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中村恩惠インタビュー 舞踊活動を展開してゆくのはまるで大海原を旅するようなもの「中村恩恵コレオグラフィック・センター」はその港になります

ワールドレポート/東京

インタビュー/関口紘一

----中村さんはヨーロッパで活動されていた時から、ご帰国されて日本を拠点に活動をされて、おおよそ10年ですね。

恩惠 そうですね、私は最初クラシック・ダンサーとしてヨーロッパに渡り、モナコのバレエ団などで踊りました。その後、ネザーランド・ダンス・シアターに移りました。キリアン作品はバレエから発生していますが、ダンスシアターでどんどん新しいものに接していくうちに、バレエ教育を受けてきた自分の身体性というものが、有益であると同時に制限ともなっているように感じるようになりました。自分が育ってきた過程や積み上げてきたものから自由になりたいという気持ちが大きくなり、20代後半でカンパニーを離れました。その後、振付をも手がけるようになり、10年近くオランダでフリーランスとして活動しました。それは、柔らかな個を鋳型の中に嵌め込もうとする外からの圧に逆らう戦いの時でした。

2007年に日本に拠点を移した数年は、人が素の自分を取り戻すことができる場として「ダンスサンガ」を設立し、実験的な活動を展開していました。個人個人が自身のニュートラルな在り方と繋がることができる時空を創造したいと願ったのです。
私が活動をしていた当時、ヨーロッパでは大多数のダンサーはクラシック・バレエをベースとし且つ新しい技法にも精通しており共通言語が確立されていました。常に、同じ土俵で生きてきた人たちと活動していたのです。ところが日本では、自分と異なった基礎を持つ方と仕事をする機会が多々あります。舞踏、現代舞踊、コンテンポラリー、また古典バレエのみに特化したバレエダンサーの方などと作品を創ることになります。これまでとは異なる色合いの創作の時間を持つようになりました。逆説的ですが、多様なダンサーと触れ合うことによって、自分がバレエ・ベースであるということを再認識させられています。

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中村恩恵 ©︎Tadashi Okochi

数年前に、横浜赤レンガ倉庫ダンス・ワーキング・プログラムにて 舞踊史講座を企画しました。舞踊が人類の歴史の中でどのような過程を経て今日に至ったのかを学ぶ貴重な機会となりました。その影響を受け、ここ数年は全体的な大きな流れの中で今を捉えて作品を創ることが多くなりました。洋舞が日本に入って来ておよそ100年になります。その間に、戦争があり、工業化が進み、そして今は医療やITが飛躍的に進んでいます。横浜赤レンガ倉庫ダンス・ワーキング・プログラムの締めくくりには『サイレント・ソングス』という作品を創りました。人と踊り、そして命と肉体の関係が主題となっている作品です。この作品の中では、私自身がトウシューズを履いて一瞬『ジゼル』を演じています。その後もクラシックの技法を全面に押し出した作品を積極的に創るようになりました。作品を通して、自分の生い立ちとアイデンティーを、まるでキリスト教の人たちが信仰告白するように公に打ち出す、そういうところが帰国後10年の終わりの近くにいる私の現在だと思います。自分自身と和解したと言えるでしょう。何かから逃げようとしているわけでもなく、そして何処にでも住んでいられるという地点に来たのかもしれません。それは10年間の積み重ねの中で進化してきたものと言えると思います。

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モンテカルロバレエ団にて。
アントニオ・チューダーのガラ・パフォーマンスのフレンチバレリーナ役(ジャン・シャルル・ジルと)

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イリ・キリアン「ステンピング・グラウンド」
@LAURIE LEWIS

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「ハムレット」@Tadashi Okochi

----より自由になられたということでしょうか。今のお話をお聞きしまして、やはり、ヨーロッパで活動されたことで、現在の立ち位置も客観的に捉えられていらっしゃるのかな、と感じました。

