パリ・オペラ座ダンサー・インタビュー:アリス・ルナヴァン
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ワールドレポート/パリ
大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA
Alice Renavand アリス・ルナヴァン(エトワール)
昨年7月13日、アリス・ルナヴァンのアデュー公演が行われた。彼女は初役で踊った『ジゼル』の第二幕目の途中で、あいにくと膝の怪我により退場。その晩、カーテンコールの際に2022〜23期中にオペラ座からの招待で彼女が再び舞台にたつことが、会場に集まった観客に告げられた。現在公演中の「モーリス・ベジャール」で、彼女は5月24日と28日に『ボレロ』に配役されている。踊りたかった作品の1つである『ボレロ』を奇しくも初役で踊る機会が得られたことは、文字通り''怪我の巧妙''といえよう。
パリ郊外生まれのアリス。オペラ座バレエ学校に1990年に入学し、1997年にカンパニーに入団した。コンクールの結果、2004年にコリフェ、2005年にスジェにととんとん拍子に上がり、しばらく待って2012年にプルミエール・ダンスーズに。その翌年2013年、アンジュラン・プレルジョカージュの『ル・パルク』を踊ってエトワールに任命された。今年3月31日をもって正式に退団した彼女はゲスト・エトワールとして『ボレロ』を踊る。
Q:『ジゼル』同様に『ボレロ』も初挑戦ですね。なぜこれをオペラ座で最後に踊る作品として選んだのですか。
Photo James Bort/ Opéra national de Paris
A:なんといっても『ボレロ』は素晴らしいバレエです。多くのダンサー同様にこれを踊るのは私には夢だったので、引退後の2022〜23年のプログラムに入ってるのを知ったときにああ残念と思った作品の1つなんです。ずっと前に一度代役だったことがあって・・・といっても正式な代役というのではなかったので、振付は覚えたけど、きちんと稽古をしたわけではなくって。踊りたかったということ、また私のリハビリとのタイミングからの選択でもあるの。リハビリはだいたい10ヶ月から1年続くもので、私の膝の手術は昨年9月。その外科医から今シーズンの後半5月以降に踊ることにゴー・サインが出たのです。つまり「モーリス・ベジャール」あるいは『シーニュ』かどちらか。『シーニュ』は公演時間も長く、それにカロリーヌ・カールソンがすでにダンサーを選んでいるので、私は誰かの配役日を奪うことはしたくなかった。ベジャールのほうは公演回数も多く、そういうことにもならない。また『ボレロ』だったら自分のリズムで仕事をできるということもあって、パーフェクトだった。『ボレロ』は大勢の異なるタイプ、異なる年齢のダンサーによって踊られていて、各人各様のボレロがあるし。これに決めたのはジョゼが来る前のことで、バレエ・ミストレスのサブリナ・マレムと総裁アレクサンダー・ネフにアデュー作品は『ボレロ』で、と伝えたんです。ドロテ(・ジルべール)、ジェルマン(・ルーヴェ)、ユーゴ(・マルシャン)といった今回初めて踊るダンサーたちと一緒にローザンヌに稽古に行きました。
Q::仕事を再開したのはいつ頃でしたか。
© Photo Opéra national de Paris
A:1月にクラスレッスンを再開。でも2週間したところで膝が腫れあがってまた歩けなくなってしまって。半月板の端っこが出っ張っていて、2〜3月は上手くいかなかった。薬の注入、穿刺・・・750mlの液体を抜き取ったのよ。ワインボトル1本分相当ね。これでだいぶ良くなったので、3月にクラスレッスンとリハーサルを同時に開始しました。1か月後にまた様子をみて、4月15日にまた薬の注入をして・・・。再開後、大きく下降し、再び最初から出直して、と、こんな感じにまっすぐには前進できなかった。たとえ各人各様のボレロがあるといっても、良く踊られなければ! 2月半ばにあったガラ「パトリック・デュポンへのオマージュ」の際にニコラ・ル・リッシュと話す機会があったんです。彼もアデュー公演で『ボレロ』を踊っていて、それで私の願いやレヴェルのキープについての不安などを彼にいろいろと。彼によって安心させられ、プッシュされました。この作品はとりわけ右膝の仕事が多いのだけど、たとえ怪我をしてないダンサーにとっても挑戦となる作品なのだから自分のボレロを発すればいいのだって。他の近しい人たちからも、たとえパフォーマンスが信じられないほど素晴らしい!とならなくても、表現の方法なのだから君の物語、君のボレロを踊ればいいのだ、って・・・。
