パリ・オペラ座ダンサー・インタビュー:ホヤン・カン

ワールドレポート/パリ

大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA

Hohyun Kang ホヤン・カン(スジェ)

2018年に入団したホヤン・カンがスジェに上がったのは2023年。そのコンクールの前、2022年10月~11月に公演のあった『マイヤリング』でポール・マルクのパートナーとして主役マリー・ヴェツラ役に彼女は配役されている。当時コリフェだった彼女の名前はこれによって大勢に知られることとなった。今シーズンはイリ・キリアンの『Gods and Dogs』と『Petite Mort 』の2作品で異なる魅力と実力のほどを見せ、4月13日には『ドン・キホーテ』のキトリ役デビューも見事に果たしている。24回の公演で10名のダンサーがキトリを踊った中で、彼女は唯一のスジェだった。短期間のキャリアでの恵まれた配役を見ていると、彼女に対するカンパニー期待が感じられる。ステージ上でスレンダーな肢体からピュアなオーラを放つ彼女。インタビューに際して至近距離で前にすると、''明眸皓歯''という表現を思い出させる美女である。次の公演は『白鳥の湖』。四羽の大きい白鳥を踊る。なおこれまで彼女の名前はホヒュンあるいはホユンと表記されることが多かったが、正しい読み方はホヤンだそうだ。

Q:『ドン・キホーテ』は踊りたいと願っていた作品ですか。

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photo Julien Benhamou/ OnP

A:もちろん! この作品は私にとって少しばかり特別なものなんです。というのも、小さい時に韓国で見た初めてのバレエが『ドン・キホーテ』でした。ABTの公演で、バレエを習っていた私は、''わあー! これを踊りたい'' って思いました。そしてコール・ド・バレエとして代役で踊り、パリ・オペラ座での私の第一歩となったのが『ドン・キホーテ』。さらに初めてのドゥミ・ソリストがこの作品のキュピドン役だったのです。幸運をもたらす作品といえるのかもしれません。

Q:キトリ役に配役されたのを知った時はどんな気持ちでしたか。

A:最初は大きな喜びでした。それから、どう演じようかとか考え出して徐々にプレッシャーを感じるようになって。これは私にとって3幕物の初体験。過去に『マイヤリング』を踊ってるけど、それとヌレエフの3幕は全く別物です。それに私はオペラ座バレエ学校でフレンチ・スタイルを学んでいないので、ヌレエフの振付を踊ることが少し怖かったんです。ここではみんなが小さい時から学んでいることだけど私は全然なので、それにはストレスがありました。

Q:でも4月13日の『ドン・キホーテ』ではそうした面を感じさせないパフォーマンスでした。

A:あのキトリのステージ入り! ああして舞台に出ると、とにかく音楽に乗って観客を前にコール・ド・バレエたちと一緒に踊りたい! という気持ちでいっぱいになって。その気持ちに背中をぐっと押されるようにして、舞台を務めました。

Q:バジリオ役のパブロ・ルガザとは過去に一緒に踊っていますか。

A:はい。まずフォーサイスの『The Vertiginous thrill of exactitude』の中でちょっとだけ一緒に踊る部分があって。そのあと『ダンテ・プロジェクト』でパ・ド・ドゥを一緒に踊ってます。彼とは仲良しです。

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「ドン・キホーテ」キトリ
Photo Yonathan Kellerman / OnP

Q:一度だけの公演でした。踊り終わって満足できないことなどありましたか。

A:もちろん、100パーセント満足ということはいつだってありません(笑)。全力を尽くしたのは確かだけど、一回限りのキトリなのでリスクを負うことはしたくなくってそれ以上はしなかった。だから踊り終わった時に、もっと回数を踊りたいと思ったんです。公演後、もし万が一踊れる機会があればという気持ちで準備はしてたけど舞台のチャンスはありませんでした。

Q:スジェの階級は今シーズンはコンクールではなく任命形式です。舞台に立つたびにコンクールのようにジャッジされているという気がしますか。

A:そういうことはないですね。まず私にとってコンクールというのは、プレゼンテーションのようなもの。メークをして衣裳をつけてエトワールのようにソロを踊る機会です。自分で踊りたい作品を選んで。だから毎回が喜びなんです。結果にがっかり、ということがあってもモティヴェーションがより得られ、それによって前へとプッシュされる。これ対して公演では私のためではなく観客のために踊ります。だからプルミエール・ダンスーズに上がる上がらないといったことは考えずに踊っています。もちろん、もし上がれたらそれはいいことです。でも今はステージで踊れることが嬉しいので・・・。