恩惠 日本でバレエを習っていた頃は、自分たち日本人がヨーロッパの『眠れるの森の美女』などを発表会で演じているということになんの違和感も感じませんでした。ところが、フランスに渡り西欧人の中で一人、骨格も肌の色も異なる自分が皆と同じチュチュや金髪のかつらを付けて西欧人の真似をしていることに深い疑問を抱くようになりました。
オランダのNDTには多くの国籍の人たちが在籍していました。キリアン作品には人類の共通分母を探るような大きさがあります。そういう中にユートピアを見つけていくことが、自分の居場所を感じていくことだったような気がします。
さて、インターナショナルカンパニーに入った後も、エキゾティックな側面を強調され舞踏や能に引きくらべつつ批評されていました。自分のDNAの中にはヨーロッパとは異質なものが組み込まれているということを痛感しました。バレエは大変な努力と苦労をして獲得したものなのに、私がそのバレエを踊っている姿を見て、西洋人は「まるで舞踏のように」とか「能のように」と言う。努力もしないのに自分の中に宿っている世界がある、、、。

----見る側がそういう風に見てしまうのですね。

恩惠 日本人を見ると、ヨーロッパに輸出されている日本文化とリンクしてみてしまうようなところがあります。
日本ではお相撲などが国技といわれますね。モナコのカンパニーにいた時も、クラシック・バレエが外交政策の一つとしての役割を担うことがありました。文化大使のような役割ですね、そうすると自分は外国人なのにその国の代表になったり、そういう役割を担うことになります。

----今の人たちは、あまりそういうことを感じていないような気がするのですが。

恩惠 世界が本当にグローバル化して来ています。例えば、世界バレエフェスティバルの上演演目にもそれが顕著です。ノイマイヤーのカンパニー以外のバレエ団のソリストがノイマイヤーの『椿姫』のデュエットを踊ったり、キリアン・ダンサーでないバレリーナがキリアン作品を踊ったり、NYCBとは無関係のダンサーがバランシン作品を踊ったり。特定の作家の作品を踊るために全てを投げ捨てて、ダンサーとしての自分の人生を一筋の道に捧げていくということが、もはやなくってきているのではないでしょうか。
スターバックスに行けば、どこの国にいても同じコーヒーが飲めるのと似た感じです。世界中が均一化され、どこにいてもあまり大差がないような、地域的特色が薄くなってきていますね。

----バランシンは自分のメソッドで自分の作品を踊るダンサーを育てようとしました。今でもニューヨーク・シティ・バレエ(NYCB)が一番特徴のあるバレエ団かもしれません。しかしもう、そうした垣根があったことすら忘れられようとしている気もします。

恩惠 バランシンの『アポロ』を一番最初に見た時に非常に深い感銘を受けたのですが、最近、久しぶりにユーチューブであるカンパニーが『アポロ』を踊っているのを見て、「おや? こんな平凡な作品だったのか。」と訝しく思いました。そして、年とともに自分の目が感動する力を失ったのかとも怪しみました。ところがその後、本家のNYCBの『アポロ』の映像を見る機会に恵まれ「そう、これが私の見た『アポロ』だった!」と再度感動したのです。やはり身体の使い方を通じてバランシンの世界観がそこに現れているかどうかが要なのですね。同じ作品を踊っても振付家の世界観が動きとして現れて来ないことがあるのは恐ろしいことです。

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イリ・キリアン「ブラックバード」(中村恩恵・首藤康之)
©︎MITSUO

----新たにコレオグラフィック・センターを立ち上げられるとお聞きしました。

恩惠 そうなんです。舞踊活動を展開してゆくのはまるで大海原を旅するようなもののように感じています。知識や技術を船に詰め込んみ、インスピレーションという風を受けながら大海に進むのですが、時には大きなアクシデントに見舞われ、時には歯車がおかしくなってしまったりもします。これまでのキャリアを振り返った時に、そのような危機の時に身を寄せることのできる港が必ずあったと思うのです。その港に寄ったら今までしてきたことを更新し新しい情報や知識を得てまた新たに航海に出発していく、というふうに。
これまで私がキャリアを重ねてくる中でたくさんの港に出会いました。そのような環境で初めてダンサーが少しづつ自分の心の羅針盤を読み解きつつ自ら舵をとって航海していくことができるのだと思うのです。そのような個人的な旅路の知恵が集約して、公の地図が生まれてくるのだと思います。
もしも港が閉鎖的でいざという時に船を寄せる場がないのであれば、船は嵐に揉まれて木っ端微塵になってしまうでしょう。安全地帯があることを知っているが故に私たちは大胆になれるのだと思います。私はこれまでオープンな港に恵まれてきました。今度は、自分が港的な存在になって、自分の意思で航海していくことを目指すダンサーを支援してゆきたいと願っています。新鮮な水に魂を洗い、次の旅立ちに備えて英気を養うための居場所を作っていきたいのです。
公演活動を中心に添えて、舞台芸術全般にわたる研究や、舞踊のアーカイブの整備などを行っていきたいと思います。こうした活動が社会全体に寄与できるものとなることを願っています。舞踊家とは孤独な闘いを内面に繰り広げるものですが、大きなことを成し遂げるには「協力していく力」というものが大切です。コレオグラフィックセンターでは、アーティストとプロデューサーが協力関係を築いた上で事業を展開して行くことを重視しています。アーティストが伸びやかに自分を磨くこのとのできる安心できる地盤、立ち寄ったら次の出発の拠点となるような整備された港を築きたいと思います。もちろん、メタファーとしての「港」ということです。