Q:夢の『ボレロ』を思いがけず踊れる機会が得られて、幸運だと思いますか。
「ボレロ」のリハーサル
photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris
A:そう・・・でも、リハビリが順調に進まない時期があって、その終わりがずれたときに、さすがに2022〜23年のシーズン中になんとしてもアデュー再公演は行いたい、と願いました。
Q:この作品の表現において、センシュアリティがよく語られますが。
A:そう、私もどちらかというとそこにアクセントを置きます。実際に作品に感じることだし、音楽からのインスピレーションもあるし・・・。もちろん周囲にいる男性が立ち上がって、といった要素も大きいです。一度ステージリハーサルをして男性ダンサーたちと踊りました。彼らの振付は私とは同じではないので、あれ? と最初いささか混乱してしまったけれど、最高ですね。彼らからの視線も支えとなります。スタジオで一人で稽古し、舞台で一人で稽古し、そして突然幕が開く! 観客に再会。オペラ・バスチーユは会場が広く観客席も多いので、すごく心に響くことになるでしょう。
Q:今回の公演では『ボレロ』を7名のダンサーが踊ります。そのうち誰かの舞台を見ましたか。
A:マチアス(・エイマン)のリハーサルとオードリック(・ブザール)の舞台を見ました。彼の『ボレロ』に感動したけど、さて、今度は自分が踊るのだというのを想像してすごい不安を感じてしまいました。16分は円卓で踊る身には決して短くないけれど、観客としてみると、え、もう終わりなの?と。あと5分くらい続いて欲しいと思った。このように観客からするとあっと言う間に終わるので、私、踊りに集中して喜びを見出し、この時間をエンジョイしたいわ。
Q:耐久力を要する作品です。その仕事はどのようにしていますか。
A:まずはリハビリがありますね。私、あまり呼吸がうまくできないので、それを学び直しているところなの。私のキネジセラピストが気がついたことなのだけど、私は吸う量と吐く量のバランスが悪く、窒息状態に陥ってしまう。体調が優れてる時はこれ、問題ないのだけど・・・。
Q:膝の怪我の後でも、この作品を踊るのに技術的な問題はないのですか。
A:あいにくと片側しかジャンプができません。クロード・ベッシー、プリセスカヤのヴァージョンはジャンプが片側だけなのでこのヴァージョンを選び、ベジャール・バレエの承認を得ました。
Q:アデュー公演の途中で主役が怪我で降板というのは観客には衝撃でした。
「ジゼル」photo Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris
A:あまりにも劇的で起きたことが私は信じられなくって、口をあんぐり、という感じでした。あまりにも非現実的!その瞬間に、あ、これはだめだ!とすぐにわかったの。膝蓋骨が出たり入ったりしたので・・・。舞台裏に引っ込んだところでオーレリー(・デュポン、当時の芸術監督)からステージの続きを試してみる?と聞かれて、ポワントしてみようとしたけどできなくって。思いもかけなかったことで、まったく信じられなく、非現実そのものでした。首が固まってしまったか、ときどきちょっとした故障があっても、こんな大事ではなかったので驚くこともなかった。それに、こうしたことは疲れている、気分がネガティブ、気がかりなことがあるというように何かしら理由があるもの。でもこのアデュー公演は、オペラ座を去ることに対する気持ちの準備もできていて、マチューと踊る夢も叶ったし、その日までマチューと4回公演があってとても幸せだったし、ストレスもさほどなくってすべて順調だったのに・・・。思いもしないところで雷に打たれた、という感じ。
Q:オーレリーとアレクサンダーから、すぐにアデュー再公演が提案されたのですか。
A:いいえ。まずは舞台裏に引っ込んだところで、先に話したようにいステージに戻るか云々のやりとりがあって。その間は私は彼らに両方を支えられている状態でした。キネジセラピストにテービングをしてもらうため楽屋に上がるエレベーターを待っていたときに、私、独り言で「ああ、こんな終わり方になるなんて!!精神療法10年が必要だわ」ってこれは自分に呟いたことでアレクサンダーが耳にしたとは思わなかったのだけど、衣装をつけなおしたところで彼から提案があったのです。彼に聞こえていたんでしょうね。