Q:『ドン・キホーテ』ではドリアードの女王も踊ってますが、キトリという女性は自分を重ね合わせられる人物でしたか。

A:私はどちらかというと静かで少し内気なタイプ。だから ''私のキトリ'' を作り上げたいと思いました。もっともっとアクティブで活発なの・・・。私のバジリオと私のキトリという物語にしたいと思いました。

Q:技術面で難しさを感じる作品でしたか。

A:ステージではテクニックよりアーティスティック面により集中し、自分の役柄に入っています。そのために長い期間の稽古で振付をしっかり身につけて、テクニック面のベースを築くわけですね。それに毎朝のクラスレッスンもあります。これゆえにステージ上では技術面では解放されて、恐れることはなくなるのです。

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「ドン・キホーテ」ドリアードの女王
Photo Yonathan Kellerman / OnP

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「ドン・キホーテ」ドリアードの女王
Photo Yonathan Kellerman / OnP

Q:あなたがキトリを踊った晩、あなたと仲良しのビアンカ・スクダモアがキュピドン役でした。彼女はさらに怪我で降板したダンサーに代わって花嫁の介添え役もこの公演で踊りました。

A:そうなんです、私たち同じ晩にステージを共にできたのでとても満足でした。第二幕で私のドルシネア姫(キトリ)と彼女のキュピドンが踊りながら視線を交わす場面があります。疲労を感じていた私はそこですごく励まされるように感じられました。この晩は韓国から家族が会場に見に来ていて、これも嬉しかったことですね。

Q:バレエを習い始めたのは韓国でですね。

A:はい。ダンスを始めたのは10歳くらいの時。私もセ・ウン・パク同様にソウルの生まれで、彼女と同じ学校でダンスを学びました。教師も同じなんじゃないかしら。以前オペラ座のダンサーだったキム・ヨンゴルが定年後にソウルの芸術総合大学で教えていて、私は彼の生徒でした。パリ・オペラ座のオーディションを試したら、と卒業の時に彼に勧められたんです。私はその時22歳くらい。他のダンサーに比べると遅いですよね。2017年にオーディションを受けて、すぐに期間限定契約を得ました。この時のオーディションでは「リラの精」を選び、その翌年2018年のオーディションでは『ライモンダ』。これで正式入団しました。

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「ドン・キホーテ」キトリ Photo Yonathan Kellerman / OnP

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「ドン・キホーテ」キトリ Photo Yonathan Kellerman / OnP

Q:パリ・オペラ座のバレエ学校のフレンチ・スタイルは入団前に全く学んでいないわけですね。

A:キム・ヨンゴルが学校で教えるのはフレンチ・スタイルではありません。でも時々、こうするのがフランス式だよ、というように・・・。この程度の知識なので、オペラ座に入って周囲のダンサーたちの踊りを見ながら、自分で過去に習ったこととの違いとか、ああこれがフレンチ・スタイルか、というように学んでいったんです。

Q:特に誰かにコーチを頼んだりということはなかったのですか。

A:2017年に契約団員として『ドン・キホーテ』のコール・ド・バレエで踊った時に、コーチだったデルフィーヌ・ムッサンに指導してもらったり、その後コンクールの時に見てもらったりということはあったけど、主に周囲の同僚たちの踊りから学んだことが多いですね。韓国で習ったこととパリ・オペラ座のダンスの大きな違いは、踊り方というよりオペラ座では各人各様が自然に踊ることですね。

Q:オーディションを受けて、パリ暮らしを始めることに不安などは感じましたか。

A:そうしたこと、考えている時間などがなくって! オーディションに受かってから1ヶ月間でパリに来る準備をしなければならなかったんです。契約を得て、ビザを申請して・・・とあっという間の出来事でした。仲良しの家族なので、たとえ離れていても私を精神的に支えてくれることはわかっていたし、すでに22歳になっていたので一人でパリで暮らすことの恐れはさほどありませんでした。

