崇高な殉教者のようにさえ見えたニジンスキーの魂の叫びが鮮烈だった、ハンブルク・バレエ公演

Hamburg Ballet ハンブルク・バレエ団

Gala:『The World of John Neumeier』Choreography, Direction, Narration by John Neumeier ガラ公演〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉ジョン・ノイマイヤー:振付、演出、語り
『Nijinsky』Choreography, Set and Costumes by John Neumeier
『ニジンスキー』ジョン・ノイマイヤー:振付、装置、衣裳

バレエ界の巨匠、ジョン・ノイマイヤーが率いるハンブルク・バレエ団が2年振りに来日した。演目は『椿姫』と『ニジンスキー』、それにガラ公演〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉の3作品。これまでは、何かひとつ日本初演となる作品を携えてきていたので、正直なところ最初は少し寂しい気がしたが、ノイマイヤーが代表作として自信をもって選んだというだけに、圧倒的な評価を得ている、極めて人気の高い作品が並んだ。このうち、〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉と『ニジンスキー』を観た。

ガラ公演〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉

〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉は、前回の2016年の来日公演で初演された作品。これまで創作した数多くの名作から抜粋したシーンを連ねて、ノイマイヤーのバレエ芸術を提示するアンソロジー的な作品だが、彼の創作活動を単に網羅的に紹介するものではない。ノイマイヤー自身が語り手として舞台に登場し、ダンスとの出会いに始まり、創作に臨む姿勢や作品の意図を、回想の形で語ったのである。そのため、比類ないノイマイヤーのバレエをより親しく感じたり、逆により深遠に感じたりもしたが、ノイマイヤーがいかに情熱を傾けて創作してきたかが分かり、真摯な人となりも伝わってきた。

〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉 Photo Kiyonori Hasegawa

〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉
Photo Kiyonori Hasegawa

作品は2部構成。マイクを持って現われたノイマイヤーが、ダンスとの出会いはバーンスタインの『キャンディード序曲」』を聴きながら踊ったことだと語ると、ダンサーたちは音楽にのせて勢いよく踊った。ノイマイヤーの分身を演じたロイド・リギンズは、自ら踊りもすれば、ダンサーを動かし、シーンを繋ぐなど、重要な役を務めていた。続く『アイ・ガット・リズム』では、シルクハットに燕尾服のシルヴィア・アッツォーニとアレクサンドル・リアブコのペアを中心に、男女が洒落たステップで踊った。ドイツでの活躍が長いノイマイヤーだが、ミルウォーキー生まれのアメリカ人であることを思い出させる導入部だった。
『くるみ割り人形』は、ノイマイヤーが初めてバレエのクラスを受けた喜びを伝えるもので、レッスンに励むダンサーたちや主人公のマリーと王子のパ・ド・ドゥが楽しめた。『ヴェニスに死す』ではカロリーナ・アグエロとリアブコが狂おしい愛を奏でていたのに対し、『ペール・ギュント』ではアリーナ・コジョカルとカーステン・ユングが互いを慈しむようなデュエットを見せた。この2つの間に挿入された「間奏曲」では、オルフェウスやアーサー王など様々な作品の主役たちが登場した。菅井円加は颯爽とシルヴィアを踊っていた。キリストの受難を描いたバッハの『マタイ受難曲』では、群衆にいたぶられながら刑場へ引き立てられるキリストの描写に続き、ダリオ・フランコーニが、師キリストを知らないと否定した弟子ペテロの苦しみを凄烈に表現し、強い印象を残した。続くバッハの『クリスマス・オラトリオ IーVI』の躍動感あふれる群舞で第1部は閉じられた。

ハンブルク・バレエ団〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉Photo Kiyonori Hasegawa

ハンブルク・バレエ団〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉Photo Kiyonori Hasegawa