Q:アデュー公演のやり直しということはオペラ座では前例のないことですね。
A:彼から、これはあなたのキャリアの終わりかたにふさわしくないから、来シーズンにゲストとして・・・というように言われたの。それで「ああ素晴らしい! 観客にアナウンスしましょう!」となったのです。不思議なことに、その1週間くらい前に私はチュチュを着てマイクを持って舞台に立ってる姿の夢を見たんです。この晩、オーレリーはマイクを持ちたくないといったので、私が自分でマイクを持ってアナウンスしました。アデュー公演なのだから観客に言葉をかけたい、と以前から思っていたのだけど、それを自分から言う勇気はなかったの。で、アレクサンダーがマイクと言った瞬間にその夢を思い出して。それで、私が観客に話します!って。驚きでしょ。
「ジゼル」photo Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris
「ジゼル」photo Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris
Q:初役で踊った『ジゼル』の体験を語ってください。
A:これはすべてが夢のようで、最高でした。モニク・ルディエールと仕事をし、オーレリーも少し見てくれて・・・。私はこの作品に取り憑かれていて・・・というのも子供時代に名前は覚えてないのだけれど、ロシアのダンサーが踊った『ジゼル』のビデオカセットを擦り切れるまで何百万回も繰り返して見てたの。あの狂気のシーン、第二幕のバレエ・ブランで涙が頬を伝って・・・。10歳ぐらいでしたね、自宅のリビングルームで自分でそのシーンを何度も真似し、ミルタを真似て木のヘラを持ってみたりと。バリシニコフとシンシア・ハーヴェイの『ドン・キホーテ』のビデオ、イヴェット・ショーヴィレのビデオも繰り返して見てました。入団したシーズンには、二組が『ジゼル』を踊る公演があったの。何のオマージュだったか・・・(注:1998年2月10日ガラ「イヴェット・ショーヴィレへのオマージュ」)、最初がエリザベット・モーランとマニュエル・ルグリ、二組目がモニク・ルディエールとローラン・イレールで、もう衝撃そのもの! このとき、私はモーランが投げ捨てたマルグリットの花を拾いにいって、ずっと大切にしていました。彼女の引退公演のときに、彼女に贈りました。
「ジゼル」photo Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris
Q:それまでにジゼル役を踊る機会はなかったのですね。
A:収穫のパ・ド・ドゥも二人のウィリも踊ったけど、ソリストになってオーレリーからもミルピエからもジゼル役を提案されたことがなかった。ミルタは2回踊る機会があったけれど、2回とも怪我をしてしまって、ステージで踊ってないの・・・これって何かあるのかしら??? とにかく私はジゼル役を踊るという夢のとりこになっていて・・・。アデュー公演として最初私がオーレリーに言ったのは、マッツ・エクの『ジゼル』でした。でも2021〜22年には私も『Another Place』を踊ることになったマッツ・エクのトリプル・ビルがすでにプログラムされてたので、それは無理だということで・・:。では『ル・パルク』は?とオーレリーから言われて、私は新しいことがしたかったので100パーセント納得したわけじゃなかったけれど、では『ル・パルク』でと。ところがその後、オーレリーからストなどの事情から『ル・パルク』を1シーズン早めることにしたと言われて・・・。何にするか決めるにあたって彼女から、小規模なオーケストラで、2〜3週間公演が続くバレエで、オペラ・ガルニエでという条件が出され、そこで私は思い切って''クラシックの『ジゼル』!'' とオーレリーに言ったの。というのも、それまで私がジゼルを踊りたいと言うたびに、''君はジゼルじゃない、ミルタだよ'' って返事だったので。それで・・、オーレリーも驚いたけど、承諾してくれました。誰と?と彼女から聞かれたので、間髪入れずに ''マチュー・ガニオ!'' って返事しました。リハーサルもうまくいき、公演も彼とストーリーを生きることができて幸せでした。