Q:その時点でフランス語は少しは話せましたか。

A:パリに来るまでの1ヶ月の間に話せるようになるなんて、無理 !(笑)。カンパニーの中で仕事をしながら学んでゆきました。最初は一言も喋れず、それに私は内気なのでちょっと辛かった。でもみんなすごく親切で、楽屋でこれはこう言うのだというに色々教えてくれました。映画の『ブラック・スワン』のようなことは、私の知る限りオペラ座内ではありません。本当に親切な同僚ばかり。セウンとは韓国語で話せるけれどソリストの彼女と私はリハーサルの時間帯が違うので、なかなかすれ違うこともなくって。ユン・ソフー(コリフェ)とは顔を合わせれば韓国語で話しています。

Q:以前、セ・ウン・パクは彼女が住んでいた時代、韓国ではパリ・オペラ座はそれほど人気がないといっていました。

A:そうですね、私たちが学ぶバレエはロシア式なのでマリインスキーとかの方が知られてました。でも彼女がエトワールになって以来、パリ・オペラ座が人気のカンパニーなんですよ。昨年のオペラ座の韓国ツアーに私も参加してましたけど、その時にギヨーム・ディオップがエトワールに任命された時には会場はすごく盛り上がりました。

Q:あなたの長く美しい脚はステージで目を引きます。自分ではどう思っていますか。

A:自分の脚が私は好きじゃないんです。ラインが美しくないと思うし、クー・ド・ピエにしても・・・だから、いつも足を隠すようにする傾向があったんです。オペラ座に来て以来、進歩を目指して足をいかに使うかを学んで・・・。足も脚もダンスにおける私の弱点だって思っていたけれど、今はこれについてメンタル面でかなり良くなりました。良い配役を得られていることも、こうしたことに役立っていますね。

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「マイヤリング」Photo Ann Ray / OnP

Q:初の主役は2022年秋の『マイヤリング』はコリフェの時代でした。オーレリー・デュポン芸術監督の決定ですか。

A:彼女が退任して、芸術監督がいない時代のことです。この作品はその前のシーズンに予定されていたけれど、新型コロナの影響で2022~23年に延期されたんです。この最初の公演予定の時は準主役の代役でした。この作品で主役を踊れたことはとても幸せでした。

Q:初の主役作品が『マイヤリング』という演劇的作品。どのように役柄を準備しましたか。

A:正直に言って、特に役柄について特別な仕事はしませんでした。役柄においても自分自身でいたいと常に思っているので、''もし私だったら ? '' と想像してみるだけです。もちろん物語についてはきちんと調べ、マリー・ヴェツラはどんな女性だったのかなども知るようにして・・・でもその後は、もし自分が17歳だったらどのような気持ちで、それをどう表現したのだろうか、というように考えていました。そうすることで自然に演じられる。それに振付けがすでに感情を表現していますから。だから顔よりも、指先まで含めて体の動きで私は演じるようにしたと言えますね。例えば、どのようにパートナーの体に私の手を置くか、触れるかによって表現したいことが変えられます。

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「マイヤリング」Photo Ann Ray / OnP

Q:この作品の時も韓国から誰か見に来ていましたか。

A:いいえ、残念ながら。遠いいし、飛行機代もかかるし・・・それにそもそも私がマリー役を踊ると決まったのは、かなりギリギリのことだったです。私も役を準備する時間があまりなかった。コリフェの私が主役に配役されたことには、誰よりもまず私本人がびっくり。ストレスなしに、とてもステージを楽しめました。来シーズンにプログラムされてる『マイヤリング』が踊れたらもちろん嬉しいけど、配役が出ていないのでまだわかりません。

Q:好みはコンテンポラリーよりクラシック作品ですか。

A:私はクラシックでもコンテンポラリーでも何でも好き。新しいことにはなんでもチャレンジしたいから、全てにオープンです。イリ・キリアンのようなネオクラシックでも、演劇的作品でも、とにかく全部好き。踊りたい作品ですか? たくさんありすぎて 選ぶのが難しい・・あ、でも『ロメオとジュリエット』!! 『ジゼル』『ル・パルク』、それに『ラ・シルフィード』もそうですね。マクミランのスタイルが好きなので『マノン』も。でも来シーズンで言えば、踊りたいのは『マイヤリング』に尽きます(笑)。

