シャプランが美しく柔らかく描いたジュリエットとアスケロフの歯切れのいいロミオ
- ワールドレポート
- 東京
掲載
ワールドレポート/東京
- 関口 紘一
- text by Koichi Sekiguchi
マリインスキー・バレエ団
『ロミオとジュリエット』レオニード・ラヴロフスキー:振付
『ロミオとジュリエット』は、冒頭、ティムール・アスケロフ扮するロミオが純粋で爽やかな心をもった若者の清々しいソロヴァリエーションを踊る。しかし、その背後には、ロミオの踊りのラインを辿るようにロレンス神父(アンドレイ・ヤコヴレフ)が、黒いフードの付いた僧衣で舞台を歩いていく。ほとんど目立たない演出だが、まるで悪魔の姿のようにさえみえるロレンス神父が示唆しているものは、もちろん、ロミオの悲劇的な運命であろう。こうしたドラマの抽象的なとも言える表現が随所に見受けられた。
ロミオとクリスティーナ・シャプラン扮するジュリエットとの出会いも、綿密に設計された演出プランにより描かれている。幕前を巧みに使って、マスクを付けて侵入したロミオとジュリエットが見初め会う初々しいシーンはしかっりと。そしてジュリエットが、仇敵の一家の子息を愛してしまう、と知るまでは速いテンポの展開で断章風に描いていた。
またヴァルコニーのシーンは、フロアを広々と使って、力強いロミオの踊りと、ジュリエットのはにかみとロミオへの愛おしさをないまぜにしたかのような女性的な踊りが、素晴らしい舞踊表現の効果を生んでいた。
マキューシオ(アレクサンドル・セルゲイエフ)とティボルト(ユーリー・スメカロフ)の死の演技は、スメカロフがやや優勢に見えた。とはいえ、このシーン終盤のキャピュレット夫人(エカテリーナ・ミハイロフツェーエワ)の死体に跨がった究極的ともいうべき芝居により、この二家にのしかかる宿命の実像が一段とあざやかに浮かび上がったのである。
ロミオとジュリエットの寝室の別れのシーンは、愛し合う恋人たちのやむにやまれぬ切羽詰まった恋情が燃え上がり、忽ち消えて空虚が残った。その後は、ジュリエットに強烈に襲いかかる過酷。パリスとの結婚を強要する父。むろん、父には父の事情があって何とかしようとする母をはねのけてまで、暴力的に迫るのだ。しかし、この父の娘への絶対的な態度により、ジュリエットは図らずも少女から自立した女性へと、人間的に目覚ましい成長を遂げるのだから、運命はあくまで皮肉である。 ロレンス神父は、髑髏と花をそれぞれの手に、人生を考察しているが、ジュリエットが死を賭してロミオとの愛を貫こうとするのをみて、秘策を授ける。一度は死んでやがて蘇る秘薬を使い、パリスとの婚礼を避け、その間にロミオを追放先から呼び戻そう、という計画だった。
クリスティーナ・シャプラン、ティムール・アスケロフ
撮影/瀬戸秀美(すべて)
しかし、神父の願いも虚しく、ベンヴォーリオ(アレクセイ・ネドヴィガ)からジュリエットがロミオへの愛を全うするために死んだ、と知らされたロミオは、ジュリエットの墓に潜入して彼女を抱き、あらかじめ用意した毒を呷る。すると時が至ってジュリエットが目覚め、かたわらに横たわるロミオの死体に絶望して、彼の腰の短剣を抜いて自らの胸を突く。運命に抗うすべを知らない純真と言う名の青春の悲劇である。ティボルトもマキューシオもロミオもジュリエットもすべてが良い方に転ばず、死ぬ。人々はそれを<運命>と呼ぶのである。
ジュリエットを演じ踊った、シャプランは長く美しい手と脚を操り、フェミニンな踊りをみせた。優しく柔らかな女性的な姿体と過酷な現実とのコントラストが鮮やかで、客席から身を乗り出すようにして観た。アスケロフのロミオも歯切れの良い踊りと演技で感動を誘った。ラヴロフスキー版の『ロミオとジュリエット』、素晴らしい舞台だった。
(2015年12月2日 東京文化会館)
シャプラン、アスケロフ
アスケロフ、アレクサンドル・セルゲーエフ
シャプラン、アスケロフ
シャプラン、アスケロフ
カーテンコールに姿を見せたナタリア・マカロワ
マリインスキー・バレエ団来日メンバーと
ナタリア・マカロワ
「ロミオとジュリエット」終演後、
マカロワと主役、舞踊監督ユーリー・ファテーエフ
マリインスキー・バレエ団訪日公演カーテンコール