新生NBAバレエ団が4人の振付家を招聘して踊った「Metamorphose」

ワールドレポート/東京

関口 紘一
text by Koichi Sekiguchi

NBAバレエ「NEW DANCE HARIZON Metamorphose」

『Harmonization --- 習慣からの脱却』松永雅彦:振付、『AGUA』キミホ・ハルバート:振付、『むかしむかしあるところにわたしがいました』伊藤キム:振付、『Thousand Knives』舩木城:振付

NPO法人としてバレエ・リュスなどの近代バレエの重要な作品の復元上演とコンテンポラリー・ダンス創作、という2つの大きな課題を掲げて活動してきたNBAバレエ団。芸術監督が代わり、新たに久保綋一が就任した。今回の『NEW DANCE HORIZON Metamorphose』が新体制の最初の公演となる。4名の実力派の振付家の作品が上演された。

最初は日大芸術学部出身で西田堯舞踊団で踊った後、フランスで修行してきた松永雅彦の作品『Harmonization---習慣からの脱却』。2部構成だったが、前半はトップがえんじ色で黒いショートパンツの群舞が環境因子のように、様々にフォーメーションを展開した。後半は中央に2脚の簡易な椅子を置いて男女2人ずつの黒い衣裳の4人が踊ったが、2組のペアが成立したわけではなかった。ラストシーンでは2脚の椅子の間で照明が明るく輝くシーンだった。
全体にちょっと作り過ぎではないかと思われるほど、スタッカートな速い動きで展開したが、構成は緻密に創られていた。

松永雅彦 振付『Harmonization --- 習慣からの脱却』

『Harmonization --- 習慣からの脱却』

キミホ・ハルバートの『AGUA』は2008年の作品。それぞれがペンライトを持って集団で舞台や客席から登場。蠢くような動きで水の流動性を表わしていた。トリオから2組のデュオになったり、ソロヴァリエーションと、様々に変化をつけながら、速い軽快なテンポのある動きで展開した。音楽はグレッキ他でアリアも使われて荘厳な雰囲気も醸していた。
伊藤キムの『むかしむかしあるところにわたしがいました』は、バレエダンサーにバレエの動きを封じ、バレエを捨てたあるいはバレエを踊る前にの自分を発見させることを試みるダンス。バレエを失った身体はどのように変化するのか、または自分の身体を取り戻すのか、そしてそこに生まれる他人との関係と社会性をドキュメントした作品なのだろうか。そうでなくとも一つの仮定の状況を与えられた、ダンサーたちが変化していく様子は興味深いものがあった。

舩木城 振付『Thousand Knives』

『Thousand Knives』

バレエ・シャンブルウエスト出身で、ロイヤル・ニュージーランド・バレエに在籍して振付を始めた舩木城の振付は『Thousand Knives』.。音楽は坂本龍一から使っており、タイトルも曲名からとっている。クラシック・チュチュをつけ、ポワントを履いた6人の女性と、ゆるゆるの太いパンツに上半身裸の男性ダンサー3人が踊った。クラシックの動きをテンポを速めて、コマ落としのように踊った。確かにメタモルフォーゼだが、これは一種のクラシック・バレエのパロディだと思う。おそらく作者には、クラシック・バレエの動きでは坂本龍一が捉えているような現代的な表現は創れない、という認識を持っているのだろうと思う。

しかし、逆に言うと、これだけテンポを崩しても踊れるし、表現することも可能だということはクラシック・バレエのメッッソドは優れている、ということになるのではないか、とも思った。
(2012年10月23日 杉並公会堂)

キミホ・ハルバート 振付『AGUA』

『AGUA』

キミホ・ハルバート 振付『AGUA』

『AGUA』

松永雅彦 振付『Harmonization --- 習慣からの脱却』

『Harmonization --- 習慣からの脱却』

舩木城 振付『Thousand Knives』

『Thousand Knives』

伊藤キム 振付『むかしむかしあるところにわたしがいました』

『むかしむかしあるところにわたしがいました』

伊藤キム 振付『むかしむかしあるところにわたしがいました』

『むかしむかしあるところにわたしがいました』

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