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50年という時を越えて輝く『オネーギン』、ゲストにヴィシニョーワ、ガニオを迎え、シュツットガルト・バレエ団が上演

ワールドレポート/東京

原 桐子 Text by Tohko Hara

THE STUTTGART BALLET シュツットガルト・バレエ団

"ONEGIN" John Cranko 『オネーギン』ジョン・クランコ:振付

今シーズンから就任した新芸術監督、タマシュ・デートリッヒが率いるシュツットガルト・バレエ団は3年ぶりに来日した。
前回来日時と同じ『オネーギン』と日本では久しぶりとなる『白鳥の湖』2演目を上演、『オネーギン』にはタチヤーナ役にマリインスキー・バレエ団からディアナ・ヴィシニョーワ、オネーギン役にパリ・オペラ座バレエ団からマチュー・ガニオをゲストに迎えた。
筆者は『オネーギン』をキャスト違いで3日間観た。

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Photo:Kiyonori Hasegawa

ジョン・クランコ振付の『オネーギン』は昨年2017年で初演から50周年を迎え、シュツットガルト・バレエ団のみならず今や世界中の著名なバレエ団で上演されている。それはひとえに単なる出来合いのドラマティック・バレエではなく踊る側のダンサー、観る側の観客の双方にとっていつも新たな発見があり喜びがあるからだと思う。
ロシアの偉大な作家プーシキンの同名作品からインスパイアされたこのドラマティック・バレエは、原作に敬意を示しながらもクランコが作り上げたオリジナルのラブストーリーと言っていいかもしれない。
バレエの主軸となる物語はシンプルながらまるで一枚の絵画をパズルのように仕上げる如く、いくつものピースがはめ込まれている。
例えばライトモチーフとして使われる鏡。1幕では椅子に座ったオリガがテーブルに置かれた鏡をのぞくと、そこに恋人レンスキーの姿をただ「現実に」見つけて素直に喜ぶ。一方でタチヤーナは鏡越しにオネーギンの姿を見て、自分の運命の人が現れた! と驚く。1幕後半ではタチヤーナの夢の中で鏡からオネーギンが現れる。3幕ではオネーギンに再会し動揺するタチヤーナの鏡は現実の夫、グレーミン公爵の姿を映す。
また舞台に掛かっている紗幕に使われている名誉という言葉。キーワードのひとつとしていくつかの場面で想起される。名誉(体面)を捨ててオネーギンへの手紙を綴るタチヤーナ。この恋文を送る行為そのものが大人しい性格のタチヤーナが書いただけではなく、この時代のすべての女性にとって途方もない冒険なのではなかろうか。レンスキーは名誉を傷つけられたためオネーギンと決闘し、オリガを残して死なねばならず、オネーギンは親友レンスキーを自らの手で死に追いやり、最後は名誉をかなぐり捨ててタチヤーナにすがりつくのだ。

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Photo:Kiyonori Hasegawa

初日主役ペアはフリーデマン・フォーゲルとアリシア・アマトリアン。本拠地でもパートナーとして組むことが多く『オネーギン』でも再演を重ね、より演技が深まっていた。1幕の鏡のパ・ド・ドゥ、大変むずかしい、技術的には息も絶え絶えのリフトの数々でアマトリアンが風に揺れる花のように見える。2幕はデヴィッド・ムーアのレンスキー、エリサ・バデネスのオリガともバランスがとれていて、相乗効果で物語はよりクリアに密度が高まっていく。クライマックスでのフォーゲルの慟哭はすさまじく、カーテンコールは拍手喝采で観客は熱狂した。

2日目にゲストでタチヤーナを踊ったディアナ・ヴィシニョーワは、これが長期の休み明けの舞台とは全く思えない。盤石なテクニックはもちろん、ロシア人だからかもしれないがヴィシニョーワの踊りからはロシアの気温が感じられる。例えば寝室でオネーギンへ手紙を書こうか書くまいかと歩きまわりながら、ストールをそっと手繰りよせるその仕草は夏でさえ肌寒いロシアの夜を思わせる。とりわけ夢の場面では、これは夢ではないか? と自問自答してとまどっているように見えた姿は非常に愛らしく、書物の中の世界しか知らなかったタチヤーナが徐々にオネーギンに身を委ねていくのが心に残る。最後に毅然とした別れを告げるヴィシニョーワのタチヤーナは、ダンディズムを崩壊させるジェイソン・レイリーのオネーギンと相性も良かったように思う。

最終日のもうひとりのゲスト、マチュー・ガニオ。フォーゲルの傲慢さを打ち出したオネーギン、あくまでも紳士然としたレイリーのオネーギンとも違う。オネーギンの一面でもある優しさがちらりと顔をのぞかせる。なるほど、バデネス扮するタチヤーナをはじめ、田舎に住む若い乙女らが憧れる都会の若者とはきっとこんな風情だったのだろう、と想像できる。
ガニオのオネーギンで印象的だったのは、3幕手紙のパ・ド・ドゥでタチヤーナに受け入れられたのかと安堵したのか一瞬笑みを浮かべたこと。だからこそタチヤーナに拒絶される痛みに耐えられなかったオネーギンは、立ち去るしかなかったのだと。
シュツットガルトのダンサーではあまりいないタイプのオネーギンかもしれないが、こちらも魅力的なオネーギンであった。

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Photo:Hidemi Seto

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Photo:Hidemi Seto

また、アドナイ・ソアレス・ダ・シルヴァはこの日がレンスキーの役デビュー。本拠地シュツットガルトではすでに主なソリスト役を踊っていて、プリンシパルに昇進したばかり。2幕決闘前の嘆きのソロではなめらかな着地、嘆きの深さをあらわす柔らかい背中に感嘆のため息がもれた。レンスキー役を踊るダンサーは幾人か観たが、その中でも傑出した技術を持つひとりに数えることができる。持ち味が違うムーアとマルティ・フェルナンデス・パイシャのレンスキーも興味深かったことを書き添えておく。

このようにダンサーそれぞれのアプローチは異なるが、プーシキンを知らなくとも舞台を見ればどんな物語が目の前で展開されているのかが如実にわかる。アラベスクひとつとっても単なるアラベスクではない。それは私たちが日常で使う言葉と同じものであり、クランコの振付は舞台を通して私たちに直接語りかける。50年もの月日を越えた作品そのものが持つ輝きを変化させながらも、大切に踊り継いでいってもらいたいと願う。
(2018年11月2日、3日、4日 東京文化会館)

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Photo:Kiyonori Hasegawa

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