永遠の命を得る水を巡り、人間の存在と自然の摂理が渡り合う、能『鷹姫』を観る

ワールドレポート/東京

関口 紘一 Text by Koichi Sekiguchi

世田谷バブリックシアター「狂言劇場 特別版」

能『鷹姫』W.B. イェーツ:原作、野村萬斎:演出

<古典芸能という枠にとどまらず「"舞台芸術=パフォーミングアーツ"としての狂言」というコンセプトに基づき2004年にスタートした「狂言劇場」>の特別版と銘打って初めて能の演目『鷹姫(たかひめ)』が上演された。
『鷹姫』は、1865年に生まれたアイルランドの詩人、ウィリアム・バトラー・イェーツ(1923年ノーベル文学賞受賞)が日本の能に影響を受けて執筆した戯曲『鷹の井戸』を新作能(1967年、横道萬里雄)としたもの。ちなみに、1916年にイェーツの『鷹の井戸』がロンドンで初演された時には、のちに舞踊家としてニューヨークやロサンゼルスで活躍した伊藤道郎が参加している。

1『鷹姫』大槻裕一(--狂言劇場 特別版---能『鷹姫』・狂言『楢山節考』撮影:政川慎治20180623).jpg

「鷹姫」大槻裕一 撮影/政川慎治

世田谷パブリックシアターの劇場空間に、特設の能舞台を設置して照明なども駆使し、能『鷹姫』は上演された。劇場の客席に慣れているので、とても見やすかった。

物語は、絶海の孤島で永遠の命を得ることができる水が湧く、と伝えられる泉が舞台。その泉で何十年もの間、水が湧くのを待ち続ける老人(大槻文蔵)と泉を守る鷹姫(片山九郎右衛門)、そして水を求めてやってきた若い王子、空賦麟(くうふりん・野村萬斎)との永遠の命を得る水をめぐる姿を描いている。鷹姫には大自然の摂理が象徴的に表わされている。
若い王が剣を手に登場し、若さと権力によって永遠の命を得る水を奪おうとして、鷹姫と渡り合う。すると一瞬のうちに水が溢れ、たちまち消えて全てを失う。何十年にも渡って、水を待ち続けた老人は絶望し、杖につかまりながらよろよろと舞う。今日の人間の姿を現しているような、凄絶な孤独が舞われ、やがて絶望に打ちひしがれた老人は、泉の岩となる。若き王は、剣の代わりに残された老人の杖を頼りに泉から去って行く・・・・。
命の水が溢れ。一緒のうちに消える演出も見事だったし、鷹姫と王の立ち回りにも迫力があった。地謡は黒いカラスのような衣装を着け、登場人物の孤独感と絶望感を効果的に現わしていた。また、神秘的で象徴的な物語は思い返すたびに、寓意が深まっていくようにも感じられ、優れたものだと思った。
(2018年6月30日 世田谷パブリックシアター)
※写真は公演当日のものではありません。

2『鷹姫』大槻文蔵(--狂言劇場 特別版---能『鷹姫』・狂言『楢山節考』撮影:政川慎治20180623).jpg

「鷹姫」大槻文蔵 撮影/政川慎治

3『鷹姫』野村萬斎(--狂言劇場 特別版---能『鷹姫』・狂言『楢山節考』撮影:政川慎治20180623).jpg

「鷹姫」野村萬斎 撮影/政川慎治

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