オペラ座の底力を感じさせた、洗練されたエスプリとスケールの大きな魅力的バレエ
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掲載
ワールドレポート/東京
- 関口 紘一
- text by Koichi Sekiguchi
パリ・オペラ座バレエ団
『天井桟敷の人々』ジョゼ・マルティネス振付
『天井桟敷の人々』はオペラ座がエトワールだったジョゼ・マルティネスに委嘱して振付られた大作バレエだ。原作とされたのはあまりにも有名なジャック・プレヴェール脚本、マルセル・カルネ監督、ジャン・ルイ・バロー、アルレッティ、ピエール・ブラッスール、マルセル・エラン、マリア・カザルス、ルイ・サルーといった名優たちが出演した映画『天井桟敷の人々』。フランス映画の最高傑作であり、しばしば史上最高の映画作品と称えられる。
いわばフランスの国宝級とも思われる映画をパリ・オペラ座が舞踊化して、名作を傷つけるようなことがあってはなるまい、と万全を期して制作されたバレエである。
ガランス=イザベル・シアラヴォラ、バチスト=マチュー・ガニオ、という誰が見ても妥当と思われる、花形エトワールが初演の2008年当時、活発に踊っていたこともこの制作を押し進めた要因ではないか、と私は推察している。
東京初日のキャストは、ガランス=シアラヴォラ、バチスト=マチュー・ガニオ、フレデリック・ルメートル=カール・パケット、ラスネール=バンジャマン・ペッシュ、ナタリー=レティシア・プジョル、エルミーヌ夫人=カロリーヌ・バンス、モントレー伯爵=クリストフ・デュケンヌだった。
舞台はパリ大改造によって消滅した通称「犯罪大通り」といわれるタンブル大通り。オペラ、芝居、軽演劇、見世物小屋、サーカスなどの様々な劇場が立ち並び、様々な人々が集い、アクロバットや軽業師などの大道芸人たちも騒々しく、雑然とした活気が横溢する猥雑な犯罪が多発する通り。この一角にあるフュナンビュール座を中心に物語が展開する。
劇場空間全体を当時の犯罪大通りの雰囲気に仕立て、観客もこの場に居合わせた民衆の役を演じ、ドラマの成り行きを直接体験しているかのように感じさせる仕掛けもあった。舞台では背景に置かれるボードがわざわざ裏側を剥き出しにされていて、舞台裏越しに犯罪大通りの建物が見える。
photo/瀬戸秀美
幕間には、観客席にフレデリック・ルメートルの『オテロ』の宣伝チラシが撒かれる。そして実際に東京文化会館の広いロビーと階段を使って『オテロ』のデスデモーナを絞殺するシーンのパ・ド・ドゥが、ヴァイオリニストの伴奏によって、黒山の人だかりの中、演じ踊られた。
photo/瀬戸秀美
こうした猥雑な喧噪の中で静謐な無言劇(パントマイム)の役者が、一夜限りの刹那の愛が溢れる巷で純粋な恋をする。そのライバルは言葉を巧みに操る、女たらしのシェイクスピア役者。演舞台の上に立っていて、ラスネールの悪事を見破り、ガランスの濡れ衣を晴らすという冒頭のシーンも喧噪の中のパトマイム役者の存在を際立たせる巧みな演出だった。このとき、濡れ衣を晴らしてくれたお礼に赤い一輪の花をもらったバチストは、たちまちガランスの優美な魅力に囚われる。しかし、ナタリーの純粋な愛を知っていたバチストは、ガランスと一夜を共にしようとする一歩前で姿を隠してしまう。一方、相手を失ったガランスはフレデリック・ルメートルと共にその夜を過ごす。
その後、ガランスはエルミーヌ夫人の作為によりあらぬ疑いを掛けられ、止むを得ず裕福なモントレー伯爵め求めに応じてその庇護の下にはいった。
第2幕では、バチストはナタリーと結婚して子供も生まれ、仲良く暮らしている。しかし、モントレー伯爵とともに暮らしレディとしていっそう美しさに磨きのかかったガランスと再び出会うと、ついには結ばれてしまう。ガランスもすべてを与えて何ものをも求めないモントレー伯爵の濁りない愛にも満たされることはなかったのだ。そして決して幸せを得ることができないこの愛の宿命を知るガランスは、喧噪な犯罪大通りの中に消えていく・・・これはシアラヴォラ扮するガランスが客席の中に溶け込んでいくことで表現された。今は結ばれても、結局、別れることになる、とお互いに「愛の宿命」を感じながら踊るガランスとバチストのパ・ド・ドゥは感動的で見事だった。
さすがオペラ座と思わせるエスプリを感じさせる舞台作りで、大いに楽しむことができた。1幕と2幕の間奏曲として上演されるスカルラッティの曲を使ったフレデリック・ルメートルのバレエ『ロベール・マケール』は、様々な論議を呼んだそうだが、流麗なフォーメーションを描いて楽しむことができた。特に目くじらを立てて論じるような必要もないと思われた。ここでダンサーが着けていた衣裳は、オペラ座エトワールのアニエス・ルテステュのデザインしたもののひとつ。当時の犯罪大通りの情景を染み込ませたという。この作品に合った印象を与えてくれた。さらに背景幕を使用せず、固め物で作った装置も近年では珍しく、情景と登場人物の関係を正確に表わしていて効果的に感じられた。それに比べるとマルク・オリヴィエ・デュパンの音楽は少々影が薄かった。オペラ座の舞台芸術の底力を感じさせた洒脱で洗練された公演だった。
(2013年5月30日 東京文化会館)
photo(全て)/瀬戸秀美 ※撮影はゲネプロより