今日のダンスの様々なスタイルを構成してみせたマルティネス監督のスペインダンスカンパニー

ワールドレポート/東京

関口 紘一
text by Koichi Sekiguchi

COMPAÑÍA NACIONAL DE DANZA DE ESPAÑNA スペイン国立バレエ団

"Sub" Choreography by Itzik Galili, "Falling Angels" by Choreography Jiří Kylián, "Herman Schmerman" Choreography by William Forsythe "Le Enfants Du Paradis" Choreography by José Marrínez, "Minus 16" Choreography by Ohad Naharin
『Sub』イジック・ガリーリ:振付、『堕ちた天使』イリ・キリアン:振付、『ヘルマン・シュメルマン』ウィリアム・フォーサイス:振付、『天井桟敷の人々』ジョゼ・マルティネス:振付、『マイナス 16』オハッド・ナハリン:振付

元パリ・オペラ座のエトワールだったジョゼ・マルティネスが、スペイン国立ダンスカンパニーの芸術監督に就任してから、初めてとなる来日公演が行われた。当初の予定では、マルティネスがかつてパリ・オペラ座バレエに振付けた『天井桟敷の人々』のパ・ド・ドゥとソロを踊ることになっていた。しかし、肩が悪いということで踊れなくなり、開幕前に自ら幕前に姿を見せて片言の日本語で観客に説明した。元オペラ座のエトワールが、たどたどしい日本語でかたりかけたので、観客は大喜びだった。会場のロビーにはマルティネスの等身大の写真を貼ったパネルが置かれるなど、芸術監督の知名度が抜群であっただけに舞台でその姿を見られなかったのは残念だった。
もっともマルティネスはオペラ座のエトワールとして踊ることと、芸術監督としてあるいはガラ公演にゲストに招かれて踊ることには精神的に大きな違いがある、と言っていた。
このカンパニーは芸術監督が替わるとしばしば名称を変更しているので、紛らわしいところがあった。その点は公演プログラムの「スペイン国立ダンスカンパニーの軌跡と今」の文章が詳しく書いているので助かったし、文中にヴィクトール・ウラテやレイ・バーラなどの名前も散見され、たいへん懐かしかった。しかしつぎの項目の文章では、貴重な誌面を使って自慢話を書いているので鼻白んだ。ダンサーが自作を宣伝するのは当たり前で、それを自分への優しさと勘違いしているのでは話にならない。

まず開幕は男性ダンサーの群舞による『Sub』の日本初演。イジック・ガリーリ振付、音楽はマイケル・ゴードンの「ウェザー・ワン」。ガリーリはイスラエル出身でバットシェバ舞踊団で踊った後、ヨーロッパで振付家として活躍している。2002年にはオランダ・コレオグラファー・アワードを受賞している。
原始の、言葉を持たない人間たちが、様々な光りの変化とともに生命を躍動させる、かのようなダンス。長いスローパートを組み込んで全体の流れに変化をつけている。今日踊られているコンテンポラリー・ダンスとしては動きはあまり素速くはないが、手の平を広げバランスをとる動きがニュアンスをつけていた。最後は、一人だけ踊り続け、他のダンサーは舞台前面に1列に並び、下からのライトを浴びて静止した。光りの変化に対する感受性に富んだ舞台だった。

「SUB」PHOTO : Arnold Groeschel

「SUB」PHOTO : Arnold Groeschel

続いてイリ・キリアン振付の『堕ちた天使』。音楽はスティーブ・ライヒの「ドラミング・パートI」。パーカッションに乗せて8人の女性ダンサーが、堕天使の踊りを踊る。動きの流れの中に時折現れるユーモラスなしぐさが、どことなく天国に残れなかった言い訳めいて見え、とてもおもしろかった。それにしてもキリアンは動きのヴォキャブラリーが豊富でかつ動きの自然な流れを作るのが巧み。関節の可動性の限りを尽くして様々に組み合わせ、リズムに乗せて思いのままにニュアンスを紡ぎ出す手練れの技には感服した。しかも単純表現ではなく屈折した情緒的なもの(女性的なるもの)が充分に込められているのだから、見事と言うほかない。これは『ブラック&ホワイト』という作品の1シーンを独立して上演しているものだが、対応する男性版も『サラバンド』というタイトルで上演されることがある。こちらもビデオで観たがおもしろくて感心した覚えがある。そうしてみると男性であるキリアンの女性に対する洞察力の(ややシニカルではあるが)並々ならぬものを感じ、再び感じ入った。

