ピーター・ライトの優れた演出に溶け込んだダンサーたち

ワールドレポート/東京

秀 まなか
text by Manaka Shu

プティパ、ピーター・ライト振付、ピーター・ライト演出『ジゼル』

スターダンサーズ・バレエ団

1幕の冒頭、アルブレヒトの戸を叩く音を聞き、ジゼルが家から駆け出してくる。その瞬間、「あっ」と感じた。瞬間に理屈は働かない。このジゼルは本物だ、と本能が察知したのである。
そのジゼルは林ゆりえ。スターダンサーズ・バレエ団の1月公演『ジゼル』でタイトルロールを演じた新進プリマは、登場した時からジゼルだった。的確なテクニック、長い手足、高い甲、人目を惹く華とプリマとして申し分ない条件を備えている彼女は、今年22歳を迎える若さにして、すでにパの意味を知っている。バレエのパはあくまで物語を描写する手段だ。派手なテクニックはなく、1幕の村娘、2幕のウィリを演じ分けなければならないジゼル役ではその傾向は一層強まる。

スターダンサーズ・バレエ団『ジゼル』 Tadashi Takahashi (A.I Co.,Ltd.)

だが、頭で理解していても実践となると、至難の業。演技重視の部分とテクニックの重視部分を二分する、演技が小さいために空間に負ける、肩に力が入ってオーバーな演技になってしまうなどの事態に陥りやすく、ましてや若手となれば、振付を追うことで精一杯になることが多い。だが、彼女のパは、それとは無縁のもの。淀みなく演技と一体化し、ヴァリエーションやワルツで、アルブレヒトに恋を語る。ジゼルとして息づくパは、やがてマイムとも一体化し、一つ一つのマイムの意味を知らない観客にも、ジゼルが言いたいことの要点は伝わっていると確信できるほどに、自然に溢れ出していた。

スターダンサーズ・バレエ団『ジゼル』 Tadashi Takahashi (A.I Co.,Ltd.)

もちろん、同団が20年来採用している、サー・ピーター・ライトの人物描写を深く掘り下げた演出によるところも大きい。ジゼルの死は、アルブレヒトの剣を自らの胸に突き立てる自殺と断定。キリスト教でタブーとされる自殺ゆえに、ジゼルの墓は森の外れにある、という裏付けは、矛盾点を一気に解決して物語に一貫性を持たせ、観客をスムーズにロマンティック・バレエの世界へと運んでゆく。
その優れた演出を生かすも殺すも、すべてはダンサーの力量にかかっている。その点も林は万全だ。サー・ライトからの直接指導を糧に、自殺に至るジゼルの心情を切々と訴えかける。

同じライト演出でも、泣き叫んで、派手な展開をするダンサーが多い狂乱の場面で、彼女は終始静謐さを貫く。アルブレヒトの裏切りを知っても目つきだけを変貌させ、行動はあくまで冷静。徐々に心が壊れていくさまを、節度を保った細やかさで、密やかに、だが、確実に描き出していた。
その静謐さは2幕にも通じるものがある。凛とした姿勢とトゥシューズの音を一つも立てない、自由自在のポワントワークで、ウィリとなったジゼルの無の世界を体現する。2幕のウィリの世界を描くには、トゥシューズの音が要だ。ウィリには、重力がない。素晴らしく、高い跳躍を見せても着地で音を立てれば、説得力を欠いてしまうのだ。
ドゥ・ウィリの小池知子、長谷川智佳子、18人のコール・ド・バレエも重力のないウィリとして確かに舞台上に存在していた。歩く時でさえも、トゥシューズの音は最小限に抑えられており、アラベスクでの交差の場面は、完璧。上半身を固定したまま滑るように移動するさまは、ウィリの行進そのものだ。世界有数のバレエ団でもここまで軽やかさを演じられるコール・ド・バレエは見られなくなってしまったに等しいから、久々の邂逅に思わず、オペラグラスで見入ってしまった。
リアリズムに徹した『ジゼル』は現代の観客を違和感なく、200年近く前の物語に入り込ませることを可能にする。その事実を、サー・ライトの演出と、その演出に溶け込んだダンサーたちの熱演が、雄弁に語っていた。
(2010年1月24日 ゆうぽうとホール)

撮影:Tadashi Takahashi (A.I Co.,Ltd.)

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