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ロマノフ最後の皇帝ニコライ2世と恋におちた伝説のバレリーナ、マチルダ・クシェシンスカヤの波瀾の運命を描いた映画『マチルダ』が12月にロードショー

ワールドレポート/東京

インタビュー=関口紘一

『マチルダ』監督アレクセイ・ウチーチェリ=インタビュー

----19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したロシアの伝説的バレリーナ、マチルダ・クシェシンスカヤの悲恋を描いた映画『マチルダ』は、ロシアという国の底知れぬパワーを背景に、一人のバレリーナの運命がダイナミックに描かれていてたいへんおもしろく見せていただきました。激しいパワーとか弱いバレリーナの大胆な恋が、実に鮮烈でした。バレエに関わる映画は他にも監督されていますか。
ウチーチェリ 私は、過去にもバレエ映画を撮っています。私の最初の劇映画は、『ジゼル・マニア』(Giselle's Mania 1995年)というこちらもロシアの伝説的バレリーナ、オリガ・スペシフツェワについての映画でした。ボリス・エイフマンはスペシフエツェワを描いた『赤いジゼル』というバレエを振付けていますが、彼もこの映画に関わっています。私はジゼルの踊り手として、オリガ・スペシフツェワは舞踊史上最も優れていたと思っています。

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----どのような映画でしたか。
ウチーチェリ もちろん、バレエが中心ですが、オリガ・スペシフツェワの特異な人生、運命にも注目しました。彼女は『ジゼル』と同じように生き、人生の後半には精神に障害をきたし、最後の20年間はニューヨーク郊外の精神病院や施設で過ごしました。華やかな恋(舞踊批評家、思想家、ドストエフスキーやダヴィンチの研究家として知られるアキム・ヴォルインスキーとの恋:編注)をしましたし、それから亡命したということでも、クシェシンスカヤの運命とも一部シンクロするところがあります。クシェシンスカヤはあと3ヶ月で100歳というところまで生きた、たいへん長命な人でした。スペシフツェワも96歳まで生きました。二人ともバレリーナとしてとても長寿の人でした。

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アレクセイ・ウチーチェリ監督

また私はカメラマンとして、マリインスキー・バレエ(旧キーロフ・バレエ)のイリーナ・コルパコーワのドキュメンタリー映画『イリーナ・コルパコワ』(1978年)の製作に参加しました。

----『マチルダ』の列車事故のシーンはすごい迫力でした。確かにアレクサンドル3世はすごい怪力の持ち主だったと言われていましたね。
ウチーチェリ この事故の時、アレクサンドル3世が脱線転覆した列車の天井を持ち上げていたので、皇帝一家は救われました。このエピソードは実話です。

----ウスペンスキー大聖堂のニコライ2世の戴冠式のシーンも本当に素晴らしかったです。
ウチーチェリ ウスペンスキー大聖堂と同じくらいの大きさのセットを組める場所がなかなかなくて、ペテルブルクの軍需工場の広大な跡にあのセットを組みました。エキストラが500人くらい出演したのですが、彼らがそのセットに入った時には、本当の大聖堂のように感じられて思わず十字を切りました。それはもちろん演技ではありませんでした。

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----ニコライ2世の戴冠式の実際の写真は多く残されていますが、あたかもそれらが動き出したようでした。
ウチーチェリ ニコライ2世は映画が大好きでした。ロシアで初めて映画撮影が行われたのは、ニコライ2世のウスペンスキー大聖堂の戴冠式だったのです。ニコライ2世がフランスから3人のカメラマンを呼んで、この世紀のイベントを撮影させました。また、映画の中でも出てきますが、ニコライ2世は早い時期から映写機を持っていましたし、映画のコレクションも持っていました。そして毎日家族と映画を1本か2本楽しむのが日課だったのです。

