パリ・オペラ座ダンサー・インタビュー:ミリアム・ウルド=ブラーム
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ワールドレポート/パリ
大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA
Myriam Ould-Braham ミリアム・ウルド=ブラーム(エトワール)
5月18日、ポール・マルクをパートナーに『ジゼル』を踊ってパリ・オペラ座バレエ団を去ったエトワールのミリアム・ウルド=ブラーム。優れたクラシック作品の踊り手である彼女の繊細で感動的なステージをもう二度と見ることはできない、と残念がる人々をワクワクさせる朗報が届いた。10月4~6日に東京文化会館大ホールにて4公演が行われる「スーパースター・ガラ2024」(https://super-stars-gala.com/)に彼女が参加することが発表されたのだ。ミリアムのパートナーはカザフスタン・オペラの注目のダンサー、バクティヤール・アダムザンである。二人が踊るのは彼女のアデューの演目だった『ジゼル』の第二幕からのパ・ド・ドゥ、そして彼女にとって初役となる『薔薇の精』の2演目である。7月中旬にはマニュエル・ルグリが芸術監督を務めるミラノのスカラ座でゲストダンサーとして、クラウディオ・コヴィエロをパートナーに『マノン』全幕の3公演をこなした彼女。アデュー公演以降について語ってもらうことにしよう。
自宅でのインタビュー当日、ご主人のミカエル・ラフォン(スジェ)はスイスの山頂で開催されるガラに参加のため不在で、7歳と4歳の男児のママである彼女の優しいママぶりを垣間見ることができた。またオペラ座の2023/24シーズン最後の演目のひとつであるピナ・バウシュの『青髭』で主役を踊ったミカエルが、彼本来の優しさとは裏腹の暴力的でサディスティックな役に取り組んで見事なステージを見せたことに、彼女は感嘆を惜しまない。オペラ座のエトワールという重任を背負いながらも、控えめで穏やかな人柄を保ち人間的にもバランスが取れたミリアム。この素晴らしい家族がどれほど彼女にとって大きな支えなのか想像に難くない。
アデュー公演「ジゼル」©Julien Benhamou/ OnP
アデュー公演「ジゼル」©Julien Benhamou/ OnP
Q:大きな感動を観客に与えたアデュー公演の『ジゼル』。この演目を選んだのはなぜでしょう。
A:アデュー公演の3年前に心から踊りたいと願う演目を選ぶというのは、難しいことですね。でも決めなければならず。最初私は『ジュエルズ』の「ダイヤモンド」を踊ってオペラ座を去りたいと思ったの。これはアダージュもヴァリエーションもアンサンブルも何もかもが信じられないほど素晴らしく、全てが私に語りかけてくる作品なんです。バランシンの振付がチャイコフスキーの音楽によってより崇高さを増して・・・。それにラクロワのコスチュームも。でもオーレリー(・デュポン元芸術監督)から、''アデュー公演は自分一人がスターという作品がいい'' といわれて。希望も変わるし、身体も変わるし、私生活もあるので3年前に演目を決めなければいけないのは、本当に難しかった。『ジゼル』にしたのは私はクラシックの踊り手で、そのために子供の時から踊り続けているのです。クラシック作品でキャリアを終えるというのが希望だったので、『ジゼル』を選びました。とても良い幕引きができたと思っています。この晩、アーティストやファン・・・クラシックダンスを愛する人々が会場に集まっていたので、その期待に背くことはできません。キャリアの最後まできちんとクラシックを踊れることを見せるのが私にとって大切なことで、私はステージの一瞬一瞬に喜びを感じ、これ以上うまくゆくことはないという出来でした。
Q:ストレスはなかったのですか。