----それはどんどん船が入ってきたり、出航したりして大いに活況を呈する港になって欲しいですね。

恩惠 そうですね、ダンスのために行うことが大きく社会のためにもなっていくことができれば、ダンスの活動をしていくことが舞踊家の自己満足に終わらないのではと思います。

----正式名称といつがスタートになるか教えてください。

恩惠 中村恩恵コレオグラフィック・センターです。7月にスパイラルホールで行われた『Triplet in Spiral』公演がスタートとなりました。ここに出演したダンサー、加藤美羽は4月のWSオーディションから選出しました。今後も才能の発掘と育成に力を注いで行きたいと思います。
コレオグラフィック・センターの活動ではジャンルの横の交流も深めたいのです。演劇の分野や日本の伝統芸能にも造詣を深めて行きたいと思います。

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マーサ・グラハム「Lamentation」(折原美樹による)
©︎ANOTNIA K MIRANDA

----日本の今の舞踊界は、それぞれ邦舞、バレエ、コンテンポラリー、モダン、ジャズ、舞踏、シアター、フラメンコなどとそれぞれ分かれていて、ほとんど交流がないと思います。確かに日本舞踊でもバレエなどの音楽で踊ることがありますが、もっとオープンなすべてのジャンルを超えて交流が生まれるような機会が、もっともっとあってもいいのではないか、と常々思っております。

それから最近の日本では、ヨーロッパやアメリカの新しい世代のダンスが全く入ってこなくなってしまっています。大雑把にこの5年間ぐらいを見ても、ドクフレ、ジェローム・ベルと数えても5本の指が余るくらいです。ニューヨークにも新しい世代の振付家が台頭している、と聞きますし、オペラ座でミルピエが試みたこと、英国ロイヤル・バレエではウィールドンやスカーレットといったアシュトン、マクミランを継ぐ世代が確実に育ってきています。最近は、東京にいてはほとんどそうしたものに触れることができません。予算がないのなら、そうした21世紀のパースペクティヴを見せる振付家に一人でぶらっと来てもらって、ワークショップをやってもらうとか、スタジオパフォーマンスを披露してもらうとか、そうしたこともコレオグラフィック・センターでどんどん積極的にやっていただきたい、と思います。コレオグラフィック・センターとしては、具体的にまず、どういうことから取り組んでいかれるのですか。

恩恵 8月に中旬にグラハムとキリアンを組み合わせたワークショップを企画しています。私がネザーランド・ダンス・シアターで活動していた頃、キリアンのディレクター室に入るとグラハムの大きな写真が飾ってありました。キリアンと話していると、その背後にはグラハムが存在しているような気持ちになりました。
その後、舞踊の歴史というものを自分なりに勉強して、クランコはグラハムとバランシンの流派を融合させたいと考えていたと知りました。そのクランコのもとでキリアンが育ったのです。私は若い時にグラハムのテクニックを実際に習ったことがありません。数年前、折原美樹さんから初めてグラハムテクニックを教えてもらった時に、キリアンがいかにグラハムの影響を強く受けているかをはっきりと知ることができました。キリアン作品を踊る時に参考になる要素をたくさん学ぶことができました。
一人の振付家が如何にそのスタイルを確立してして来たかを知ることの重要性について、この歳になり深く考えるようになりました。こうした経緯で、グラハムとキリアンの作品を組み合わせたワークショップを企画するに至りました。キリアン氏もこうした試みをとても喜んでくれています。

