天才、バランシンの大寺院の建築にも似た独創的で変幻自在の動きのフォーメーション

ワールドレポート/東京

関口 紘一
text by Koichi Sekiguchi

NEW YORK CITY BALLET ニューヨーク・シティ・バレエ

PROGRAM A "Serenade" , "Symphony in Three Movements" , "Tarantella" Choreography by George Balanchine "West Side Story Suite" Choreography by Jerome Robbins
PROGRAM B "Swan Lake" Balanchine's One-Act Version , "The Four Temperaments" , "Symphony in C" Choreography by George Balanchine
プログラム A 『セレナーデ』『シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ』『タランテラ』ジョージ・バランシン振付、『ウエスト・サイド・ストーリー組曲』ジェローム・ロビンズ振付
プログラム B 『白鳥の湖』〜バランシン版 1幕ヴァージョン〜 『フォーテンペラメンツ』『シンフォニー・イン・C』ジョージ・バランシン振付

2013年のニューヨーク・シティ・バレエ団の来日公演は、2000年以来4回目となる。初来日は1958年であり、当時はもちろんバランシン、ロビンズ、リンカーン・カースティンは健在だったし、マーティンスは未だ入団しておらず、大阪のフェスティバルホールの杮落としとして公演を行っている。そして今年はフェステイバルホールのリニューアルを記念して、13年ぶりに大阪で公演を行った。

プログラム B
今回はBプログラムから先に観た。
まずはバランシ版『白鳥の湖』全1幕。オデット(テレサ・レイクレイン)と王子(タイラー・アングル)、ロットバルト(キャメロン・ディーク)、そして黒いチュチュを着けた女性ダンサーたちと王子の友人たちがコール・ド・バレエを踊った。
通常版『白鳥の湖』の2幕と4幕を再構成したものと見えた。ということは、時系列で描かれる物語部分を切り捨て、シンフォッニック・バレエとしての『白鳥の湖』を創ろうという意図だったのではないか。

『白鳥の湖』撮影/瀬戸秀美

『白鳥の湖』撮影/瀬戸秀美

最初は、王子とオデットが出会うシーンから始まった。ついでパ・ド・ヌフ。捕らわれ白鳥に変えられた女性たちの不運を嘆く踊り。ワルツ、ヴァリエーションが踊られ、永遠に白鳥に変えられ人間に戻ることのできないオデットの悲劇、となる。コール・ドが黒いチュチュを着けることにより、オデットの白が浮かび上がり、運命を象徴的に表わすことに成功している。ただ、『白鳥の湖』というとあまりにも有名のお話なので、観客の側が勝手に物語の展開を進めながら観てしまい、シンフォニックな美しさに関心が寄せられない点があるのではないか、と感じた。しかし、バレエ『白鳥の湖』の捉え方としては極めて大胆であり、非常に興味深かった。

『フォー・テンペラメンツ』は見事という他はない。バランシンがパウル・ヒンデミットに委嘱して作曲された曲「四つの気質 ピアノと弦楽オーケストラのための主題と変奏」に振付けている。テーマを示す第1楽章と「憂鬱」「快活」「無気力」「いらだち」を表わした4楽章の楽曲の構造を、作曲者以上に知悉しているのではないか、と思われるくらいだ。まず、全体のフォーメーションの構造を作って、動きを組み立てている。一定のフォームの繰り返しで全体のリズムと共振しており、動きの流れはシンメトリーを基本形として変形を加えている。それぞれの動きにも変則的なアクセントが加えられていて印象に残った。大いなる寺院の建築とも比すべき壮大な構築物である。なるほど「脱構築」が唱えられる由来が理解できた気がした。ピアノ演奏に合わせて舞台の四隅から登場する洒落たフォームが多用されており、潮流のような全体の動きの流れと造形のヴァリエーションの豊さは、まさに圧倒的。もちろん、4つの楽章ごとにコントラストがくっきりとつけられており、鮮やかで印象的な構成だった。

『シンフォニー・イン・C』撮影/瀬戸秀美

『シンフォニー・イン・C』撮影/瀬戸秀美

『シンフォニー・イン・C』は、オペラ『カルメン』で知られるジョルジュ・ビゼーが17歳のまだパリ音楽院の学生だった頃に作曲した「交響曲ハ長調」に振付けられている。作曲者の若さが自然に映された音楽だが、その若々しい溌剌を、特別の技巧を弄したようには見せずに、じつに巧みに自然に振付に映しとっている。これは凡百の振付家には絶対にできない、恐るべき能力というべきだろう。
ラメ入りのクラシック・チュチュにポワントをつけた女性ダンサーと黒い衣装の男性ダンサーが踊る。

