マリインスキー・バレエの石井久美子インタビュー「マリインスキーで踊る私を母が見てくれたことが一番嬉しかった」

ワールドレポート/東京

インタビュー/梶 彩子

----石井久美子さんは、ワガノワを2013年に卒業後、マリインスキー・バレエに入団され、今年で5年目になります。そもそもどのようにバレエを始められましたか。

石井 8、9歳の時に、お友だちにつれられてバレエ教室の体験に行ったことがきっかけでした。

----プロを目指すようになったのはいつ頃ですか?

石井 マリインスキーに入団してからです。

----えっ?! 入団してからとは?

石井 そもそも、プロになれる実力が自分にあるかどうか自分ではわからず、とりあえずベルリンのバレエ団のオーディションを一つだけ受けてみて、だめだったらワガノワでもう一年やろうと思っていました。ワガノワ・バレエ・アカデミーに留学したのも、自分からではなく、周りに日本にいるのはもったいないからと背中を押されてでした。

----ワガノワは、どのようにして留学されましたか。

石井 栃木県で行われるワガノワ・バレエ・アカデミー留学生オーディションを通じて留学しました。合計2年間ワガノワで学びました。

----そのワガノワを卒業し、マリインスキーに入団されて5年になりますが、カンパニーの印象はいかがですか。

石井 とくに統一感が非常に強いマリインスキーで、最初の日本人として入団することに対して、いろいろ言われているのは感じていました。それでも、だんだん自分が成長したな、と思う時に、周りの自分への態度が変わって行くのを実感するようになりました。今では、みんなで助け合い、家族のようにあたたかいカンパニーです。
辛いことも一緒に乗り越えていって、自分を受け入れてくれたなと思うことが毎回少しずつ増えていきました。自分のために踊るのではなく、みんなで頑張っていると感じることが多いです。

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----ご自身の実力を示すことで、周りの信頼を得ていったのですね。最初の舞台のことなどは覚えていますか。

石井 一番最初に踊ったのは『シルフィード』でしたが、『ドン・キホーテ』のソロ(ヴァリエーション)を踊ったときは、脚が付いていないような感覚でした。リハーサルも、一回で20〜30分程度ととても短く、リハーサルの中で一曲通すこともできませんでした。本番中も、舞台袖に待機しているときも、足が地についている感じがしませんでした。全然練習できなかった不安がある一方、絶対失敗できない、恥をかけないなど、いろんな思いに飲み込まれてしまっていました。

----マリインスキーにはどのように入団されましたか。

石井 ファテーエフ監督が予告なしにレッスンの視察に来て、その時にオファーを受けました。予告がある時だとみんな完璧にレッスンを受けますが、体のラインを隠さずにレッスンしているか、最後までレッスンに残るのはだれか、などを普段のレッスンで判断しに来たようでした。

----入団を知った時はどんなお気持ちでしたか。

石井 全く信じられませんでした。マリインスキーの入団が決まった生徒たちのリストがアカデミーに張り出されたのですが、当然自分は受かるはずがないと思い、見にも行きませんでした。そしたら、日本人留学生の男の子たちに、「おめでとう」と言われて。それで入団を知って、すぐに母に泣きながら電話しました。

----お話を伺っていると、石井さんの場合、プロになってやる! という強い思いというよりは、周りが...変な言い方ですが、バレエの神様が石井さんを踊らせているような感じがします。

石井 そうですね。こんなことを自分で言うのもなんですが、小さいころから自分からプロを目指していたわけでもなく、ものすごいバレエ・ファンというわけではないのです。それが、このようにして、マリインスキー・バレエに入って。やはり運命的なものを感じます。「やれ」と言われているような。
でも、何か一つのことを徹底的に極めるのは好きなので、バレエの場合、自分の体や筋肉の動きをコントロールすることを徹底しています。学んだことを生かして、体の使い方そのものを追求することは、大好きです。それは、人一倍やっている自信があります。

----体の動きそのものに興味があるというのは、珍しい気がします。その延長線上で、YouTubeで体の正しい使い方を説明する動画を公開なさったりしているのですね。

石井 はい。パソコンが壊れて続きの動画をアップできていませんが、追々公開していく予定です。

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『ドン・キホーテ』のヴァリエーション © Natasha Razina

