20世紀の舞踊に大きな影響を与えた3人の振付家によるストラヴィンスキー曲の3作品

ワールドレポート/東京

関口 紘一
text by Koichi Sekiguchi

新国立劇場バレエ団「バレエ・リュス ストラヴィンスキー・イブニング」

『火の鳥』ミハイル・フォーキン:振付、『アポロ』ジョージ・バランシン:振付、『結婚』ブロニスラヴァ・ニジンスカ:振付

新国立劇場はデヴィッド・ビントレー舞踊芸術監督の最後のシーズンを迎えて、ストラヴィンスキーの音楽による3作品を上演した。言うまでもなくストラヴィンスキーは20世紀の音楽に多大な影響を与えた「偉大な」という形容詞を付けるべき作曲家である。フォーキン、バランシン、ニジンスカの3人の振付家もまた、20世紀の舞踊に大きな足跡を残した。ビントレー監督が新国立劇場バレエ団の芸術監督として、そのレパートリーの充実も期すために組んだプログラムだろう。確かにマリウス・プティパを中心とした19世紀の古典バレエの時代から、ディアギレフのバレエ・リュスが創った斬新な作品群によって、舞踊の歴史は大きく変わった。その転換を主体的に行った作品は、今日の舞踊にとって非常に重要だ。その点を明確に示すレパートリーは、今までの新国立劇場には少なかった、と言えるだろう。
もっとも『火の鳥』は既にレパートリーに入っていたので再演となるが、『アポロ』と『結婚』は新制作による新国立劇場バレエ団初演となる。ここで一言言いたいのは、新国立劇場バレエ団のプログラムは、なぜ、新制作やカンパニー初演とはっきりと記さないのか? 今までは再演の場合、新国立劇場の初演の期日が必ず記載されていたが、最近のものはなぜか、それすらも外している。劇場の歴史として、いつどのような態勢でどの作品を初演したか、ということは重要ではないのか。観客としても鑑賞に必要な要素だと思われる。ロシアの劇場はすべての上演回数をポスターにまできちんと記載している。過去の公演活動の実体を常に明らかにし、運営が恣意的になることを防ぐ意味でも作品の公演記録を明記することは必要だと、私は思う。

ミハイル・フォーキン振付の『火の鳥』は米沢唯と菅野英雄(15日)、小野絢子と山本隆之(16日)のペアで観た。米沢唯の火の鳥は身体の特徴を生かして神秘的な雰囲気を醸すことにも成功していた。米沢の動きははっきりしていて明快。それが大きな長所なのだが、やはりそれだけでは表現できないことも様々ある。菅野英雄は男性ダンサーとしては柔らかな表現が巧みだ。冒頭の火の鳥と王子のやりとりは優れた音楽の響きとともに踊られて、二人の表現の息も合っていてなかなか見応えがあった。ただ菅野の王子は、米沢の火の鳥を掴まえても跳ね返して逃げられそうに見えてしまうとことろもあった。
火の鳥の神秘性は、ロシアの民衆が大地を生き抜いていくなかで培われてきた感覚を象徴的に表わしていると思われる。
第2場のイワン王子と王女ツァレヴィナの結婚式は、ロシア民族全体を象徴するような独特な儀式で、音楽がまたその壮大な美しさを鮮やかに表現しているので、ヴィジュアルとしてたいへん見応えがあった。
ただ、火の鳥が去った後に登場する乙女たちの衣装は、それ自体はきれいなのだろうが、はっとするような清新な印象はなかった。銀糸の刺繍が入っているのだが、、、。

「火の鳥」米沢唯、菅野英男 撮影:鹿摩隆司

「火の鳥」撮影:鹿摩隆司

一方、小野絢子の火の鳥は、鳥の飛翔を感じさせる動きを振りの中で正確に見せていた。王子に捕まえられた時の微妙な喜びというか、じつは人間と関わることができてうれしい、というニュアンスも感じさせたのには感心した。山本隆之の王子はまさに絵に描いたような王子として堂々と踊り、見事だった。ただ<イワン>というと、ロシアの農民の誰もがが空想するような逞しさヌケヌケとした厚かましさのようなものは、あまり感じられなかった。イワンはここでは王子となっているが、ロシア民話に現れる時は、イワンの馬鹿という役割で登場することもある。また、『イワンと仔馬』のイワンはふだんはのろまな末っ子だが、火の鳥と出会うと抜け目のない若者となって、ついには王位に就いてしまう。『火の鳥』の物語は、ロシアの<イワン>のヴァリエーションでもあるのだから。
この作品は特に巨大な卵を割って物語が完結するところなどロシア的な神秘性を失うと、荒唐無稽そのものとなってしまう恐れがあるのだから、ダンサーの作品理解が重要なのではないかと思う。