A:公演の当日は楽屋でスピーチの準備をしたり、翌日に予定していたパーティのこととか、朝からたくさんのことを片付けなければならず忙しかったので・・・。でも前日は感動でいっぱいでした。ああ最後のリハーサルだわ、最後のスタジオだわ、ポール(・マルク)とも最後、クロード・ドゥ・ヴュルピアンとの仕事も・・・というように、これで終わるのだ、ページをめくる時が来たのだとつくづくと。17歳の入団から25年間いたオペラ座は私の人生そのもの。私には家族の暮らしがありますが、その一方でこの仕事は常に鏡に自分を映し、自分について考えることも多くてとてもエゴイストな仕事です。クラシック・ダンサーのエトワールとして42歳の定年まで勤め上げる幸福感を味わいたいと願ってました。41歳で『白鳥の湖』を踊り、『くるみ割り人形』は稽古で終わってしまったけれど42歳の時です。私はエトワールという肩書きを最後まで完全に全うすることができました。それには感動があり、それができたと言えることがとても幸せなんです。オペラ・ガルニエでの最後のページのあらゆる瞬間を存分に味わうことにしました。裏方の人たちや受付の人たちにも囲まれ・・・。もし一生の間に記憶に残す夜があるとしたら、20年の任命の夜もあるけれど、このアデュー公演の晩は私にとって信じがたいほどのものです。
アデュー公演「ジゼル」©Julien Benhamou/ OnP
アデュー公演「ジゼル」©Julien Benhamou/ OnP
Q:このアデューの晩、幸福感に満ちた清々しい笑顔がとても印象的でした。
A:この晩、微塵の悲しみもありませんでした。オペラ座での終わりがなければならなかった。家族もあるし、また自分の翼で飛ぶことのために必要なことだったので。今、解放感があります。深く呼吸ができています。オペラ座は大きなメゾオンだし、いくつものコードがあって・・・それについて私は居心地の良さをあまり感じられなかった。
Q:アデュー公演の後、日常の暮らしに戻るのに時間が必要でしたか。
A:直後にひどい扁桃腺に悩まされてしまって・・・。確かにこの幸福感から普通の毎日に戻るのに何日か必要でした。でも、子供達がいるので学校に迎えに行ったり、一緒の時間を過ごしたり、と実生活がすぐに戻ってきて。その後にマニュエル・ルグリから・・・。
Q:アデュー公演を観に来ていたマニュエル・ルグリから、スカラ座の『マノン』に招待されたと耳にしましたが。
A:いえいえ、違います。アデュー公演から1ヶ月経った頃に彼から電話が来たんです。公演日は7月13、16、18日ですから、結構直前のことですね。私はクラウディオ・コヴィエロと踊ったのですが、それは彼のパートナーだったダンサーが怪我をしてしまったから。彼はマティアス(・エイマン)と同じような身長なので、スカラ座には彼と組めるダンサーがいない。小柄で痩せているダンサーが必要! ということで、マニュ(注:マニュエル・ルグリ)が ''あ、ミリアムはアデュー公演をしたのだから、スケジュールが空いてるに違いない'' って、私を思ったんですね。彼から電話があった時、バレエシューズの一部は売ったり、人に譲ったりしていて、手元に残してあったのは次のガラのための20ペアだけだったんですよ。
ミラノ・スカラ座「マノン」© Brescia Ammirano
ミラノ・スカラ座「マノン」©Brescia Ammirano
ミラノ・スカラ座「マノン」©Brescia Ammirano
ミラノ・スカラ座「マノン」©Brescia Ammirano
Q:アデューの後はステージで踊ることは考えていなかったのでしょうか。
A:全く踊らないと決めてたわけではなく、機会があればという程度に考えていて。アデュー公演の前後に色々と提案が来始めたのです。その1つが、パトリック・ド・バナからのスーパースター・ガラですね。ミラノに行く前の6月下旬には、リール市のガラでマチュー・ガニオと『ダイヤモンド』を踊っています。このためにマチューとリハーサルを始めた時に、マニュエル・ルグリから電話があったのです。スカラ座! マニュエル・ルグリ! マノン! これは断れるものではないでしょ。子供たちのことはなんとかするからって、マニュにすぐにOKと返答しました。
Q:クラウディオ・コヴィエロと組んだのはこれが初めてですね。
A:そうです。彼との間にアーティスティックな協調がすぐに生まれて、とても自然に良い関係が築けました。彼はとても穏やかな人です。それにスカラ座の人々はまるで私がチームの一員のように扱ってくれて、全てがうまくゆきました。3週間弱のリハーサルを含めて約1ヶ月ミラノで過ごしたのですが幸福感あふれる期間でした。
ミラノ・スカラ座「マノン」©Brescia Ammirano
ミラノ・スカラ座「マノン」©Brescia Ammirano
ミラノ・スカラ座「マノン」©Brescia Ammirano
ミラノ・スカラ座「マノン」©Brescia Ammirano
Q:クラウディオという新しいパートナーを得て、マノン役の解釈は変わりましたか。