----5年間でご自身の中で変化した部分はありますか。

石井 精神的に強くなったことです。
実は入団後、踊っても踊っても一向に体力がつかず、1分の曲も踊り通せないくらいでした。実力不足だと思ってトレーニングをいくら行っても、いざ本番になると舞台上で手足がしびれたように力が入らなくなってしまい、せっかく与えられたチャンスも失敗を重ねてしまいました。
3年目に入るころ、検査で、実は慢性の貧血だったことがわかりました。逆に病気でよかったとそのときは思いました。芸術監督にも事情を話し、貧血を治したので役が欲しいと直談判し、「わかった」と言ってもらえましたが、その後1年、ソロ・パートは無く、コール・ドの役しかもらえませんでした。焦りもあり、周りへの嫉妬もありましたが、何より自分を責めすぎてしまい、病気とはいえ与えられたチャンスをふいにしてしまったことを、ずっと引きずっていました。バレエしかしていないので、ソロが踊れないのは自分のせいだとふさぎ込み、その時は仲の良い母にも話ができませんでした。

----そんなことがあったのですね。立ち直るきっかけは何でしたか。

石井 同じように精神的なダメージを受けている友だちの話を聞いて、彼女の方がずっと辛いと思い、そこで、自分をはじめて客観視できたのです。そこから、自分に優しくすることを覚えました。以前は、体がどんなに疲れても、トップの人は自分より練習していると言い聞かせ、自分を追い込んでいましたが、今はきちんと休むようにしています。

----慢性貧血からくる不調が、5年間で最も辛い挫折だったと思いますが、逆に、一番嬉しかったことはなんですか。

石井 母はペテルブルクに来たことがなく、マリインスキー劇場で私の踊りを見たことはまだ無いのですが、ウラジオストクで行われたガラ公演に駆けつけて、そこで初めてマリインスキーで踊る自分を見てくれたのが、一番嬉しかったです。自分を知っている人が、自分の踊りを楽しみに来てくれることは、とても嬉しかったです。

----日本から遠く離れた一流バレエ団で活躍される石井さんの姿を見られてお母さまもうれしかったと思います。
話は変わりますが、マリインスキーでの一週間はどんな感じですか。

石井 週6レッスンで、1日休み。2日に1回以上のペースで本番があります。

----ハードですね! 1年は?

石井 一応9月から8月までシーズンですが、56日間のシーズンオフが契約で決まっています。

----シーズンオフはやはり日本で過ごされますか。

石井 そうですね。その間一切踊りません。心のために、休むようにしています。

----シーズン中は、海外公演も多いですよね? どのくらいの間海外公演がありますか。

石井 はい。先シーズンは中国、アメリカ、スイス、ドイツ、イタリア、ウラジオストクと一ヶ月半は海外公演でした。

----日本公演は参加されますか。

石井 はい、その予定です。今からとても楽しみにしています。家族や友だち、日本のみなさんに踊りを見てもらえるのはとても嬉しいです。

----2015年も日本公演に参加されていましたよね。入団後最初の日本公演だったと思いますが、いかがでしたか。

石井 はい。あのとき踊った『愛の伝説』がリハーサルなしで、ゲネプロ一回だけで本番で、ハラハラしたのを覚えています。

----レパートリーの中で好きな作品、また、今後踊ってみたい作品はありますか。

石井 2015年に日本でも踊った『愛の伝説』です。人間の体が芸術の一部になり得ることをもっとも強く感じます。今後踊ってみたい作品は、特にありません。今は、頂いた役を踊っていくだけだと思っています。

----以前とあるインタビューで、表現力のあるダンサーになりたいとおっしゃっていましたが、それは今でもかわりませんか。

石井 はい。体の使い方を芸術につなげていけるダンサーをめざしています。

----目標としているダンサーはいますか。

石井 ロパートキナです。彼女の踊りを見ていると、音楽がとてもよく聞こえます。音楽性が非常に高い、別格のダンサーだと思います。

----本番で、心がけていることはありますか。

石井 舞台上での笑顔はいつも大事にしています。

----最後に、海外で、そして一流のバレエ団の第一線でプロとしてやっていく上での心構えを教えてください。

石井 5年間で、自分をいじめすぎないことを学んだと言いましたが、一方で、努力とは自分をいじめ抜くことで、プロとして上に行くには不可欠だと思っています。目一杯やって、壊れる手前で自分をいたわり、バランスをどう保てるかが、一番大事です。

----5年間もマリインスキー・バレエという華やかでありながら過酷な環境で、プロとしてやってこられた石井さんから、挫折の克服など、興味深い話を伺えて大変うれしかったです。本日はお忙しい中、大変貴重なお話をどうもありがとうございました。日本公演で踊りを拝見できる機会を、心より楽しみにしています。今後ますますのご活躍をお祈りしております。

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『ドン・キホーテ』のヴァリエーション © Natasha Razina

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