「火の鳥」菅野英男、本島美和 撮影:鹿摩隆司

「火の鳥」撮影:鹿摩隆司

「アポロ」コナー・ウォルシュ、本島美和、米沢唯、奥田花純 撮影:鹿摩隆司

「アポロ」撮影:鹿摩隆司

「アポロ」コナー・ウォルシュ、本島美和 撮影:鹿摩隆司

「アポロ」撮影:鹿摩隆司

ジョージ・バランシン振付の『アポロ』は、日本での上演例では珍しくアポロ誕生のシーンから始まった。この作品は1928年にパリのサラ・ベルナール劇場でディアギレフのバレエ・リュスによって初演された。その後バランシン自身が手を加え、次第にシンプルになり、誕生シーンがカットされ、最後のパルナッソスの山を表す階段も使わないヴァージョンとして上演されることも多いという。
誕生のシーンは、神話の世界とはいえ、音楽や詩や演劇のような抽象的な事象ではなく、具体的な生物の営みであり、両者を同じレベルで「アブストラクト」に表現すれば、やはり、違和感が感じられてもおかしくない。そのふたつの表現をバランスよく作品として成立させることは難しいのではないだろうか。そうしたことから振付家は作品を変えていったのではないだろうか。
バランシンの作品傾向は次第に純化し、ついには音楽そのものと化していくかのようだったから、そうしたプロセスの中で起こった変化だろう。しかし、アポロの誕生という具体的な物語もまた、観客を惹き付ける。私もまた、アポロの誕生シーンを観たい、という欲求があったから。

ムーヴメントは、アポロと三人の女神がそれぞれヴァリエーションを踊って、また合流して踊り、次第に高みを目指して行く、というもの。巨大な建造物を想起するような群舞を使った構造性はなく、『眠れる森の美女』のローズアダージオを思い起こすような構成だった。神と人間が作る芸術が戯れるかのような振付であり、作品の背後で、バランシンが微笑みながら自分が作ったダンスを楽しんでいるようにも感じられる、ヒューマンな印象もあった。
アポロはヒューストン・バレエ団のプリンシパル、コナー・ウォルシュと福岡雄大が踊った。福岡は見事に踊り、くっきりと思うところを表現しているように見えた。ただ、バレエ教師と3人の生徒たちのようにも見えたところあった。それはやはり、こうした作品を上演する上で難しいことなのであろう。

ブロニスラヴァ・ニジンスカ振付の『結婚』は素晴らしい舞台だった。
これはロシア独特の舞台芸術、たとえばかつての赤軍コーラスとかモイセーエフのどの民族舞踊団などを思い起こさせる。背後に爆発的な踊りのエネルギーを持つ集団によってしか創造することのできない、舞踊作品ではないだろうか。
その強烈なパワーが生み出す異教的なリズムと鮮やかなフォーメーション、そして形ばかりの物語が融合して、「結婚」という人類とその社会の存続を保証する儀式を描いたものだ。
ニジンスカの『結婚』は、1923年、パリのゲテ・リリック座でバレエ・リュスによって初演された。おそらく、20世紀初頭のヨーロパの人々は、古いロシア的習俗にキリスト教世界とは異なった、人間の原初的な姿を垣間見て衝撃を受けたのではないだろうか。そして、こうした劇的なエネルギーを舞踊の世界に大胆に持ち込んだことこそ、初期のバレエ・リュスの大きな特徴である。
(2013年11月15日、16日 新国立劇場 オペラパレス)

「結婚」福岡雄大(花婿) 撮影:鹿摩隆司

「結婚」撮影:鹿摩隆司

「結婚」湯川麻美子(花婿) 撮影:鹿摩隆司

「結婚」撮影:鹿摩隆司

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