動きと衣裳と照明が一体となって美しいヴィジュアルを創ったバットシェバの『サデ21』

ワールドレポート/東京

関口 紘一
text by Koichi Sekiguchi

Batsheva DANCE COMPANY バットシェバ舞踊団

"SADE21" by Ohad Naharin in collaboration with Batsheva Dance Company dancers
『サデ21』オハッド・ナハリン:振付 バットシェバ舞踊団ダンサーたちとのコラボレーション

オハッド・ナハリン率いるイスラエルのコンテンポラリー・ダンスのカンパニー、バットシェバ舞踊団が来日し、1997年の『ジーナ』2010年の『マックス』に続いて、彩の国さいたま劇場で『サデ21』を上演した。これは2011年5月にイスラエル・フェスティバルで初演されたもので、「バットシェバ舞踊団ダンサーたちとのコラボレーション」と付言されている作品だ。
「サデ SADE」とはヘブライ語でフィルードを意味するそうだが、さらに大自然を感じさせる真ん中というニュアンスかあるという。
舞台は天地の半分くらいの高さに真っ白い壁を三方に張り巡らしているので、スライスされた扁平な空間を観客に意識させる。オープニングは衝撃的な激しい爆発音があり、「サデ1」と文字が映し出される。そしてダンサーが一人一人が舞台中央に登場して踊る。自己紹介のダンスと受け取ったが、「ダンサーとのコラボレーション」と附言されていることからも、バトシェバ舞踊団のダンサーたちの創意が織り込まれた作品と分かる。「サデ1」「サデ2」と次第にダンスのステージが上がっていくということだろうか、「サデ3」くらいになると、ダンサー同士が様々に絡み合ったシーンが出現する。
白い舞台なので、ほとんどがショートパンツとトップだけだが、様々の色合いがシックな衣裳と、単色が多くシャープな感覚の照明の色彩が良く映え、鮮やかなヴィジュアルが創られている。
全体にスローモーションを多様しているので、照明の効果とバトシェバ独特の細かい動きとのびのびとした大きな動きが混交して、人間と人間の身体が初めてであった時に生まれるプリミティブな感覚を感じた。セックスを示唆したもの、音楽的身体、社会的関わり合いなど思わせるシーンがつぎつぎと踊られた。しかし、かつて、舞台上の5人の男性ダンサーに自動小銃を持たせて、いっせいにマスタベーションをさせたような鮮烈なシーンはない。もっとも当時は、世紀末で男性舞踊家がエイズで次々と落命するといった終末感にとらわれていた特別な時代だったからだろうけれど。『アナフェイズ』の成功から作品の傾向が変わってきたのかも知れない。男性ダンサーも良く踊っているが、どこか虚ろで何か癒しがたい喪失感を抱えているようにも、私には見えた。『2001年宇宙の旅』を思わせる、といった評があったらしいが、コンピュターに意図するところをすべて読まれてしまう、といった衝撃的な未来感覚はない。ただ、自分探しのオデッセイにはいささかの絶望の色が塗り込めていたようだったから、そういった批評がうまれたのかもしれない、と思った。エンディングは、扁平に区切った壁の上からダンサーたちが次々と飛び降りる、といったシーンであった。
(2012年11月23日 彩の国さいたま劇場 大ホール)

バットシェバ舞踊団「サデ21」photo/Matron

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バットシェバ舞踊団「サデ21」photo/Matron

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バットシェバ舞踊団「サデ21」photo/Matron

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バットシェバ舞踊団「サデ21」photo/Matron

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