「Another Place」Photo Ann Ray/ Opéra national de Paris
『ル・パルク』 photo Yannick Kellerman/ Opéra national de Paris
Q:アデューの公演はパートナーの希望ができるのですね。
A:はい。もちろん本人の了解をとりますよ。アデュー公演ではパートナーだけでなく、すべての配役を希望できます。もっとも7月13日の公演のヒラリオン役がアレクサンドル(・ガス/パートナー)だったのは、私は強いることはしたくなかったので彼を希望しなかったけれど、オーレリーの配慮から。今回私が「モーリス・ベジャール」で『ボレロ』を踊るとき、彼は『火の鳥』を踊る予定だったのだけど、あいにくと怪我で降板することになってしまって・・・。もっともストレスが半分になるので、これはこれでいいわ。
Q:『ジゼル』の1幕目は本当に10代のフレッシュな恋する女の子で、まさに恋する乙女という瞳でしたね。
A:それは当然でしょ、マチュー・ガニオが目の前にいるのだから!(笑)。役作りについてはモニクがすごく助けれてくれました。とりわけ姿勢ですね。私は背中をそらす傾向があるので、彼女から上体を傾げるようしましょうと・・・。もっとも、若々しさという面は自分の可能性が私にはわかってました。『リーズの結婚』以外にそれを見せる機会はなかっただけ。2018年7月にこれが踊られることになった時にオペラ座に来たこのバレエの権利所有者が私を見て「あ、リーズは彼女だ!」って。私は自分のこととは思わなかったので、誰かしらって周りを見回してしまいました(笑)。確かに私にはちょっとひょうきんなところがある。だから若い娘という点はこわくなかった。気をつけるべきは、あまり幼稚になりすぎないこと。モニクと一緒に、私の子供っぽい面によい具合に光をあてる仕事をしました。
「Another Place」
Photo Ann Ray/ Opéra national de Paris
『オルフェとユリディーチェ』
Photo Opéra national de Paris
Q・2020年10月のプロセニアム公演「ルドルフ・ヌレエフ」中『シンデレラ』のスツールのパ・ド・ドゥも短いながらも、最初から観客を引き込む恋するシンデレラでした。
A:これはフロリアン・マニュネがパートナー! 私、ハンサムなダンサーばかりと踊ってるんですね(笑)。音楽にも多いに助けられることがあります。私がダンスをするのは、その瞬間を本当に経験していると観客が感じて作品に入ってゆかせることが好きだから。これはコンテンポラリーにもクラシックにも言えることです。私、あいにくクラシック作品はたくさん踊ってはいなけれど、シンプルでリアルで正直にみせることが大切。このプロセニアム公演は外出制限が解けたばかりで、しかも張り出しの舞台だったので難しかったけれど、フロリアンという素晴らしいパートナーのおかげで物語に入ることが簡単にできました。『シンデレラ』のこのパ・ド・ドゥ、とても気に入りました。全幕で踊れなかったのが残念です。2019年の12月に公演があった時、私は妊娠中。でも踊ることになっていて稽古を始めたのだけどパートナーがフランソワ(・アリュ)で、彼が全然稽古に来ない。そんなこともあって公演は断念しました。私の代わりにシルヴィア(・サンマルタン)が踊ることになって、これはうれしかった。義母とのやりとりや、チャプリンのシーンとか、もし踊っていたら、これもまたすごく喜びが得られた作品となったでしょうね。
「シンデレラ」Photo Svetlana Loboff / Opéra national de Paris
Q:怪我の後、今に至るまで、子供との時間をエンジョイしたと想像します。
A:もちろん。彼はもうママは仕事をしないのだって思ってたので、リハビリに加えて稽古がある今の時期、彼は ''ええ、どうして!" と不満気なのよ。手術後しばらく私走ることができず、だから、3歳の元気な男の子と一緒に通りを渡るといったことはかなりな運動でしたね。でもこうしたことを除けば、子供とたっぷりと時間が過ごせ、彼も喜んでいて・・・。
Q:2月に開催されたガラ『パトリック・デュポンへのオマージュ』のデフィレでは、引退ダンサーの一人として舞台に上がりましたね。
