ロシア皇帝、妃、皇太子、ラスプーチン、クシェシンスカヤ、破滅の輪舞が回る・・・

ワールドレポート/東京

関口 紘一
text by Koichi Sekiguchi

小林紀子バレエ・シアター

ケネス・マクミラン振付『アナスタシア』

ケネス・マクミラン振付の『アナスタシア』日本初演は見事な舞台だった。
小林紀子バレエ・シアター創立40周年記念公演の第1回公演だが、2001年の『ソリテイル』以来、マクミラン作品を上演し続けて力を蓄えてきた成果を、昨年の『マノン』に次いで存分に発揮し舞台だった。『マノン』は昨今、新国立劇場バレエ団も上演したが、外来のバレエ団もしばしば上演し、作品自体に馴染みはある。しかし『アナスタシア』全幕は英国ロイヤル・バレエ団でも再演は数えるほどしかない。上演規模も『マノン』よりさらに大きく、様々の困難にも遭遇したと思われるが、カンパニーもマクミランの連続上演で勢いにのっており、見応え充分の舞台であった。

第一幕は、双頭の鷲のエンブレムの下、皇帝の豪奢を極めたヨット上の舞踏会。ロシア皇帝一家は、この皇室用のヨット、スタンドル号で春になるといつも黒海へ保養に出掛けていた。世界中の羨望を誘うかのような皇室一家7人の家庭生活が、何の憂いもなく繰り広げられている。皇女姉妹と幼いアナスタシアは他愛なくはしゃぎ回っている。
しかし理想的生活の裏側には、結婚20年目にやっと恵まれた跡継ぎの皇子ニコライが難病の血友病に冒されている、という宿命を負っていた。一部に、それを癒やす力があると信じられている農民出身の修行僧ラスプーチンの、不気味な影響力が宮廷にしのび込んでる。そしてあろうことか、妃殿下とナロードとの関係まで取り沙汰されるようになっていたのだ・・・・。
一触即発だった国際情勢は、ついに戦争の開始を告げた。

小林紀子バレエ・シアター『アナスタシア』 photograph by Kenichi Tomohiro

photograph by Kenichi Tomohiro

第二幕は幕前で悲惨を極める一般人の姿が描かれ、革命の赤い星も姿をあらわす。しかし、幕が開くと宮廷の華麗な舞踏会。可憐な皇女アナスタシアの社交界デビューを華々しく祝う盛大な宴が開かれているのだ。そしてそこにかつて皇太子時代の愛人だったが、今はプリマバレリーナ・アッソルータと崇められるマティルダ・クシェシンスカヤが登場。
皇帝との関係を良く知っている妃の前で、完璧とも思えるパ・ド・ドゥを披露する。すると会場の雰囲気も変わり、妃と皇帝の踊りにはいつの間にかラスプーチンが加わり、さらにクシェシンスカヤとそのパートナーが加わって、いくつもの関係が輻輳して幻想の関係と現実の関係が互いにリンクして、クルクルと回り始める。

小林紀子バレエ・シアター『アナスタシア』 photograph by Kenichi Tomohiro

photograph by Kenichi Tomohiro

ロシアの皇妃と、砂をなめるようにして底辺を這いずり回りながら暗い野望を秘めて、ついには宮廷の最深部まで潜り込んだ男。まさに聖と俗がそれとも知らぬうちに、激しく惹かれあっているのである。
一方、皇帝は活力にあふれ希望に満ち爛漫に過ごした青春時代の恋人の見事な踊りを眺める。彼は大量に人間が死ぬ戦争と跡継ぎの遺伝的宿命という、絶対に逃れられない過酷な現実から、青春の夢想へ逃避しようと無益な抵抗を試みる。
社交界デビューを果たしたアナスタシアは、その壮大なロマノフ王朝の支柱である皇帝をめぐる、破滅への美しい輪舞を肌に焼き付くように感じとっている。ロシア版の「神々の黄昏」とも言うべき光景に魅入られているのだ。
やがて、宴まさにたけなわとなった時、乱入したボルシェヴィキが銃を乱射。華美を極めた宮殿はたちまち阿鼻叫喚の死体置き場と化す。

第三幕は何もないがらんとした病室。
ベッドの上にはざんばら髪の、今は幸せに蝶のように飛び回っていた皇女の見る影もないアナスタシアと信じている女性が、寝間着姿で診察を受けている。彼女の脳裡には、幸せに満ち足りたロシア皇帝の一家として、敬われ愛されていた日々のことが、まるで陰画のように駆け巡っている。
病室に佇むアナスタシアと名乗る女性は、人類史上稀にみる贅を尽くしたロマノフ王朝が、ラスプーチンという一介の修行僧を受け入れたことをきっかけとして、脆くも呆気なく崩壊していく中に生まれた遺り火。去りゆく夏の光の中に映ろう陽炎のようなものなのか。彼女の廻りを夏の盛りに輝いた亡霊が現れてはまた消えてやがてなにもみえなくなった。

小林紀子バレエ・シアター『アナスタシア』 photograph by Kenichi Tomohiro

photograph by Kenichi Tomohiro

とにかく、アナスタシアに扮した島添亮子が美しい。特に第2幕は出色の美しさだ。顎をいくぶんあげるようにして、皇女としての高貴さを表したさり気ない微妙な動きまで、作品の主旨を余すことなく映し出していた。第2幕の肩のラインの妙なる雰囲気の溢れんばかりの優しさが、未だに目に焼き付いて離れない。アナスタシア一人と、皇帝や妃やラスプーチンが一体となってコントラストを鮮やかに描く。そのバランスの良い緊張感が見事。
クシェシンスカヤに扮した高橋怜子も、堂々と歴史上に名前に残る著名なバレリーナを踊った。くっきしりとしかっり踊ったので、特異な人物像をはっきりと理解することが出来て良かったと思う。
このマクミランのシリーズは、じつに着実に成果をあげている。非常に有意義な仕事だと思う。今後、さらにいっそう研究して深めていかなければならない。
(2012年8月18日 新国立劇場オペラパレス)

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