パリ・オペラ座ダンサー・インタビュー:ニコラ・ディ・ヴィコ

ワールドレポート/パリ

大村 真理子(在パリ・フリーエディター) Text by Mariko OMURA

Nicola di Vico ニコラ・ディ・ヴィコ(コリフェ)

2月末から3月初めにかけてパリ・オペラ座は『ジゼル』で韓国ツアーを行った。その時、オーバーヌ・フィルベールとペザントのパ・ド・ドゥを2回踊ったニコラ・ディ・ヴィコ。2021年に入団した彼は2シーズン目の今、コリフェとしてなかなか良い配役に恵まれている。クラシック・バレエの優れたテクニックと弾けるエネルギー、そしてスラリとした肢体の持ち主だ。この夏、東京・名古屋・大阪で開催される『ル・グラン・ガラ 2023』で初来日する。すでに演目が発表されていて、彼は『ドン・キホーテ』と『パリの炎』を踊るそうだ。パートナーは入団以来順調に昇級を遂げている日仏ハーフのクララ・ムーセーニュ。パリ・オペラ座の期待の新星たちのステージを楽しみにしよう。

2021年11月4日に行われたパリ・オペラ座バレエ団コール・ド・バレエの昇級コンクールで、コリフェ3席をめぐって18名のカドリーユが奮闘した。その年度に入団したニコラは2位で昇級を決め、2022年からコリフェとして舞台に立っている。コンクールを見た者には驚きのない結果だったが、正式入団したばかりの彼の名前に「ニコラって誰?」という謎がパリのバレエ・ファンの間にはあった。通常、入団後は6ヶ月の見習い期間がありコンクールに初参加するのは第二年目から。しかし彼は2018年から契約団員として舞台にたっていたので、見習い期間がなく、入団してすぐのコンクールに参加ができたのだ。その名前から察せられるように、イタリア人である。このインタビューにもイタリア人らしく、両手を表情豊かに大きく動かしながら答えてくれた。

Q:パリ暮らしはいつからですか。

A:2018年、パリ・オペラ座で期限付き契約を得たときからです。

Q:正式入団は2021年です。パリ・オペラ座で踊りたいという強い意志があったのですね。

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Photo Frederica Capo

A:これは小さいときからの僕の夢でした。パリ・オペラ座は僕にとって世界で最も素晴らしいカンパニー。だからそこで踊りたいと願っていたのです。僕はヌレエフの作品が大好きなので、そのレパートリーは魅力があり、それにマチュー・ガニオやマチアス・エイマンたちの踊りが好きで、彼らのビデオを何度も見ていて・・・それで夢となったのです。彼らに実際に会って、どのようにトレーニングをしてるのかを見たいという気持ちもありました。

Q:2018年にパリに来る以前は、どこか他のカンパニーで踊っていたのですか。

A:いいえ。その年にローマ歌劇場のバレエ学校の卒業証書を得て、その後すぐにパリ・オペラ座のオーディションを受けたんです。そして1年の期間限定契約をもらったんです。2019年の契約の後はコロナ禍もあって契約がなく、2021年6月の『ロメオとジュリエット』の公演のためにオペラ座から声がかかりました。そして、その直後の外部入団試験を受けて入団しました。

Q:入団が決まった時、どんな気持ちでしたか。

A:このカンパニーに入りたいという強い気持ちがあっても、オペラ座バレエ団の学校を出ていない僕にはすごく難しいことだってわかってました。だから試験に受かるとは、全然期待してなかったんですよ。すごく嬉しかった。両親もすごく喜んでくれました。彼らはいつも僕を支えてくれていて・・・。もちろんフレンチ・スタイルについて学ぶ必要がありました。ここではフレンチ・テクニックを強化するためのレッスンがあるので、それを受け、さらに個人レッスンもオペラ座の教師や外部教師から受けました。

Q:期間限定契約期間中、ステージで踊る機会はあったのですか。

A:この時期は基本的に代役です。でも公演のたびに誰かしらが怪我をするので、代役としてステージに立つことができました。だから多数のクラシック作品を踊りました。

Q:クラシック作品以外にも、クリスタル・パイトの『The Seasons' Canon』も踊っていますね。

A:はい。期限つき契約の時だったけれど、これには最初から配役されたんです。それプラス、他のパートの代役でもありました。2019年6月末から7月頭のアジアツアーに参加して、さらに昨年9月のエクサン・プロヴァンスでの公演でもこれは踊っています。上海とシンガポールのアジアン・ツアーで初めて踊った時、ヴィヴァルディの音楽にのせて踊ることに陶然としてしまって・・・。これはクラシック作品ではないけれど、このスタイルは好きですね。他のダンサーと一丸となって踊ります。周囲のダンサーたちのエネルギーに囲まれ、素晴らしい体験をもたらしてくれる作品なんです。もちろんクラシック作品のコール・ド・バレエでもこうしたグループのエネルギーを感じることができます。コール・ド・バレエというのは全員一緒にシンクロナイズして、という仕事。この段階は必ず通過しなければならず、その後より重要な役につくときに向けて成長してゆく期間ですね。