第2部の幕開きとなった『ニジンスキー』からの抜粋はかなり長く、この作品に対するノイマイヤーの思い入れの深さが感じられた。だが別項で取り上げるので、兄スタニスラフの狂気を凄絶なソロで伝えたアレイズ・マルティネスと、軍服を羽織った群舞をバックに生贄の乙女を踊った妹ブロニスラヴァのパトリシア・フリッツァ、そしてニジンスキーと妻ロモラの荒々しいデュオをこなしたリアブコとエレーヌ・ブシェが卓越していたことを記すにとどめたい。次は文学作品に基づくバレエのパ・ド・ドゥが二つ。『ハムレット』では、留学するハムレットのエドウィン・レヴォアツォフと見送るオフィーリアのアンナ・ラウデールが切なさを漂わせて踊った。『椿姫』は、白いドレスのコジョカルとアレクサンドル・トルーシュが愛を確かめるように踊るシーンだが、やや淡泊な印象を受けた。
『作品100――モーリスのために』は、親交のあったモーリス・ベジャールの70歳を祝うガラ公演のために創作された、男性によるデュオ作品。上半身裸のリアブコとイヴァン・ウルバンは逆さに置かれたイスを奪い合うように動き始めるが、濃密な踊りへと転換していく。サイモン&ガーファンクルの『旧友』と『明日に架ける橋』を用いたのも暗示的で、互いを認め合い、切磋琢磨する巨匠たちの絆がみて取れた。
締めくくりは抽象的なシンフォニック・バレエで、『マーラー交響曲第3番』から最終第6楽章〈愛が私に語りかけるもの〉で、ダンサーたちが総出で生気溢れるダンスをエネルギッシュに展開した。ノイマイヤーは分身を務めたリギンズとここで抱き合いもし、「ダンスとは、愛するがゆえに行う仕事なのだ」という言葉のままに、創作に捧げる姿を伝えて終わった。ノイマイヤーのバレエの豊穣さ、作品ごとに編み出される独創的な表現の多様さに圧倒されるばかりで、物語バレエの大作に勝る重量級の感銘を受けた。
(2018年2月7日 東京文化会館)

ハンブルク・バレエ団〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉Photo Kiyonori Hasegawa

ハンブルク・バレエ団〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉
Photo Kiyonori Hasegawa

ハンブルク・バレエ団〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉Photo Kiyonori Hasegawa

ハンブルク・バレエ団〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉
Photo Kiyonori Hasegawa

ハンブルク・バレエ団〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉Photo Kiyonori Hasegawa

ハンブルク・バレエ団〈ジョン・ノイマイヤーの世界〉Photo Kiyonori Hasegawa

『ニジンスキー』

この作品は、20世紀初頭、セルゲイ・ディアギレフの率いるバレエ・リュスのダンサー、振付家として一世を風靡しながら、精神を病んで舞台を去った天才ヴァスラフ・ニジンスキーの波乱の人生を、彼の繊細な魂に寄り添うようにして描いた大作で、2000年に初演された。日本では13年振りの再演である。ニジンスキーは超人的な跳躍力の持ち主で、振付では論議を呼ぶほど斬新な手法を創出し、さらに独特の両性具有的な雰囲気も手伝って、寵児としてもてはやされた。私生活ではディアギレフの愛人で、彼に無断でバレリーナのロモラと電撃結婚したためバレエ団を解雇され、不遇をかこった。第1次世界大戦中、バレエ・リュスに復帰したが、次第に精神に異常をきたし、1919年に静養先のスイスのホテルで公演を行った後、バレエ界から姿を消した。死去したのは1950年。61歳だった。

「ニジンスキー」 Photo Kiyonori Hasegawa

「ニジンスキー」
Photo Kiyonori Hasegawa

舞台は、ニジンスキーが "神との結婚" と呼んだ、この最後の公演で始まる。高級ホテルを思わせる白い壁やバルコニーで囲まれたホールに観客が集まると、ニジンスキーは踊り始めるが、尋常ではない。拍手する観客の中にディアギレフの幻を見つけると、ニジンスキーは走り寄って飛びつき、ディアギレフはすがる彼を子どものように抱きかかえた。二人の関係を凝縮したような一コマだ。そこから時間が巻き戻され、バレエ・リュス時代の栄光を思い起こすように、薔薇の精や『シェエラザード』の金の奴隷、ペトルーシュカなど、ニジンスキーが得意にした役を踊るダンサーたちが現われ、また彼が振付けた『牧神の午後』の牧神や『遊戯』の若者らのダンサーも登場し、錯綜するように踊った。間に、母や兄と妹、バレエ教師らの回想シーンも挿入された。場面は南米ツアーの船上へ。ニジンスキーはロモラと出会い、電撃的に結婚するが、そのためディアギレフに解雇され、置き去りにされる。ここまでが前半。音楽はショパンやシューマンのほか、リムスキー=コルサコフの『シェエラザード』のエキゾティックで官能的な旋律が効果的に使われていた。主役のアレクサンドル・リアブコが迫真の演技で、ニジンスキーの繊細な心を、しなやかな、また鋭いステップで伝えていた。ニジンスキーの魂が乗り移ったように見えたほどだ。イヴァン・ウルバンは厳格で冷酷な一面もあるディアギレフを好演。ニジンスキーと一緒に作品を創造する場面では、彼の庇護者としての溢れる愛が滲み出ていた。

