クランコ、マクミランが振付けた『パゴダの王子』が、ビントレーにより日本のファンタジーとなった

ワールドレポート/東京

関口 紘一
text by Koichi Sekiguchi

新国立劇場バレエ団

『パゴダの王子』ディヴィッド・ビントレー:振付

『パゴダの王子』というグランド・バレエを語るうえでは、この作品はジョン・クランコが初めて上演し、ついでケネス・マクミランが新たに振付ている、ということは忘れるわけにはいかない。2歳年上のクランコとマクミランは、ともに19世紀にプティパが確立したグランド・バレエを、20世紀という時代を反映した舞台芸術として創造しようとしていた。いわば芸術的同士だったのだ。そしてそれはまた、ディアギレフのバレエ・リュスに参加していた、英国バレエのファウンダーとも言うべきニネット・ド・ヴァロアの願い-----英国から生まれたグランド・バレエ、でもあった。

クランコはプティパの傑作バレエ『眠れる森の美女』に匹敵するような、20世紀のグランド・バレエを作ることを目指して、『パゴダの王子』を創ろうとした。音楽はチャイコフスキーに匹敵する20世紀の曲を求めて、ベンジャミン・ブリテンに委嘱された。この試みは成功しなかったが、クランコに兄事していたマクミランが、自身の60歳を記念する公演のために、『パゴダの王子』を新たに振付けることになった。マクミランはクランコの台本を参考にして、旅行作家のコリン・チェンブロイに台本を依頼。1989年、ダーシー・バッセルとジョナサン・コープ主演により、マクミラン版『パゴダの王子』は初演された。しかし、この舞台もまた、大きな成功を得ることはできなかった。
ディヴィド・ビントレーは、このブリテンの曲に魅了され、一部設定を変更して、新たに『パゴダの王子』を振付けた。ただこの振付作業中に、東日本大震災が勃発し、その影響も受けているかも知れない。
ともあれ、ビントレー版『パゴダの王子』は、今回、最初の再演が行われたのである。

「パゴダの王子」奥田花純、奥村康祐 撮影/鹿摩隆司

奥田花純、奥村康祐 撮影/鹿摩隆司

背景には大きな日輪と浮世絵風のタッチで描かれた富士山。この背景は終幕まで全く変わらず、物語が日本の悠久の歴史の中で繰り広げられたことがわかる。
クランコのオリジナルの物語を忠実に展開しているマクミラン版では、架空の王国の物語だったが、ビントレー版では皇帝が総べる日本という国の出来事となった。マクミラン版では、老いた王と二人の姫と婚約者の物語だったが、ビントレー版では皇帝とその息子(兄・王子)と妹(さくら姫)とステップ・マザー(皇后エピーヌ)の物語となった。サラマンダーに変えられているのは、姫の婚約者ではなく皇帝の息子。さくら姫は兄は死んだと思い込まされているが、黄泉の国からの呼びかけに導かれて旅に出る。そして、ステップ・マザーの謀略により、バラバラになってしまた皇帝の一族を、さくら姫の勇気ある冒険により、兄王子との再会を果たして救う、というドラマとなっている。
この物語を展開するプロセスで、様々の日本のイメージがヴィジュアルに現れる。アニメ的あるいは鬼太郎風、北斎漫画風の妖怪だったり、歌舞伎風の殺陣や見得、浅葱幕だったり、浮世絵的デフォルメによる背景だったり、さくらの花や富士山、正座なども所作の中に使われる。そうしたイメージの氾濫の中をチュチュを着てトウシューズを履いたさくら姫が、踊るというかパフォーマンスをしながら進行していく。どうも雑多な印象を受け、日本の文化を象徴的に表現することに成功しているとは思えななかった。
初めのうちは踊りのシーンは少ないな、と思っていたら、最後にいっぱい踊らせた。ところが物語は既に完結していたので、その意味ではあまり見るべき表現はなかった。巨大な桜の花弁と日輪と富士山に飾られた宝塚のグランドフィナーレといった趣である。『アラジン』でもそうだったが、ストーリーテリングと舞踊表現がうまく融合していないように感じられた。
しかし、小野絢子のさくら姫と福岡雄大の王子、エピーヌの湯川麻美子はそれぞれ好演だった。三人の主役の表現の力量によって、このいささか強引な「日本のファンタジー」は救われている、と言えるのではないだろうか。
(2014年6月12日、14日 新国立劇場 オペラパレス)

「パゴダの王子」奥田花純、奥村康祐 撮影/鹿摩隆司

奥田花純、奥村康祐 撮影/鹿摩隆司

「パゴダの王子」奥田花純、奥村康祐 撮影/鹿摩隆司

奥田花純、奥村康祐 撮影/鹿摩隆司

「パゴダの王子」小野絢子、福岡雄大 撮影/鹿摩隆司

小野絢子、福岡雄大 撮影/鹿摩隆司

「パゴダの王子」小野絢子、福岡雄大 撮影/鹿摩隆司

小野絢子、福岡雄大 撮影/鹿摩隆司

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小野絢子、福岡雄大 撮影/鹿摩隆司

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