A:そう、違いますね。私にとって理想のデ・グリューはオペラ座で、そして日本でも一緒に踊ったマチューなんです。私は『マノン』という作品を彼と学び、素晴らしい時間を過ごしたので、彼ではないパートナーと踊るというのが奇妙に感じられ、最初ちょっと困惑してしまいました。愛人を変えた? そうね、クラウディオとの間にすぐに強いコネクションがうまれるまで、ちょっとそんな感じ。彼って視線はとても強いのだけど、とても優しい。素晴らしいダンサーです。彼のダンスはとても正確で一緒に踊っていてとても快適。これは素晴らしい発見でした。確かにマチューとは違うタイプのダンサーですが、パートナーとして比較するつもりはありません。でもこうして別のパートナーともう一度仕事をしたことによって、おそらく私はオペラ座の時とは違うようにマノンの解釈をしたように思います。スカラ座ではより情熱や血気のあるマノンだったかもしれません。でも、基本となる横糸は同じです。彼女を思わぬ方向へ導く兄の存在と愛。若くて優しい女性のジレンマです。退廃的な感じには決して演じません。日本での公演がマノン役の踊り納めだと思っていて、また最後の公演に自分としては少し不満があったのでミラノで個人的雪辱もできて。スカラ座でマノン役に再び取り組めたことは信じられないことでした。3週間ミラノで過ごし、私はその間自分の芸術だけに専心。とても自由だと感じられました。のびのびと踊れました。オペラ座を離れて解放されたとつくづく・・・。
Q:マノン役はキャリアの最後に出会った役で、2011年と2014年の公演では踊っていませんね。
A:妊娠中だったからです。でも、だからと言ってその時に惜しいと思う気持ちはありませんでした。なぜって、今回再びこの作品の仕事に取り組むことができたのはとても幸せでしたけど、もともとこのバレエは特に踊りたいと夢見ていたものではなかったので。初めて踊ったのは2023年6月。その時の公演のために私にこの役の指導をしてくれたのは故カール・バーネット。彼のことは私の心に深くの残っています。スカラ座ではジュリー・リンカーンがリハーサルコーチでした。
ミラノ・スカラ座「マノン」©Brescia Ammirano
ミラノ・スカラ座「マノン」©Brescia Ammirano
ミラノ・スカラ座「マノン」©Brescia Ammirano
ミラノ・スカラ座「マノン」©Brescia Ammirano
Q:マニュエル・ルグリとは彼の引退後もやりとりがあったのでしょうか。
A:いえ、連絡を取り合うというようなことはありませんでした。私は遠慮がちなタイプだし、それに子供も生まれてそちらに時間をとられていたこともあって・・・。でも一度、彼がウィーンにいた時代にマティアスと一緒に『リーズの結婚』に招いてくれたんですよ。彼には大きなリスペクトがあります。私が若い時、彼は実にたくさんのことをもたらしてくれました。私がこのように最後まで自分のダンスを保つことができたのも、彼という模範がいたからです。彼もキャリアの最後まで踊れていましたね。彼に対しては敬意しかありません。
パリ・オペラ座「マノン」©Svetlana Loboff/Onp
Q:今回彼はあなたに新しい出会いをもたらしてくれました。
A:そうです。とりわけ素晴らしいと感じたのは、オペラ座を去った後に再び『マノン』の仕事ができて、学ぶことがあったことです。とても幸せなことです。スカラ座でクラスレッスンを再開し、テクニックを学んで。スカラ座では最後には全てのレッスンに参加するようになって、なんとフェッテまで !(笑)。グラン・ソーはしなかったけれど、体がとても調子良かったんです。クラスレッスンでフェッテだけでなく、いろいろなテクニックができ、それをすることに長いこと失っていた喜びが感じられたことには自分でもびっくり。これはとても興味深いことだって感じました。マニュとの仕事によって、若いときに彼のガラに参加したことや彼の忍耐や知性などが蘇ってきて。彼の前では私は学び、発見をする若い一女性です。私の内でくすぶっていた炎に彼が新たに火を灯してくれたと言えるかしら。生涯忘れることのできない体験です。
パリ・オペラ座「マノン」©Svetlana Loboff/Onp
パリ・オペラ座「マノン」©Svetlana Loboff/Onp
パリ・オペラ座「マノン」©Svetlana Loboff/Onp
パリ・オペラ座「マノン」©Svetlana Loboff/Onp
Q:2022年から2年ぶりに開催される「スーパースター・ガラ2024」について話してください。