「ニジンスキー」 Photo Kiyonori Hasegawa

「ニジンスキー」
Photo Kiyonori Hasegawa

「ニジンスキー」 Photo Kiyonori Hasegawa

「ニジンスキー」
Photo Kiyonori Hasegawa

後半では、ニジンスキーの狂気が掘り下げられる。音楽はショスタコーヴィチの交響曲第11番『1905年』。ロマノフ王朝の下で、無防備の群衆が千人以上も射殺された「血の日曜日事件」をテーマにした交響曲を用いることで、ニジンスキーを追い詰めた戦争の影が浮き彫りにされた。戦争とは、世界大戦だけでなく、彼を理解できずに疎外した社会すべてを指すのだろう。それだけに、純然たる踊りの密度は高まり、熾烈と形容したいようなソロやデュエット、群舞が繰り広げられた。第1楽章「王宮前広場」では、不遇な環境に置かれたニジンスキーが、母や兄妹と過ごした子どもの頃やバレエ学校での生活を回想する。吊された巨大な環は、閉ざされた世界を示唆するように思えた。虐殺の光景を描いた第2楽章「1月9日」では、狂気に囚われた兄スタニスラフのソロが圧巻だった。パンツだけのアレイズ・マルティネスが、恐怖にとらわれて怯えおののき、身もだえして床をのたうち回る様は鮮烈だった。また、妹ブロニスラヴァ役のパトリシア・フリッツアが、パンツの上に軍服を羽織って凶暴に跳ねる兵士たちの前で、タイツ姿で髪を振り乱して『春の祭典』の生贄の乙女を必死に踊る様も目を引いた。舞台の右脇で、ニジンスキーが大声で「ワン、ツー、スリー」と叫んだが、これは『春の祭典』の上演中にオーケストラの演奏が観客の騒ぎで聞こえなくなったため、叫び声で拍子を取ったというエピソードによるのだろう。戦争の場面にバレエ・リュスの世界が入り乱れた。

「ニジンスキー」 Photo Kiyonori Hasegawa

「ニジンスキー」
Photo Kiyonori Hasegawa

「ニジンスキー」 Photo Kiyonori Hasegawa

「ニジンスキー」
Photo Kiyonori Hasegawa

第3楽章「永遠の記憶」では、狂気の世界に飲み込まれたニジンスキーを小さなソリに乗せて救い出した妻ロモラとニジンスキーのパ・ド・ドゥ。優しくいたわるロモラだが、床に横たわったニジンスキーは、ロモラを組み敷くように足の間に挟んで共に転がるなど、荒々しく愛撫する。狂おしいほどの感情をほとばしらせたリアブコも見事だったが、それ以上に、されるがまますべてを受け止め、夫を優しく包み込んだロモラ役のエレーヌ・ブシェの柔和で哀切さをたたえた演技も秀逸だった。第4楽章「警鐘」で、ニジンスキーはロモラが引くソリで冒頭のホテルのホールに戻されるが、そこは戦争の痕跡が露わで、ニジンスキーも正気を失っている。彼は赤と黒の布で床に十字架を作り、その布を体に巻き付けて、「戦争」のダンスを踊るのである。それは、戦争だけでなく、非人間的なすべてのものに対する戦いのように映り、ニジンスキーが崇高な殉教者のように思えた。ニジンスキーに対するノイマイヤーの旺盛な探求心がうかがえる作品で、ニジンスキーの魂の叫びと、彼に共鳴するノイマイヤーの叫びが重なり、この作品も感動的だった。個々のダンサーには触れなかったが、群舞も含めて、みな素晴らしかった。
(2018年2月10日 東京文化会館)

ワールドレポート/東京

[ライター]
佐々木 三重子

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