまりないためか、初演の地のロシアから遠く離れた異国の物語を分かりやすくしようとしたためか、恐らく両方の理由から、やや単調な叙景の曲が中心となっている。なので動きを簡単に音楽に乗せて作ってしまうと、運動会の行進のような極めて単調なものとなってしまう恐れがある。この辺りも演出家が腐心するところだろう。
小野絢子のニキヤは、登場シーンから注意深く落ち着いてあまり際立った存在感を強調せずに、むしろ静かにヒロインらしい凛々しい姿勢を表現した。そして、最初のニキヤと福岡雄大のソロルのパ・ド・ドゥ。いつもここでは、ハイ・ブラーミン(菅野英男)が寺院の奥から覗くことが分かっているので、ついついそちらに気が行ってしまって、しっかりと観ていなかった。しかし今回は集中してじっくりと観た。小野は愛の喜びを、秘めなければならない特別の理由もないのに、ハイ・ブラーミンの圧力を受けて秘めなければならない。バヤデール(寺院の踊り子)の微妙な立場を手際良く表した。福岡のソロルも、小野の喜びを受け自身の喜びも率直に表した。このニキヤとソロルの恋がこのドラマの中心を成すのだが、二人がともに生きて踊るのは、このシーンが最初で最後となる。
一方、米沢のガムザッティは、ほぼ完璧な演技力を見せて第1幕を見事に締めくくった。ガムザッティがニキヤに対して、ソロルを諦めろ、と迫るシーンでは、ニキヤの小野の衣装がちょっと地味に感じられた。ガムザッティの豪華さに対してコントラストを表すためだと思われるが、ちょっとキャラクターを消してしまうような印象を受けた。貧富の差があったとしても主役なのだから、それなりの自負を感じさせるような衣装を纏わせて欲しいと思った。

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米沢唯

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福岡雄大

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小野絢子

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米沢唯、福岡雄大

第2幕の米沢と福岡のパ・ド・ドゥは、福岡のヴァリエーションが追い詰められた気持ちを振り払おうとするかのように、本心と離反していく自分を表した。米沢は勝ち誇った気持ちを押さえながらも自ずと湧き上がってくる喜びを踊った。デヴェルテスマンは女性ダンサーを中心とした踊りとブロンズアイドル(福田圭吾)の踊りなどで構成されていた。ここではいたずらにエキゾチズムに走らず、この作品らしい登場人物たちの思惑が見え隠れする中に、美しくヴァラエティに富んだ踊りが展開されて雰囲気を保つうえでもとても良かったと思う。
第2幕のクライマックスとなる、愛し合っていたソロルと支配者の娘との婚約披露の宴で、バヤデールとして踊らなければならないニキヤの悲しい踊り。愛する人ソロルからと偽って与えられた花籠を持ってニキヤが踊るシーンでは、小野は、序破急を地でいくようにテンポを変化させ、音楽をリードするかのように踊って、愛する人に解ってもらえない悲劇の心情を情感豊かに表した。そして、「あなた! その人と結婚して権力を握るために、私を、愛している私を殺すの!」と怒り、絶望してハイ・ブラーミンの救命をも拒絶して死を選んだ。高貴な死である。気高き生き様でもあった。

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小野絢子、福岡雄大

第3幕は、心底から愛していたニキヤに「裏切って私を殺した」とまで思われ、激しい自責の念に苛まれ、生きる気力の全てを喪失したソロルの幻想。ヒマラヤの山間からバヤデールの姿をしたニキヤの幻影が次々と現れ、二重三重四重に重なって脳裏を往来する。いつの間にかソロルはニキヤと二人で魂の世界で愛を語り合う。二人がしばし、魂の世界で遊んでいるうちに、ソロルの阿片の効果が薄れ始め、現実の残像が脳裏に写り出す。そして、ラジャー(貝川鐡夫)やガムザッティ、アイヤ(今村美由起)によるニキヤ殺害の真相がおぼろげに浮かび上がってきた。しかし現実は、ラジャーとハイ・ブラーミンにより、ガムザッティとソロルの結婚の儀式が執り行われていく。結婚式のために二人が大寺院の門に入る。するとたちまち神の怒りに触れ、巨大寺院の大崩壊が起こり、全てが瓦礫の山に埋め尽くされてしまう。ソロルも瀕死の重症をおって倒れる。そこへニキヤの幻影が現れ、純白の長いヴェールを掲げながら天国へと帰って行く。その長いヴェールに必死ですがる瀕死のソロル。しかし、彼はそこでこと切れてしまった・・・。
第3幕の福岡は良かった。福岡は踊りの中に巧みに悲劇的情感を塗り込めることができるので、この場面はまさにぴったり。幻想の中にしか存在しないニキヤを追い求めて踊り、生きることの虚しさを舞台いっぱいに表して見事だった。

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撮影/瀬戸秀美(すべて)

舞台美術は、鬱蒼としたジャングルの巨大な植物が宮殿におおいかぶさり、愛を生き抜くことの困難を表し、効果的だった。音楽は概して単調ではあったが、叙情的なスケッチは軽快で気持ちに染み渡るものがあった。
ストーリーは、全体に古典作品から大きな変化はなかったが、よく練られて隅々まで配慮が行き届いていて、うまくまとめられており、見応え十分な舞台だった。
(2019年3月2日 新国立劇場 オペラパレス)

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