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----ツァールスコエ・セロー(サンクトペテルブルクの郊外)のエカテリーナ宮殿で撮影されたのですか。
ウチーチェリ そうです。ニコライ2世の誕生日のシーンとか、アレクサンドル3世が車椅子で現れるシーンなどは、エカテリーナ宮殿で撮影しました。他にパブロフスク宮殿とか、ニコライ2世が一番好きだったアレクサンドロフ宮殿などでも撮影しました。(これらの宮殿はロシア皇帝の夏の宮殿で、現在は世界遺産となっている:編注)

----映画ではニコライ2世の父、アレクサンドル3世は、クシェシンスカヤを皇太子の恋人として認めていたようでした。
ウチーチェリ アレクサンドル3世はのちに妃になるアレックス(アレクサンドラ・フィードロヴィナ)のことが嫌いで、むしろマチルダにシンパシーを感じていました。しかしやはり、身分が違うので結婚は無理だと思っていたのだと思います。

----映画『マチルダ』の豪華さはいかにもロシアの華やかな貴族文化を感じさせました。
ウチーチェリ かつてのロシアですがね、今のロシアではありません。でもまだ、かつての多くの建物、美しい宮殿は残っています。

----サンクトペテルブルクは、チャイコフスキーがあの素晴らしいメロディを作曲したことが、ごく自然に納得できるような素敵な街ですね。
ウチーチェリ チャイコフスキーだけではなく、プーシキンもドフトエフスキーもペテルブルクに住んで、優れた作品を作りました。そういう意味ではペテルブルクという街は、美しく独特の雰囲気のある街ですね。

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----マリンスキー劇場のバレリーナでは誰がお好きですか。
ウチーチェリ ディアナ・ヴィシニョーワです。他の劇場でも踊っていますが。バレエとしては『ドン・キホーテ』の、特にパ・ド・ドゥが好きです。

----クシェシンスカヤの後半の人生もドラマティックで、非常に波瀾に富んでいると思いますが、『マチルダ』の続編は構想していませんか。
ウチーチェリ 今のところまだ考えていません。100歳まで生きた人ですから、あと1本だけではなくて、シリーズ化できそうなくらい物語がありますね。クシェシンスカヤが亡くなった時は、もう100歳近いのにカジノで遊んでいたんです。そしてカジノでは、いつも「17」にばかり掛けるので、「マダム17」と呼ばれていたそうです。なんで「17」に掛けていたのかは謎ですが、もしかするとロシア革命が起きた1917年の17だったかもしれませんね。

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----クシェシンスカヤのペテルブルクの旧宅は、ロシア革命の時にレーニンが演説したことで有名です。今も政治史博物館として残っていますが、今回の撮影には使われなかったのですか。
ウチーチェリ クシェシンスカヤはペテルブルクに2つ家を持っていましたが、レーニンがバルコニーでロシア革命の第1声を発した邸宅は、映画『マチルダ』の物語が終わってから使われていたものでしたので、撮影には使っていません。私は別の映画でこの建物を撮影に使ったことはありますけれど。

----次にバレエに関わる映画を撮影する予定はありますか。
ウチーチェリ 今のところはないです。1、2年後にはショスタコーヴィチをフューチャーした映画を撮りたいと思っています。スターリンとショスタコーヴィチという二人の天才を主人公にした映画です。

----ソ連時代ですね、当然、スターリン役も登場するわけですね。
ウチーチェリ 脚本はまだで完成しておらず、どういうエピソードを映画に盛り込もうか、決めていません。しかし、ショスタコーヴィチは、第2次大戦のレニングラード封鎖の中で交響曲第7番を作曲するなど、大変ドラマティックな人生を送っています。もちろん、スターリンも当然、関わってきます。

----それは楽しみですね。もっともっとお話を伺いたいのですが時間が尽きてしまいました。本日はお忙しところありがとうございました。ぜひ、『マチルダ』の続編も作ってください。
ウチーチェリ はい、努力します。
(マチルダ・クシェシンスカヤの波瀾万丈の人生は、自伝『ぺテルブルクのバレリーナ』2012年平凡社刊に詳しい)IMG_5644.jpg

『マチルダ 禁断の恋』
©2017 ROCK FILMS LLC.

12月8日(土)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMA
他全国順次ロードショー!
http://www.synca.jp/mathilde/

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