切なく甘美なデュットとともにジークフリート王子の悲劇を描いたクランコ版『白鳥の湖』

ワールドレポート/東京

佐々木 三重子 Text by Mieko Sasaki

THE STUTTGART BALLET シュツットガルト・バレエ団

"Swan Lake" John Cranko 『白鳥の湖』ジョン・クランコ:振付

ドラマティック・バレエの名門、シュツットガルト・バレエ団が、3年振り11度目の日本公演を行った。同団は、この9月、長年にわたってプリンシパルとして活躍したタマシュ・デートリッヒを芸術監督に迎えたばかり。デートリッヒは、芸術監督としてこのバレエ団を飛躍的に向上させた名振付家のジョン・クランコの作品を継承する一方で、新たなレパートリーの導入にも意欲的だが、今回の演目は2作ともクランコの代表作だった。わが国でも上演回数の多い『オネーギン』と、日本では6年振りの再演となる『白鳥の湖』である。このうち『白鳥の湖』の初日を観た。

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Photo:Kiyonori Hasegawa

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クランコ版『白鳥の湖』(1963年初演)の最大の特色は、ジークフリート王子を物語の中心に据え、王子の人間像に独自の解釈を加えてその内面を細やかに描き出したことと、救いようがないほど悲劇的な幕切れにある。また、一部の踊りを省き、オリジナルな踊りを追加したため、大幅に曲順を入れ替えただけでなく、全く別の曲を使用してもいるので、全体の音楽構成には戸惑いを覚えたが、クランコらしい迫力あるドラマが構築されていた。初日にジークフリート王子を務めたのはフリーデマン・フォーゲルで、オデット/オディールはアリシア・アマトリアン。この作品を踊り込んでいるベテラン同士のカップリングだけに、クランコの意図に沿った滋味深い舞台を作り上げていた。

第1幕でユニークなのは王子の登場シーン。従者や町娘たちが城外で楽しく踊っているところに、王子がマントを被って老婆の変装で現われ、娘らの手相を占ってやったりした後、本来の姿を現わすのである。甘いマスクにノーブルな出で立ちのフォーゲルは、悪ふざけに興じる王子を茶目っ気たっぷりに演じたが、同時に、宮殿生活での鬱屈を晴らしたい気持ちや王子としての未熟さも伝えていた。パ・ド・トロワは省かれたが、王子と5人の町娘とのパ・ド・シスが挿入され、王子の踊る場面が増やされていたのは嬉しい。フォーゲルは丁寧に町娘をサポートし、ヴァリエーションでは足先まで美しい伸びやかなジャンプを見せた。王子に舞踏会で花嫁を決めるよう告げる王妃と命じられた王子のやりとりの端々から、二人の間のぎくしゃくした関係が漂ってきたが、フォーゲルは微妙な顔の表情で心の内を的確に表わしていた。王子とオデットが出会う第2幕の湖畔の展開は概ねオーソドックスだった。アマトリアンの細身の身体は儚げなオデットに合っていた。始めは腕も上体も硬く思えたが、それも演技の計算か、王子への警戒心が信頼へと変わるうち、振り上げる脚もしなやかで、身も心も王子に委ねる様が見てとれた。なお、白鳥の群舞のフォメーションにはかなり変更が加えられており、新鮮に映った。

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Photo:Kiyonori Hasegawa

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第3幕で、二層に設えられた舞踏会の広間は威圧感と閉塞感で覆われていた。スペイン、ハンガリー、ロシア、ナポリの姫君たちがお付きと一緒にそれぞれの国の民族舞踊を披露して王子の心を惹こうとする演出で、各国のお国柄を伝える趣向を凝らしたダンスと民族衣装が楽しめた。だが、オデットの来訪を待ちわびるフォーゲルの王子は、花嫁候補に対して失礼なほど関心を示さない。そこにスキンヘッドで白塗りのメイクという異様な出で立ちのロットバルト(ロマン・ノヴィツキー)が登場してマントを翻すと、中からオデットにそっくりのオディールが現われ、王子は歓喜して彼女と踊る。おめでたいほど素直な王子の反応を、フォーゲルは自然体で演じてみせた。オディールのアマトリアンは、オデットとは打って変わって存在感を誇示し、全身から妖しいパワーを放ち、王子を引き寄せては拒むなど、王子の心をもてあそぶ。そんな仕打ちを王子は意外に感じながら、オディールの魔力にからめとられていく。ここは王子とオディールの見せ場のパ・ド・ドゥに当たる部分だが、二人とも磨き抜かれたテクニックを披露しながら、"心理戦"とでも呼びたいやりとりを展開した。王子がオデットと信じてオディールとの結婚を誓った途端、ロットバルトは王子を嘲笑し、オディールをマントの中に消し去り、揚々と引き上げていった。クランコ版ではロットバルトは邪悪な魔術師、オディールは魔女となっており、オデットの姿を窓越しに見せる演出はなかった。

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Photo:Kiyonori Hasegawa

最も独創的なのは第4幕で、通常は、王子がロットバルトを倒して現世でオデットと結ばれるか、湖に飛び込んだ二人が来世で結ばれるかのどちらかだが、クランコ版はどんな形であれ二人が結ばれることを許さない。それが、王子が外見に惑わされて本質を見誤り、愛の誓いを破ったことへの報いなのだ。ロットバルトは嵐を起こして王子を溺れさせ、オデットを湖に追いやって白鳥の姿に変えるが、二人を引き裂く前に束の間の逢瀬を許した。二人の心が溶け合うように、しっとりと紡がれていくデュエットは、限りなく切なく、甘美で、この作品の中で最も印象深いパ・ド・ドゥになった。それだけに、直後に王子が波間で必死にあらがう姿が痛ましく映った。王子の遺体は湖底に沈まずに岸に打ち上げられ、片やオデットは白鳥の姿で湖面を泳いでいくという、決して相まみえることのない幕切れが悲劇性を強めていた。古典バレエを改訂したとはいえ、人間の本質を冷徹に見据えたクランコの視点が明確に打ち出されてもいる。それだけに、数ある『白鳥の湖』のヴァージョンの中でも、クランコ版はとりわけ異彩を放っている。
(2018年11月9日 東京文化会館)

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