ポスト・ピナ・バウシュの兆しはどこに現れてくるのか、『コンタクトホーフ』再演

ワールドレポート/東京

関口 紘一
text by Koichi Sekiguchi

TANZTHEATER WUPPERTAL PINA BAUSCH ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団

"KONTAKTHOF" by PINA BAUSCH『コンタクトホーフ』ピナ・バウシュ:振付

ピナ・バウシュの『コンタクトホーフ』がヴッパタール舞踊団により上演された。このピナ・バウシュのよく知られた作品は1978年にヴッパタールで初演され、日本公演は1986年に『カフェ・ミュラー』とともに上演された。今回が28年ぶりの日本上演となる。

ガランとしたホール。白い漆喰の壁で囲まれ、十数脚の同じ形の椅子が壁際に並べられ男女のダンサーたちが座っている。正面には一段高いところに幕が閉められた舞台がある。
1930年代風のノスタルジックな音楽が次々と流れ、男女のダンサーたちが、様々なコンタクトを繰り広げる。それは時系列の意味が剥奪され、前後の関係が断絶しているので、かなり奇妙だ。けたたましい奇声だったり、異常に見えるほど執拗だったり、あからさまにエロティックだったり、突発的な変形の動きだったり、露骨にわざとらしいあまくロマンティックな行動だったりする。

「コンタクトホーフ」photo: Arnold Groeschel

photo: Arnold Groeschel

ダンサーの動きは、女性は男性に対する蠱惑的な行為(時折、奇矯な叫び声をあげるといった行動などはその変形)、男性は欲望に支配された行動を、基本として創られている。これは創作に当たって行われたダンサー個々人にピナが様々な角度から質問を浴びせ、そのダンサーにふさわしい演技的動きを振付けたもの。それをさらに再構成して、ステージングを行っている、と思われる。しかし、私見によれば、鋭いあるいは想いもよらぬ質問により、ダンサーの内面を赤裸々に見つめた、ピナ本人の目前で踊る場合と、最早そのピナが亡くなってしまい、「ダンス」としての所作だけが残り、繰り返し上演されるのとは異なる。少なくともダンサーの意識が変わるのではないだろうか。
配布されたプログラムによると、ピナは「同じ国で同じ作品を二度上演しない」という原則を保持していた、という。今回の公演でその意味するところが理解できたように思った。ついでにプログラムについて触れると、30年も前の自分の文章を狭いスペースに延々と引用して、はじめて見て衝撃をうけたとか、10年一日代わり映えのしない文が掲載されていてがっかり。ピナは既に亡くなってしまったのであり、その事実が見えないのだろうか? 時は刻々刻まれているのに、後ろ向きの自己宣伝ばかりだ。これではポスト・ピナへの新しいダンスのパースペクティヴは描くことは出来ないだろう。
そして、劇中、一度だけ正面の舞台の幕が開き、野鳥の<コンタクトホーフ>の模様を紹介した16ミリ映画が上映される。人間よりも鳥たちのほうがはるかに品良く行動しているのではないか、そんな感想も浮かんでくるユーモアたっぷりな上映会だった。
(2014年3月20日 彩の国さいたま芸術劇場大ホール)

「コンタクトホーフ」photo: Arnold Groeschel

photo: Arnold Groeschel

「コンタクトホーフ」photo: Arnold Groeschel

photo: Arnold Groeschel

「コンタクトホーフ」photo: Arnold Groeschel

photo: Arnold Groeschel

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