首藤康之、中村恩恵のコンテンポラリーな身体が踊って、鮮やかに甦った江口・宮の『プロメテの火』
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掲載
ワールドレポート/東京
- 関口 紘一
- text by Koichi Sekiguchi
江口・宮アーカイヴ
『春を踏む』宮操子:振付、『スカラ座のまり使い』江口隆哉:振付、
『タンゴ』宮操子:振付、
『プロメテの火』江口隆哉 宮操子:振付・構成
江口・宮アーカイヴの4回目の公演の第一部は、宮操子の『春を踏む』を坂本秀子が踊り、江口隆哉の『スカラ座のまり使い』を木原浩太が踊った。次の宮操子の『タンゴ』は、コンテンポラリー・ダンスの振付、出演を積極的行っている中村恩恵が踊った。
「春を踏む」坂本秀子
撮影:(株)スタッフ・テス根本浩太郎
「スカラ座のまり使い」木原浩太
撮影:(株)スタッフ・テス根本浩太郎
そして今回の江口・宮アーカイヴ公演の第二部は、1950年12月11日、12日に帝国劇場で初演された『プロメテの火』だった。江口隆哉・宮操子舞踊団が、主宰の二人の構成・振付で上演し、当時の全国紙でも話題を集めた、という。2011年には第3景の「火の歓喜」のみが復元上演されたが、今回は全幕を復元公演した。というのも、最初の復元では伊福部昭の音楽の楽譜は、2台のピアノ演奏版しかなかった。しかし、2009年に亡くなった宮操子の遺品の中から、保存用のオーケストラスコアが発見され、全幕復元に漕ぎ着けることができた、そうである。舞台の再現は門下生が集まって、一から思い出して進められた、とも記されていた。
舞踊とは、舞台で上演されると同時にに消えていくものだが、観客の眼前から消えても、この世の空間には何十年もあるいは何世紀も生きていて、再び甦る命を持った希有の存在なのだ、と改めて心に刻印した。
「プロメテの火」首藤康之
撮影:(株)スタッフ・テス根本浩太郎
「プロメテの火」首藤康之
撮影:(株)スタッフ・テス根本浩太郎
火を持たずに苦しんでいる人類に、プロメテが大神ジュピターに火を与えるように嘆願するが聞き入れられず、盗んで人類に与え、コーカサスの山嶺に鎖で繋がれるという罰を受ける。人間の少女アイオは嫉妬したジュピターの妻ジュノーにより牝牛に変えられる。プロメテは黒鷲に苛まれるが、希望を持つことをアイオに教える・・・。
この壮麗な神話劇を朗々たる伊福部の音楽と、力強い女性群舞を中心とした踊りで描いている。まず、プロメテに扮した首藤康之が見事。以前からシェイクスピア劇などの人物像を踊る首藤は、じつに素晴らしい役作りをする。観客の想像を越えたヴィジュアルを舞台上に造形してみせるのだ。恐らくは細部にまで深く思慮して拵えているのだろうと推察するが、プロメテもまさにそうだった。首藤が姿を現しただけで、たちまち舞台は古代ギリシャの神話世界となった。
「プロメテの火」撮影:(株)スタッフ・テス上野能孝
中村恩恵は牝牛に変えられる少女アイオを演じた。彼女は第一部で宮繰子の『タンゴ』を踊ったが、その時は成熟した女性として、タンゴの動きとは何か、ということまで表すかのような堂々とした踊りを見せた。第二部では清純な神話世界の少女を余すところなく表した。首藤も中村も踊るシーンはあまり多くなく、今日の舞踊作品として見れば、いささか物足りなくもなかった。しかし、半世紀以上以前の、日本ではまだ未熟だったと言っても良い時代の舞踊の動きを、現代のコンテンポラリー・ダンスを踊る身体で表して、観客を魅了したことの意味は大きいと思う。
二部の『プロメテの火』開幕前のプレトークに登場した金井芙三枝によると、江口は『プロメテの火』を本火を灯した松明を持って演じていた。しかし、1960年に消防法により、舞台で本火が使えなくなって、意気消沈し、この作品を次第踊らなくなったという。ジュピターから盗んだ火を高々と掲げるプロメテの姿こそが、この作品のコアであり、その火を奪われてしまった江口はこの作品を踊る意欲を失ってしまったのであろう。今日では舞台技術が飛躍的に発展して、煙がたつ本火と変わらなく見える「火」が使われていた。江口が、今日、舞台で使われている「火」を見たら、どんな感想を持つだろうか。
(2016年5月28日 新国立劇場 中劇場)
「プロメテの火」撮影:(株)スタッフ・テス上野能孝