Q:昨年末のイリ・キリアンのトリプルビルでは『Gods and Dogs』『Petite Mort』で大活躍でした。

A:このどちらがより好きかというのも答えるのは難しい(笑)。この2つの作品はあまりにも違うので。でもストレスを感じたのは『Petite Mort』です。なぜかわからないけれど作品の雰囲気のせいでしょうか。それに対して、『Gods and Dogs』はソロのパートは決まった振付がないので自分で即興で踊る部分がありました。ステージに立つごとに色々と試すことができたんです。パ・ド・ドゥとパ・ド・キャトルの部分は振付があったけれど、ソロは自由。インプロヴィゼーションが初めての体験だったけれど、このチャレンジは楽しめました。

Q:『Gods and Dogs』では脚をほぼ6時まで高く上げる動きが何度か見られました。『ドン・キホーテ』のドリアードの女王でも高く上がっていました。

A:私、好きなんです。毎朝、やってます(笑)。ダンスを習ってて、ある時自分は他の人に比べて体がすごく柔らかいのだと気がついたんですね。それでこの面で進歩すれば自分の強みになるだろう、って思って。

Q:コンクールの自由曲はそうした面をアピールする作品を選びましたか。

A:いいえ。そういうことよりは自分が踊りたいと思うヴァリエーションを選びました。入団前に契約団員だったので入団年のコンクールに参加でき、その最初のコンクールでは『ディアナとアクテオン』。この時は上がれなかったし、上位6名のリストにも入りませんでした。次の年のコンクールでは『ドン・キホーテ』のドルシネア姫のヴァリエーションでこれで上がって、2020年からコリフェです。スジェに上がった時のコンクールでは、ジョン・ノイマイヤー版『くるみ割り人形』のルイーズのヴァリエーションでした。

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コンクール Photo Svetlana Loboff/ OnP

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コンクール Photo Svetlana Loboff/ OnP

Q:コリフェに上がった年は新型コロナ感染症防止のための劇場封鎖。踊れない時期は不満でしたか。

A:実はこの期間を私はとても満喫したんです。というのもパリが外出禁止となる直前に、すぐに韓国に帰ったんです。韓国は外出禁止とかなく、海外からの入国だった私は到着後2週間の隔離があっただけ。フランスから離れて、家族とゆっくりと時間を過ごすことができました。ちょうど家族が恋しくなっていた時期でもあったので・・・オペラ座でズームで朝のクラスレッスンが始まって、私もそれでレッスンをしました。もっとも時差があるので、私には夕方のレッスンとなってちょっと変な感じでしたけど(笑)。

Q:あなたの入団時の芸術監督はオーレリー・デュポンで、現在はジョゼ・マルティネズが芸術監督です。

A:彼のことはスターだったから名前はもちろん知っていました。生のステージを見たことはないけれど、ビデオで見ています。彼が就任してからカンパニー内の雰囲気はかなり変わりましたね。でもそれは以前が良い悪いということではなく、上が変われば全体の空気というのは変わるものだから。彼は私たちと対話を図るように心がけていますね。公演ごとのキャスト数が彼によって増えたことについては、チャンスが得られているのでスジェの私には嬉しいことだけど、それでも配役されないとなるとがっかりする人もいると思います。全員を満足させるのは難しいことです。

Q:模範とするダンサーはいますか。

A:これも誰か一人は選べない・・・ダンサーとして私はオーレリー・デュポンにはすごくインスパイアーされました。今のエトワールの全員も私の模範だし、それに周囲の同僚のダンサーたちだって。入団でして思ったのは、同僚のダンサーたちの誰もがみんなエトワールのように踊ることです。彼女たちからとても多くを学んでいます。そうしたこともあって、私には階級ってあまり重要じゃないんです。

Q:時間があるときに何をしますか。

A:ビストロや和食のレストランに食事に行きます。小さい時からうどんが大好きなんですよ。あるいは読書をしたり、お料理を作ったり。映画や美術館にも行きます。行列なしで入れるカードを持っているのでオルセー美術館やオランジュリーなどちょっと時間ができた時に・・・でも何もしないでぼ~っとしてるのも好き。

Q:日本に行ったのは2月の来日公演が初めてでしたか。

A:はい、韓国とは近いですけどこの時が初めてで、とっても日本が気に入りました。『白鳥の湖』と『マノン』の間に3日のオフ日があったの、飛騨高山を旅したんです。汽車に乗って、山間の温泉に入って、飛騨の牛肉も美味しくて・・・とても楽しかった。旅行の計画はパリを出る前にしっかりと立ててありました。というのも、日本を旅するのが長年の夢だったんです。

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「ドン・キホーテ」キトリ Photo Yonathan Kellerman / OnP

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