A:公演の芸術監督を務めるパトリック・ド・バナから提案があったのはアデュー公演の少し前のことでした。公演後について具体的にどうしようと考えてはいなかった時期だったのですが、彼から ''いや君はまだまだ踊るよ'' というように言われて。じゃあ、OKと返答したんです。パートナーのバクティヤールとは過去に踊ったことはなく、パトリックが彼を選びました。私のアデュー公演の演目だった『ジゼル』から第二幕のパ・ド・ドゥを踊ります。オペラ座のアデューに比べるとほんの少しですけれど、これによって私のクラシック・ダンサーとしてのイメージを日本の観客の心に残すことができると思います。
「白鳥の湖」©Yonathan Kellerman/ OnP
Q:バクティヤールはニジンスキーの再来と言われてるそうです。
A:彼ってすごいテクニシャンのようですね。彼と踊る2つ目の作品は『薔薇の精』ですから、彼はその卓越した技術を見せることができる作品となるでしょう。彼にはパーフェクトな演目ですね。私はこれまで『薔薇の精』を一度も踊ってないんですよ。この作品について強いイメージを私に残したのは、マニュエル・ルグリとクロード・ドゥ・ヴュルピアン。二人とも私の大好きなダンサーでとてもインスパイアーされました。この作品について、『ジゼル』に次いでまたクロードと仕事をして、彼女に導いてもらうつもりです。
Q:『バラの精』のあの女性役、それにコスチュームもあなたにとてもぴったりに思えるので初役というのは意外です。
A:とてもロマンティックなコスチュームですね。私は2つ目に『ダイヤモンド』が踊れたらと実は思っていたのですが、『薔薇の精』なら私のスタイルを保てる作品であり、また彼は目を見張るようなテクニックで爆発できるので良い演目ですね。
Q:引退後に新しい作品に取り組むことになるとは予想外ですか。
A:はい。実はスーパースター・ガラの後、一旦パリに戻り、すぐに上海に行くんですよ。そこでステファン・ビュリオンと『ル・パルク』、それにパトリック・ド・バナの作品も踊るんです。どちらも初めての作品。全く予測してなかったことだけど、こうした冒険があるのはいいですね。ステファンとはオペラ座で2012年に『ラ・バヤデール』を一緒に踊っていて、彼と再び踊れることになってとても嬉しい。思いがけないことがたくさん起きて・・・予測してないことでも、やりたいことなら受け入れます。今のようにはそう長く続かないでしょうけど、提案がある限り、体が踊れる限り、私が気持ち的に静けさを保てる限り・・・。作品だけでなく新しいパートナーと組む機会があるのも、素晴らしいことです。
Q:10月の来日までどのようにレッスンの予定を立てていますか。
A:先ずは8月にバカンスを取り、9月から体の準備を始めます。近所にスタジオを貸してところがあるのでオペラ座には行きません。というのも、私の仕事はダンサーたちと同じリズムではないので、そこに私が入り込むのはなんだかリスペクトが欠けてるように思うのです。同じことから、妊娠中にもオペラ座には行きませんでした。これは私流の考えかたなのかもしれないけれど・・・。
Q:バレエの指導についてはどのような予定がありますか。
A:8月後半にニームの研修会に参加します。そのほかはプライヴェート・レッスンですね。
私は自分が学んだことを全て惜しみなく伝えるので、生徒はとてもラッキーですよ。指導についても先の予定についてはあまり立てず、毎回毎回を大切にしてゆきたいと思っています。
Q:スーパースター・ガラで再び日本で踊ることについてどのような思いがありますか。
A:パトリックからこのガラへの参加の声がかかった時に、日本にまた行く意味があるって思ったんです。オペラ座のツアーで2月に訪日した時に、実に大勢の観衆が私を温かく迎えてくれたことは心に触れるものがありました。予測してなかったことです。私とマチューが一緒に踊るのを初めて見たという観客も多かったでしょうね。2017年の来日公演で『ラ・シルフィード』を見て以来フォローしてくれてる人たち! たくさんの手紙をもらいました。全てを開く時間的余裕がこれまでなかったので、まだお返事を書けていないことをここでお詫びします。これからは時間があるので・・・。スーパースター・ガラに参加し、日本の観客を前に再び踊れることを心から嬉しく思ってます。
「白鳥の湖」©Yonathan Kellerman/ OnP
「白鳥の湖」©Yonathan Kellerman/ OnP
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