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「ハムレット」@Tadashi Okochi

----ヌレエフも亡命してグラハムのテクニックを学んでいますね。

恩恵 多くの場合、メソッドが出来上がるとメソッドが絶対になってしまいメソッドを作った意味が薄れてきてしまいます。私の中でもメソッドを確立すべきという使命感があるのですが、作られたメソッドによってダンサーがより深く自分自身と繋がることのできるものになって欲しいと思っています。
今回のグラハム・キリアンWSが、作家たちの芸術に対して肉薄してゆく気迫に触れ、彼らの作品を通じて情感に溢れた世界の色彩豊かさに気がついてもらえる機会になることを願っています。受講した人たちが、自分なりの表現というものに目覚めることができたら素晴らしいと思います。キリアン風に動けるようになる、もしくはグラハムの特定のステップができるようになるといった具体的な成果が目的になるのではなしに。

----素晴らしいですね、広くダンサーたちに呼びかけていきたいですね。
『Triplet in Spiral』の公演から、すでに始まっているということですか。

恩恵 そうです。ワークショップは8月18日(土)19日(日)にみなとみらいホールの練習室で行います。「グラハムワークショップ」は折原美樹さんにお願いして、私は「バレエ・キリアンワークショップ」を行います。
また、8月30日横浜みなとみらいホールで横浜美術館の「モネ、それから100年」に寄せて、4人のミュージシャンとコラボレーションする『水・空気・光』では、折原さんも参加していただいて、首藤康之さん、米沢唯さんたちと一緒に踊ります。

----そして来年は新国立劇場バレエ団に『火の鳥』を振付られますね。

恩恵 はい、今、リハーサルを行っているところです。

----『火の鳥』と言いますと、フォーキンとベジャールの作品が思い浮かびますが、中村さんはどのような観点から振付をなさるのでしょうか。

恩恵 『火の鳥』はフォーキンによって生まれた作品です。そのフォーキンへのオマージュという形で作ってみませんかと新国立バレエ団の大原芸術監督からお話を頂きました。そこで、フォーキンは何を目指したのだろうかという問いかけから創作をスタートさせました。この作品の初演時に創作に関わった人々が考えていたことや、歴史的背景、また多くの振付家たちにより再演出された様々な形の『火の鳥』に関してなど色々と調べてみました。こうした下調べの間に、キリアン氏から「火の鳥」について貴重なアドバイスを頂く機会に恵まれました。ヨーロッパの文化において「火の鳥」が象徴するものは「自由」であると。そしてその「自由」とは、常に危険と隣り合わせにあるものであるということを。
その「自由」をキーワードに物語を再構築し直しました。社会における「自由」のための闘い、そして弱者である「娘」の受難、若者たちの死を主軸として物語が語られてゆきます。「死」の物語を語ることによって「火の鳥」の永遠性を象徴的に炙り出す構成となっています。
今回のキャストの興味深いところは性の不均衡にあると思います。女性性を帯びている「火の鳥」を男性ダンサーである木下嘉人さんが演じ、逆に今回のキャストで唯一の女性である米沢唯さんは男装し革命軍に紛れて踊ります。以前手がけた『Shakespeare THE SONNETS ソネット』でもジェンダーの問題が取り扱われていますが、今回は特に世阿弥の能である『井筒』を意識しています。「井筒」においては、男性の演者が女性を演じているのですが、尚且つその女性に男性の霊が乗り移るという構成になっています。フォーキンが、バレエにロシア民話の主題を選んだように、私は彼の「火の鳥」に日本の伝統的な技法で持って斬り込んで行こうと思案しているのです。

----本日はとても興味深いお話をたくさん聞かせていただきまして、ありがとうございました。次々といろいろな構想が明らかになってきて、とても嬉しく頼もしかったです。

<中村恩恵そのほかの予定>

京都のロームシアターのニューイヤー・ガラ「バレエ✖️オーケストラ」の演出・振付。オーケストラはオペピットに入り、チャイコフスキーの『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』、プロコフィエフの『シンデレラ』、ベルリオーズ『幻想交響曲』シュトラウス『美しき青きドナウ』ほか10曲の抜粋を演出・振付けます。首藤康之、渡辺理恵ほか出演。白井晃演出のサルトルの『出口なし』再演、KAAT。

公演情報
横浜みなとみらいホール開館20周年
音楽と舞踊の小品集
横浜美術館企画展「モネ それからの100年」によせて

@横浜みなとみならいホール 大ホール
http://www.yaf.or.jp/mmh/recommend/2018/08/post-268.php

新国立劇場バレエ「ニューイヤー・バレエ」
https://www.nntt.jac.go.jp/ballet/performance/28_011655.html

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