A:これは私が選んだことなのです。オペラ座からはチュチュを着てエトワールとしてデフィレに出るか、あるいは引退ダンサーかというチョイスをもらったの。チュチュでというのは私の場ではないと感じ、引退ダンサーとして舞台に上がることを選びました。これは膝が腫れていた時期で、ヒールで舞台を歩くのが怖かったんですよ。
Q:『ジゼル』ではあなたが怪我で退場した後、代役のブルーエン・バティストーニが引き継いでこの日の公演を終えました。あなたもこのような代役経験ありますか。
A:ソリストとしてはないけれど、コール・ド・バレエ時代は代役で踊ることが多数ありました。30分とか1時間前とかに、誰それが怪我をしたから代わり踊って!というように。おかげで私はたくさんのステージを経験できました。上手に、素早くできる代役という評判が私にはできていて・・・。私なら間違いなく踊れるとわかっていて、私が代役で出ればすべてがうまくゆくという感じに。だから本当に多数代役を務めました。
「シンデレラ」Photo Svetlana Loboff / Opéra national de Paris
Q:良い思い出のある作品をあげてください。
A:それは踊ったほどんどすべての作品だから、逆をあげるほうが・・・といっても、それも考えるわね。たとえ振付家と意見があわなくても、いつだって踊る喜びを見いだせていた。あえて言えば、大きな喜びと感動を得られたのは『ジゼル』、そしてすべてのキリアンの作品、すべてのピナ・バウシュの作品、そして『ドン・キホーテ』です。
Q:来シーズン、ピナもキリアンも『ドン・キホーテ』もありますが。
A:ああ、もういいです。ページをめくりたい(笑)。新しいことを経験したいから。
Q:引退後のプロジェクトがありましたね。それは『ボレロ』後まで延期ですか。
A:このプロジェクトは進めています。それは引退したダンサーたちによる公演というプロジェクトです。キリアンのネザーランド・ダンス・シアターIII のように。パリ・オペラ座のすごいことは、エトワールであってもなくても素晴らしいダンサーがたくさんいること。それが引退年齢でストップされる、というのは残念に思うのです。42歳以降のダンサーによる芸術的な成熟を見せられる公演を考えています。ダンスというのは肉体的パフォーマンスに限らない。だから年に1回、昔のダンサーたちを集めて公演を催すのは悪くないと思うの。カンパニーを創るというのではなく単発のプロジェクトとして考えています。こうしたダンサーたち向けのレパートリーを選び、また彼らのための創作があってもいいし・・・。シリル・アタナソフを例にとりましょう。彼がステージに上がれば踊らなくても、歩くだけでも誰もが拍手を惜しみません。彼の立ち居、その存在・・・これが私のプロジェクトの一種の代表例です。彼に作品をクリエートするとしましょう。彼は椅子に座り、立つ・・・それだけでも信じられないものを見ることができるでしょう。ニコラ・ル・リッシュ、マリ=アニエス・ジロ、ステファン・ビュリオン、ヴァンサン・コルディエ、キャロリーヌ・ヴァンス・・・それにミリアム(・ウルド=ブラーム)とか未来の引退ダンサーたちも。各人それぞれパーソナリティーがあります。目的はダンサーに残っている芸術的な面を見せること、芸術的成熟とは何か?というのを見せること。私はこれに興味があるの。また時間的に余裕のある引退したダンサーたちと小さなグループを作って、教育的なプログラムを催すことも考えています。私たちの仕事を語り、参加者と意見交換をして・・・。現役時代はなかなかできないことなので。まだディテールまでは至っていないけれど・・・面白いもので肉体的に歩けないと、頭も麻痺してるような感じで前進しないんですね。それでプロジェクトの進行は少し遅れています。
Q:多くの音楽関係者の友人たちとも何かプロジェクトがあるのでしょうか。
A:はい、彼らだけでなくアーチストや俳優たちとの間に出会いを作りたいと思っています。それにデジタル・コンテンツのクリエートも考えていて・・・。キャリアを終えたアーチストたち、年齢を重ねた人をクローズアップすると、感動が透けて見えて美しい映像ができあがるはずです。
「Body and Soul」Photo Yonathan Kellerman/ Opéra national de Paris
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