愛することの苦悩を踊ったテリョーシキナの圧巻の演舞が際立った『愛の伝説』

ワールドレポート/東京

関口 紘一
text by Koichi Sekiguchi

マリインスキー・バレエ団

『愛の伝説』ユーリー・グリゴローヴィチ:振付

『愛の伝説』は1961年にマリインスキー劇場(当時はレニグラード・キーロフ劇場)で初演された。以来マリインスキー・バレエが、初めて国外でこの演目を上演することになったのが今回の舞台で、ユーリー・グリゴローヴィチの原典版である。私はロシアでもなかなかチャンスに恵まれず、今回が初見。
骨太のグリゴローヴィチらしい骨法で描かれた、愛という人間の普遍的な問題に鋭く切り込み、力強く真実に迫ろうとするバレエだ。

物語の概略は、古代オリエントのある女王は、不治の病に伏していた妹を、自身の美貌を犠牲にして救った。しかし、深く愛している男がその妹と相思相愛の関係となる。女王は「愛とは何か」という根源的問いに苦しむ、というもの。
女王のメフメネ・バヌーにはヴィクトリア・テリョーシキナ、その妹の王女、シリンにはマリーヤ・シリンキナ、宮廷画家のフェルハドにはウラジーミル・シクリャローフというキャストだった。
フェルハドを忘れることの出来ない女王メフメネ・バヌーは、彼に難工事の水路開発を課す。シリンとの愛のために始めた工事は、人々に新鮮な水をもたらす大きな期待を背負った困難な仕事となった。フェルハドは、メフメネ・バヌーやシリンとの葛藤の中で、期待を裏切らず人々につくす人間として見事に生まれ変わってゆく・・・。
シクリャローフが3幕で怪我をし、アンドレイ・エルマコフが代わって踊る、というハプニングがあったが、ロシア・バレエらしい堂々とした力強さに溢れる舞台だった。この力強さには、いわゆる社会主義リアリズムが志向した、建設に向けて立ち向かう勇気と力を表したものを私などは感じてしまう。愛を得たフェルハドはいわば人民の英雄として生まれ変わるのである。しかし、この力強さが、社会主義的イデオロギーの呪縛から解放された今日の目でみると、じつに新鮮に感じられるのだから、私のような老兵は奇妙で不思議な感覚に囚われる。

「愛の伝説」ウリヤーナ・ロパートキナ、ユーリー・スメカロフ(他日公演) 撮影/瀬戸秀美

「愛の伝説」ウリヤーナ・ロパートキナ、ユーリー・スメカロフ(他日公演) 撮影/瀬戸秀美

動きは中東の舞踊から動きを採取して、バレエの動きとして組み立てた、という。なかなか良く作り込んでいて見応えは充分にあったが、宮廷の文化として発展したクラシック・バレエと砂漠のノマドの生活文化に培われた動きを融合させて、社会主義的テーマを表現するためには、どうしても力技に頼らざるを得ない、と言う点もまた感じられはした。音楽も中東のメロディーを採り入れていたが、何よりもドラマティックな表現を優先しているので、やや単調に感じられた面が無きにしもあらずだった。
最も印象に残ったのは、自らの美貌を犠牲にして救った妹シリンが、最愛の人、フェルハドと愛し合っている、と知った女王メフメネ・バヌーのソロ・ヴァリエーション。抜群のプロポーションと極限的柔軟性を兼ね備えた身体のテリョーシキナ渾身の踊りで、アンヴィヴァレントな苦衷を舞台いっぱいに表現した。シリンとフェルハドの愛のパ・ド・ドゥは、起伏に富んではいたが、あまりにも形を作ることにこだわり過ぎて人間性を表わす部分が少し足りず、もう一つ気持ちが伝わっては来なかったのは残念だった。
私は今回が初見であり、上記のような大雑把な紹介になってしまったが、公演パンフレットにはグリゴローヴィチの踊りについての詳細な解説がある。読んでいただければもっと良い理解を得られると思われる。 (2015年11月28日 東京文化会館)

「愛の伝説」マリーヤ・シリンキナ、ウラジーミル・シクリャローフ 撮影/瀬戸秀美

「愛の伝説」マリーヤ・シリンキナ、ウラジーミル・シクリャローフ 
撮影/瀬戸秀美

「愛の伝説」 撮影/瀬戸秀美

「愛の伝説」 
撮影/瀬戸秀美

「愛の伝説」マリーヤ・シリンキナ、ヴィクトリア・テリョーシキナ、ウラジーミル・シクリャローフ 撮影/瀬戸秀美

「愛の伝説」マリーヤ・シリンキナ、ヴィクトリア・テリョーシキナ、ウラジーミル・シクリャローフ 
撮影/瀬戸秀美

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「愛の伝説」ウラジーミル・シクリャローフ 
撮影/瀬戸秀美

「愛の伝説」 撮影/瀬戸秀美

「愛の伝説」 
撮影/瀬戸秀美

「愛の伝説」ヴィクトリア・テリョーシキナ、ウラジーミル・シクリャローフ 撮影/瀬戸秀美

「愛の伝説」ヴィクトリア・テリョーシキナ、ウラジーミル・シクリャローフ 
撮影/瀬戸秀美

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