福岡雄大のアラジン、小野絢子のプリンセスが活気ある舞台を創った『アラジン』再演
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ワールドレポート/東京
- 関口 紘一
- text by Koichi Sekiguchi
新国立劇場バレエ団
『アラジン』デヴィッド・ビントリー:振付
ディヴィッド・ビントリーが2008年に新国立劇場バレエ団のために振付けた『アラジン』の再演を観た。前回観た再演は2011年5月で、その時は本島美和と山本隆之、小野絢子と八幡顕光だった。今回は福岡雄大のアラジンと小野絢子のプリンセスで観ることができた。
福岡雄大のアラジンは、縦横無尽に良く動きかつスケールの大きな演技で魅せた。動いていない時も身体からエネルギーが発散しているようなところがあって、舞台全体を息づかせていた。小野絢子のプリンセスもしなやかで優しさを秘めて見事。やはり、このダンサーのどこか日本的な雰囲気を感じさせるフェミニンなラインは、新国立劇場の舞台を特徴づけるひとつの要素となっている。ランプの精ジーンは福田圭吾。ヴァラエティに富んだ見せ場であるランプの精の登場シーンを、しっかりと演じて舞台を活気づけた。
第1幕の「財宝の洞窟」で繰り広げられる宝石たちの踊りなどのディヴェルテスマン、アラジンとプリンセスの出会いや結婚式の喜びのパ・ド・ドゥなど舞踊的には良く出来ており、観客にも受けていた。しかし、初演の時から気になっていたのだが、舞台で華やかなダンスが繰り広げられていても、何か物足りなく、退屈な印象をうけてしまう。おもしろくスペクタキュラーに展開すればするほど、どこか没入していけない想いを感じてしまう。前日に、英国ロイヤル・バレエ団の『ロミオとジュリエット』をみていたからか。かの作品は、街の広場、バルコニー、ジュリエットの部屋、寺院、墓場と世界観とシーン構成がしっかりとかみ合っていた。しかしこちらの作品は、シーンごとに次々と新しいセットが組まれ、それ自体はきれいなのだが、作品全体で何を訴えようとしているのか分らない。おもしろそうな場面を次々と作っているのだが・・・と思えてしまうのだ。獅子舞や長崎おくんちみたいなものも、観客へのサービスとして使っているのかもしれないが、作者の信念に基づく主張が明快に見えてこないので、訴えかけてくるものを感じることができなかった。観客には学校から参加したと思われる子どもたちが目立った。子どもたちにバレエの楽しさを伝えようとの趣旨だと思われるが。エンターテイメントだろうとなかろうと、作品が訴えかけるものが大切なのではないだろうか。
カール・ディヴィスの作曲が完成していて、バレエになっていなかったということは、英国ではそれだけ逡巡があったということも考えられる。その意味では、新国立劇場の大いなる勇気がこの作品を完成させた、とも言えるわけだ。
小野絢子 撮影/鹿摩隆司(すべて)
とにかく、振付家の関心は、様々に工夫を凝らしたランプの精の登場シーンや、中世のアラブ王宮、ファンタスティックな宝石の精などの演出方法にあったと思われる。日本人をバレエで楽しませようと思ってくださるのは誠にありがたいのだが、その国にその文化にふさわしいエンターテイメントがある。そこを未だ理解し合えていないために生まれた作品だったのではないだろうか。今回観て、そう感じられた。
(2016年6月17日 新国立劇場 オペラパレス)
1幕 ダイヤモンド/米沢唯
3幕 福岡雄大
1幕 福岡雄大
2幕 小野絢子、福岡雄大
3幕 小野絢子、福岡雄大
3幕 小野絢子、福岡雄大
3幕 マイレン・トレウバエフ
3幕
新国立劇場バレエ団『アラジン』1幕 撮影/鹿摩隆司(すべて)