主に三組のペアとコール・ドによるフォーメーションだが、クラシカルな美しさを際立たせるムーヴメントで構成している。アレグロからアダージオへ、アダージオからアレグロへの変換が鮮やか。踊りによって構成されたフィナーレの豪華さは、プティパ作品の絢爛さを越えている。

プログラム A
Aプログラムはチャイコフスキー曲の『セレナーデ』で開幕した。バランシがアメリカでバレエを始めるにあたって「まず、学校だ」と言ったということは良く知られる。もし同じ立場にマシーンが立っていたら何と言うだろうか?「まずはプリマだ」だろうか。リファールだったら「まず、バレエ理論だ」と言っただろうか。ディアギレフだったら「まず、スキャンダルだ」とは言わないだろうけど、ニジンスキーだったら「‥‥‥」かもしれない。閑話休題。

『セレナーデ』はバランシンがバレエ学校の練習用に振付けた、とも良く言われる。確かに、新大陸の若く無垢な女性たちが未知のバレエに初めて触れて、その美しさを感受し自身の感受性で素直に受け入れていく様子、その初々しさが観客に直接伝わってくるような作品だ。チャイコフスキーの曲の楽想に沿いながら、クラシック・バレエが持つ美しさを表す情景を描いていく。そしていつしか女性ダンサー自身のドラマに。遅れて登場してきたダンサーを中心として、多くの女性が人生で経験していくであろうドラマが、ひとつの典型として抽象化されて描かれている。

『セレナーデ』撮影/瀬戸秀美

『セレナーデ』撮影/瀬戸秀美

次はストラヴィンスキーの『シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ』。三人の女性のプリンシパルだけがパステルカラーのレオタードを着け、そのパートナーも含めて他のダンサーはすべて白と黒を組み合わせたモノクロームの衣装で踊る。三つの楽章で描く「3」で構成するフォルムを強調しているのだろう。間断のない分裂と集散が独特の造形を成すフォーメーションを、次々と形成しては変幻していく。そして第2楽章はパ・ド・ドゥとなる。ここはいわば救済を求めるかのような、東洋的なムードラを強調した宗教的とも言える動きの構成だった。第3楽章は圧巻。群舞とソリストをめまぐるしく交錯させて、リズムとスピードに乗った独創的なフォーメーションが目まぐるしく展開して、フィナーレに至る。まさに観客を圧倒する変化自在の天才ぶりを思う存分発揮している、という印象である。
さらにゴットシャルク曲、バランシン振付の『タランテラ』をアシュリー・ボーダーとダニエル・ウルブリックが踊った。そして最後は、バーンスタイン音楽、ロビンズ振付の『ウエスト・サイト・ストーリー組曲』が踊られて幕が下ろされた。

今回のニューヨーク・シティ・バレエ団の公演は、批判的な言葉を口にする人もいたが、私にとってはやはり、圧巻であった。とりわけ『シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ』はとても22分の上演時間とは思われない、膨大な量感を体感して興奮した。バランシンはこの曲をダンサーたちに教える時に、「音楽を見てダンスを聴きなさい」と諭したという。なるほど、音楽を聴いてダンスを見ていたのでは何ものも生まれないだろう。音楽を見てダンスを聴く時、始めて天才バランシンの作品の世界を感動をもって生きることができるのだ、と知った。
ただ、残念だったのは、公演プログラムの寄稿がおもしろくなかったことだ。作品個々の解説はしっかり書けていたし、大いに参考になった。しかし全体を論じた文章は表面的な事象を語ることに終始していた。バランシンとマシーンについて語っても、突如、勝ったとか負けた、といった世俗的な価値観で結論ずけていたのには大いに驚いた。こうした言い方は、バレエファンが作品の芸術性に関心を持つことを阻害し、俗論を盛んにするだけである。教育者であるのなら心していただきたい。。
(2013年10月22日Bプロ、23日昼Aプロ Bunkamura オーチャードホール)

『シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ』撮影/瀬戸秀美

『シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ』撮影/瀬戸秀美

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