牧阿佐美版『ラ・バヤデール』、新国立劇場バレエ団

ワールドレポート/東京

関口 紘一
text by Koichi Sekiguchi

新国立劇場バレエ団 牧阿佐美版『ラ・バヤデール』 スヴェトラーナ・ザハロワ

 クラシック・バレエの名作の中でも、『ラ・バヤデール』はスケールが大きく、壮大なテーマを扱っている。それだけに新制作にあたる演出・振付家は、大き な意気込みをもって臨むことが多い。数々のクラシック・バレエの新制作を手掛けたヌレエフが、『ラ・バヤデール』だけは自身が踊っていた祖国のキーロフ・ バレエのヴァージョンを忠実に再現しようと試みたのも、そうした思い入れの現れであろう。

『ラ・バヤデール』(ロシアでは『バヤデルカ』)は、1877年にフランス人のマリウス・プティパが、ロシアのサンクトペテルブルクで初演。1900年 に改訂し、近年復元された。また、ロシア人のナタリア・マカロワが1980年にアメリカのABTに改訂振付し、英国ロイヤル・バレエなどにレパートリーと なった。さらには、ロシア人のヌレエフが1992年にフランスのパリ・オペラ座バレエ団に改訂振付けたヴァージョンなどが、今日残る主要な舞台といわれて いる。
いずれにせよこのバレエは、インドの古代叙事詩『シャクンターラ』にインスピレーションを受け、ヨーロッパの各国の人物やバレエ団が制作している。そし てよくいわれるように、『ラ・バヤデール』に描かれているインドは、現実のインドの文化に触れて描かれたものではなく、ヨーロッパの人々が憧憬を込めて空 想したインドである。

実際、プティパ版をかなり厳格に再現したといわれるマリインスキー・バレエの『バヤデルカ』も、冒頭の1幕1場のセットからして、野ざらしの仏像とイン ド建築らしからぬ寺院の入り口には、日本人の私でもいささか違和感を覚えた。その後も登場した、オームや黒人や太鼓などの踊りや人物の所作もアフリカや中 東とインドを混同したような感があり、要するにオリエンタルのイメージが混成されて創られている。ただ、ロシア人はそうした演出上のディティールにはあま り拘泥しておらず、ダンスの生命力を重視している。しかしやはり、荒唐無稽な印象は残る。

牧阿佐美は『ラ・バヤデール』を新制作するにあたって、古代インドの『シャクンタラー』の世界を今日の目でどのように表現するか、に意を尽くしたしたという。
牧阿佐美の父、牧幹夫は、彼女がわずか4歳の時に半年の予定でインドに渡ったが、世界大戦の勃発などの諸事情により帰国を果たせず、彼の地でインドの舞 踊、建築、絵画などの様々の研究を行っていた。あるいは、牧阿佐美が舞踊家として大成する過程で生きてきた日々、彼女の脳裡には、常に、父が暮らすインド のイメージが宿っていたのかもしれない。牧阿佐美自身もプログラムに、そうしたことが「今回の『ラ・バヤデール』に私を導いていたのかもしれません」と記 している。

新国立劇場バレエ団 牧阿佐美版『ラ・バヤデール』 スヴェトラーナ・ザハロワ、デニス・マトヴィエンコ

 美術は、ロイヤル・バレエなどで活躍してきた英国人アリステア・リヴィングストンが、牧阿佐美と協議を重ねた上で制作している。冒頭から登場する「森」 のイメージと、寺院や宮殿と中庭などの精巧なインド建築、華やかで光り輝くインド・シルク、天に至る壮大なヒマラヤが、ドラマの流れの中で巧みに組み合わ されている。幕が開く毎に、見事なセットに目を奪われる。
森は、豊穣なイメージと神秘的な瞑想性を表している。ラジャの宮殿の内装はほとんど細かい透かし彫りとなっていて、いかにも風通し良く見え、それがまたインドの熱を感じさせる。と同時に、ニキヤが檻の中に閉じ込められた舞姫であることを暗喩している。
第2幕のラジャーの宮殿の中庭は圧巻。インドの細密画に現れる繊細な線が描く模様が織り込まれた、白銀のように輝くインドシルクで囲まれた中庭は、極楽浄土をも思わせた。ここでニキヤは毒蛇に咬まれる。
第3幕影の王国では、つづら折りが天に至る雄大なヒマラヤからニキヤの影が無限に降りてくる幻想。ヒマラヤの雄大さはインド文化の雄大さであり、それはまた人間の幻想の果てのない無限性と、愛の永遠性をも表している。
こうした背景の中、第1幕の、聖なる火の前で誓ったニキヤとソロルの愛が裏切られて、悲劇へと発展していく。

第2幕のガムザッティとソロルの婚約式のシーンでは、プティパ版では、扇の踊り、オウムの踊り、黄金の神像と黒人の踊り、壺の踊り、インドの太鼓の踊 り、などがデヴェルティスマン風に次々と現れる。しかし牧阿佐美版ではこのパートは、ブルーチュチュとピンクチュチュのパ・ダクシオンとアダジオで構成さ れており、黄金の神像と壺の踊りだけが挿入される。色彩をあしらったダンスの構成によって、婚約式の祝典を創り、披露宴の余興によってではなく、祝典の儀 式によって婚約の喜びを表した、優れた現代的な振付だった。
ラストシーンは、プティパ版のように目には見えないニキヤの亡霊が、結婚したソロルとガムザッティを間をウロウロすることはない。ニキヤとおぼしき姿が チラっと見えただけで、たちまち神殿が崩壊し神罰が下る。神殿が崩壊した中、ソロルはニキヤの後にしたがって、天に向かってのぼっていくのだが、二人が天 国で結ばれることはなかったようである。

新国立劇場バレエ団 牧阿佐美版『ラ・バヤデール』 寺島ひろみ、中村誠

 スヴェトラーナ・ザハロワの典雅にして悲しい舞姫ニキヤは、感動的に美しかったし、デニス・マトヴィエンコの勇者ソロルは、愛する魂の悲運を闊達に踊 り、ともに完璧ともいえる舞台。寺島ひろみのニキヤは、真迫力でザハロワにおよばなかったかもしれないが、愛する女性の悲しみを湛えた踊りを見せた。中村 誠のソロルも柔らかな優れた踊りだったが、もう一歩突っ込んで観客の心が震えるくらいの必死さを伝えて欲しい、とも思った。
牧阿佐美は、スタッフの協力により、「世界で一番短い『ラ・バヤデール』全幕で、尚かつ起伏に富んだドラマ展開や寺院の崩壊を加えたエンディング」が構 成できたのではないか、とプログラムで謙虚に述べている。しかし、私はここ数年でマリインスキー・バレエのプティパ版の復元、パリ・オペラ座のヌレエフ版 を続けて観ることができたが、今日では、牧阿佐美版こそ世界に誇る優れて美しい『ラ・バヤデール』だと信じている。
(2008年5月18日ザハロワ/マトヴィエンコ、22日寺島ひろみ/中村誠。新国立劇場 オペラ劇場)

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