Q:2021年に入団して初めてのデフィレ体験はどんな気持ちでしたか。

A:実は入団前、2018年に臨時団員だったけれどデフィレを初体験してるんですよ。これは信じられないような瞬間でした。感動で胸が一杯! 初めてオペラ・ガルニエの舞台にたったのが、このデフィレだったのです。音楽、観客席・・・驚くべきことばかりだった。

Q:2021年に入団して、すぐに行われたコンクールでギヨーム・ディオップ、イザック・ロペス=ゴメズと3人でカドリーユからコリフェに上がりました。

A:はい。これも全く期待していなかったことなんです。長いことカンパニーに在籍しているカドリーユも大勢いるのだし、って。でも、これ以上ないというほど自分のできる限りの力を出して踊ることに努め、その結果昇級できました。このシーズンは『赤と黒』にも配役されていて、この公演はコンクールの前であり、コンクールの最中でもあり、コンクールの後でもあって・・・とても大変な時期でした。公演は夜遅くに終了。翌日の朝はコンクールの稽古のため7時30分にスタジオに入って・・・というように大変な時期でした。ですが、これが僕たちの日常なんですね。

Q:コンクールの課題曲は『白鳥の湖』第一幕のパ・ド・トロワのヴァリアション。自由曲にも『白鳥の湖』の三幕のヴァリアションを選んでいます。この作品への拘りがあるのですか。

A:いつか踊れたら、って願っているのが『白鳥の湖』なんです。このヴァリアションには、僕の内面に訴えてくるものがとても大きくて・・・。それに初めての外部入団試験のときの課題が『白鳥の湖』でした。コンクールでこれを選んだのは好きということもあるし、この主役をいつか踊りたいと願う作品だからなんです。

Q:このコンクールの後は、すぐにオペラ・ガルニエの公演『ロシアの宵 アシュトン/エイヤル/ニジンスキー』で、フレデリック・アシュトンの『ラプソディー』に配役されていましたね。

A:僕はセカンド・キャストだったのだけど、ある晩、ファースト・キャストのダンサーが作品の真っ最中に怪我をして、僕が公演を途中から続けることになって。その後の公演は、彼に変わって僕がファースト・キャストで踊りました。

Q:その晩はファースト・キャストが踊る舞台袖で待機していたのですね。そういう時は体のウォーミングアップをしておくのですか。途中から舞台を続けるというのは精神的にも厳しいでしょう。

A:はい。でもノーチョイスです。この晩僕はその前にマッサージを受けていて、筋肉が弛緩してる状態でした。「それが突然舞台へ!」となって・・・こういう状況では、自分の最大を出すことに専念するしかありません。

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「ラプソディ」Photo Yonathan Kellerman/ Opéra national de Paris (右端)

Q:『ラプソディ』は出演ダンサーが少ないので、観客に存在をアピールできる作品だったと思います。

A:確かに。大勢のコール・ド・バレエの中の一人というのはなく、僕が踊るときもステージ上には確か6名だったか。だから、観客はダンサーの一人一人を認識できる作品だった。しかも上演中、ステージでずっと踊り続けるし。それまでの仕事に比べて、これは僕のキャリアにおいて重要な作品といえますね。毎晩踊り終わって、すごく満足していました。『ラプソディー』の後は『ラ・バヤデール』に配役され、ここでは男性2名のソリストの一人でした。

Q:『白鳥の湖』のプリンス役の他にはオペラ座のレパートリー中のどの役を踊りたいですか。

A:例えば『ロメオとジュリエット』のロメオ。とにかくヌレエフ作品には心を惹かれているのです。それから『ジゼル』のアルブレヒト役です。

Q:『ジゼル』は韓国ツアーでペザントのパ・ド・ドゥを踊る機会があったのですね。

A:はい。最初は代役だったのだけどツアーに出る2週間前に配役されていたダンサーが怪我をしたので、僕が踊ることは出発前からわかっていました。だから肉体的にも心理的にも準備する時間がとれたんです。これは僕にとって初の本当のドゥミ・ソリスト役です。これは最高でした。男性ダンサーにとってカーディオの面でとてもハードなパ・ド・ドゥだけど、自分の持つすべてをこめて踊りました。観客が気に入にいってくれたという手応えが得られて、嬉しかった。彼らが満足し、僕も満足して・・・こうした喜びがありました。入団してから最も弾けたのが、このパ・ド・ドゥを踊ったステージ。来シーズン、オペラ・ガルニエで公演がプログラムされているので、再び配役されたら、って願っています。

