海に沈んだかも知れない母国との対話、アクラム・カーン『デッシュ』

ワールドレポート/東京

関口 紘一
text by Koichi Sekiguchi

Akram Khan Company アクラム・カーン・カンパニー

"DESH" by Akram Khan 『デッシュ』アクラム・カーン:演出・振付・出演

アクラム・カーンの『デッシュ』を観た。ロンドンでバングラデシュ系の家族の元に生まれたカーンは、英国とバングラデシュの二つの文化を生き、自身のアイデンティティにこだわった作品を発表してきた。インドの伝統舞踊カタックの舞踊表現なども駆使して作品を創ってきたが、今回は初めてはっきりとコンテンポラリー・ダンスの方法によって、自身のルーツに向き合う作品にチャレンジしたのである。彼は「年齢的に考えても今がチャレンジの時」というが、それはまた、今までの創作活動の一つの結節点でもあるのではないだろうか。
現実の世界では、英国とバングラデシュという二元的なアイデンティティに煩わされることも多いと推察されるが、舞踊表現となるとそれは魅力として現れる。ひとつの文化はその構成要素によって成熟していくが、別の文化と混交することにより異なった因子に触れて化学反応を起こし、質的な変化を起こす。ということはごく普通に経験することでもある。下世話な話でいえば、ハーフの子供は特別に可愛いなどということも言われる。それは文化的な事象であるかどうかは別にして、実際、今までのカーンの作品に我々は、英国のダンスが表わすものともインドの舞踊の伝統とも違う異彩を放つダンスの魅力を感じてきた。

アクラム・カーン『デッシュ』撮影/池上直哉

撮影/池上直哉

アクラム・カーン『デッシュ』撮影/池上直哉

撮影/池上直哉

今回のカーンの作品『デッシュ』はベンガル語で母国の意だそうだが、自身の体験や家族のこと母国の現実を、実際の事実や時系列に即してではなく、全体的に捉え直して自身のルーツを理解しようとするダンス、といった趣があった。その背中を押したのは、気象学者のいう、「温暖化により海面が上昇し消えてしまう国のひとつにバングラデシュがある」ということ。そして水と土が豊穣にあるのがバングラデシュという国なのだという想いだろう。
冒頭にカーンがハンマーを持って登場し、傍らにカンテラを置いて、力一杯フロアを叩き続ける。母国の大地を自分の身体の実感で捉えると同時に、やり場のない怒りのエネルギーがハンマーをたたきつける激しい音となって、会場に響き渡った。
舞台やや下手にプロペラと材木を混成したようなオブジェ。これにはカーンの父が、西パキスタン(かつてパキスタンは東西にインドを挟んで分れていた)で飛行機の整備をさせられた記憶に基づくものだという。
また、後半には舞台の天から幾重にもフロアを横断する白いシルクのような感触の幕が下り、淡い光りが当てられる。それはまるで海の中に沈んだ母国を連想させるが、その幾重にも重なる幕に、ロンドンで育った自分や頑迷な愛すべき父親、英国育ちの愛娘などにまつわる様々な記憶を構成するものが、単純な線で描かれたイラストで投影される。

それらとカーンは様々に踊り、対話する。それはまるでバリ島のワヤン(影絵劇)のように、不思議な神々の世界と対話するような東南アジアの宗教的情景となった。
そして私は、英国とバングラデシュを往来するカーンの心を感じながら、日本から東南アジアを経てロンドンへと繋がる幻想のシルクロードを旅することができたのである。
(2013年1月26日 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール)

アクラム・カーン『デッシュ』撮影/池上直哉

撮影/池上直哉

アクラム・カーン『デッシュ』撮影/池上直哉

撮影/池上直哉

アクラム・カーン『デッシュ』撮影/池上直哉

撮影/池上直哉

アクラム・カーン『デッシュ』撮影/池上直哉

撮影/池上直哉

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