「堕ちた天使」PHOTO : Arnold Groeschel

「堕ちた天使」PHOTO : Arnold Groeschel

休憩の後は、ウィリアム・フォーサイス振付の『ヘルマン・シュメルマン』、音楽はトム・ウィレムスの「Just Ducky」。前半は黒い衣装を着けポワントを履いた女性ダンサー3人と男性ダンサー2人が踊る。フォーサイス独特の全身を使った動きをバランスを崩したり危うく保ったりしながら踊る。それにしてもフォーサイス作品を踊るとダンサーは、その能力が極限まで拡大しているようで、じつに躍動的で現代的な美しさに輝いている。20世紀のダンサーの究極の美を作り出した振付家といえるのではないだろうか。前半は自由にダンサーたちが入れ替わって踊るが、後半は女性ダンサーと男性ダンサーのパ・ド・ドゥとなる。といっても2人で情感を組み立てるわけではなく、むしろそうなることを拒絶する動きの構成というか現れ方となっている。前半の終わり方や後半の衣装替えなどに、舞台表現の意味付けに対するアイロニーが垣間見えておもしろかった。
続いてパリ・オペラ座バレエに、エトワールとして在籍していたマルティネスが2008年に振付けた『天井桟敷の人々』より2幕5場のパ・ド・ドゥとソロ。音楽はマルク=オリヴィエ・デュパン。映画史上のベスト1 という呼び声も高いジャック・プレベール脚本、マルセル・カルネ監督のフランス映画『天井桟敷の人々』を、ほぼ映画のストーリー通りにバレエにしている。ガランスをセ・ユン・キムが、マルティネスに代わってエステバン・ベルランがバチストを踊った。
初めて出会った時から惹かれあっていたガランスとバチストが別れる踊り。続いて一人となったバチストのソロだ。愛し合っていながら、それぞれ別のパートナーに見初められて日々を送っていたが、ついに結ばれる。しかし、それは悲しい別れの運命を認めざるを得ない時となった、という意味合いが美しいフォルムで構成されている。しかし原作が人生に浸み入るような傑作であるだけに、パ・ド・ドゥ部分を観た感じはややあっけなかった。振付家の心がその後のナイーブなバチストの苦しみのソロに、深く入り込んでいることを感じてしまうために、パ・ド・ドゥ部分が淡白に感じてしまうのだろうか。やはりこの作品は全幕で観ないと物足りない、と改めて確信した。
ラストはオハッド・ナハリン振付の『マイナス16』音楽はディーン・マーチンほかのポピュラーソングのコラージュ。ナハリンは確かに動きの楽しさおもしろさを作る才気に溢れている。ダンサーの踊りのモチベーションを最大限に発揮させ、観客にも至れり尽くせりのサービスを尽くした楽しいダンス大会だった。
(2014年11月30日 愛知芸術劇場 大ホール)

「ヘルマン・シュメルマン」PHOTO : Arnold Groeschel

「ヘルマン・シュメルマン」
PHOTO : Arnold Groeschel

「天井桟敷の人々」第2幕/第5場、パ・ド・ドゥ&絶望のソロ PHOTO : Arnold Groeschel

「天井桟敷の人々」
PHOTO : Arnold Groeschel

「マイナス16」PHOTO : Arnold Groeschel

「マイナス16」PHOTO : Arnold Groeschel

 

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