Q:この韓国のツアー中にギヨーム・ディオップが任命されました。任命の瞬間にたちあったのはこれが初めてですか。

A:いいえ、過去にもあります。2021年6月に『ロメオとジュリエット』でセ・ウン・パク、そしてその年の12月に『ラ・バヤデール』でフランソワ・アリュの任命がありました。韓国の『ジゼル』では、第二幕は女性ダンサーだけなので僕たちは舞台裏にいたんですね。任命に際して、みんなでステージに出て行きました。毎回とても感動的で、鳥肌がたちます。僕もいつの日かエトワールになれたら!と願いますけど、それはとても難しいことだとわかっています。

Q:パリ・オペラ座のエトワールになるというのは、子供のときからの夢ですか。

A:何よりもまずはパリ・オペラ座のダンサーになるのが夢。そしてその後、徐々に進歩してゆくのだ、と考えていたので、入団できてとても満足でした。そしてコンクールがあって、昨年の二度目のコンクールのときに、僕はどこに向かってるのかということについて考えたんです。今はエトワールになることがぼくの目標となっています。昨年11月のコリフェからスジェへのコンクールでは、ギヨーム・ディオップとそしてアントニオ・コンフォルティが2枠を得て、あいにくと僕は・・・。でもコリフェの中には長いことスジェに上がるのを待ってる人がたくさんいるのだからって、自分に言い聞かせて。

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Photo Frederica Capo

Q:まだ自分は若い!と思うことにしましたか。

A:はい。でも時の流れはとても速いので、次のコンクールでは!と願っています。

Q:ジョゼ・マルティネーズ芸術監督の就任以来、カンパニーに何か変化が感じられましたか。

A:前芸術監督と彼は別の人間です。パリ・オペラ座についてのビジョンはそれぞれ異なります。だから違いがあるのは当然ですね。ジョゼはプログラムにクラシック作品をプラスしています。それが僕たちにもカンパニーにいいと思ったからですね。また彼は他の面、例えば、僕たちが何か問題を抱えたときには彼に相談できるアクセスを簡単にしてくれています。

Q:イタリアでは、どのようにダンスを始めたのでしょうか。

A:僕が生まれたのはナポリから遠くない中都市のマダローニです。両親とも毎日働いていたので、小さな時から僕は朝から夕方までシスターの元に預けられていたんです。歩けるようになる前からのことで、そこで生まれたといってもいいくらい。友だちとグループになって踊って遊んで・・・彼らがダンスを習い始めたときに、僕も!と母にお願いしました。でもその時期は同時にバスケットもやっていたんです。でも、僕がボールを手にして踊ってるので、ある時コーチから「ダンスはやめなさい!」と(笑)。でも僕はダンスを習いたかったので、ボールをコーチの手に渡して、「僕はダンスの方へゆきます」って。こうしてダンスを始めました。でも、クラシックではなくコンテンポラリー・ダンスやモダン・ダンスでした。7〜8歳の頃ですね。でもこの学校には男の子は僕だけで、他の男子と一緒に学びたかったので、同じ市内だけど学校を変えたんです。その時先生にいわれました。「大切だから、クラシックを学びなさい」と。なぜか僕は頭の中でクラシックは好きじゃないって思っていました。気にいるかどうか1日試してみましょうと先生にいわれて・・・。そうして試した1日があり、その日以来、クラシック・ダンスを今に至るまで踊り続けてるんです。

Q:クラシック・ダンスの何が気に入ったのでしょうか。

A:好きじゃないって思ってたけどその反対で、音楽もムーヴメントもとても気に入った。それでプライベートのダンススクールで習い始めて。1年の最後の試験にルチアーノ・カニートというかつてのダンサーが見に来ていたんですね。試験の最中に僕を撮影していて、そのビデオをローマ歌劇場のバレエ学校長に彼が送りました。彼が主に注目したのは僕のソー。その時に僕は自分がとても高く跳ぶということを知ったんです。ビデオを見た学校長のプライベートオーディションのために、彼がビデオを送った数日後、ローマに赴きました。でも、採用されませんでした。というのも正式なオーディションはすでに終わっていて、彼女は生徒をそれ以上増やすつもりがなかったんですね。「もう1年今の学校で続けて、次のオーディションの時期に来なさい」と言われました。

Q:それはがっかりでしたね。

A:そうなんです。でも、そのおかげで、''あの学校に僕は行きたいのだから、もっともっと仕事をしなくては!''って思うことができたんです。小さいときにテレビでミラノのスカラ座バレエ学校のドキュメンタリーを見ていて、1日何時間もレッスンをすることはわかってました。僕はこれがしたいんだと言ったら、母は「簡単じゃないのよ。とても厳しいのよ、それに実家から遠く離れることなるし」と。「わかってる、でも、これが僕のしたいことなんだ!!」って。僕はすごくママっ子なんだけど、ダンスはそれ以上に強いことでした。その一年後、ローマの学校に入学しました。オペラ座は6年だけどローマの学校は8年の学校です。ナンテールのオペラ座の学校は一番下が第6年だけど、ローマでは一番年下のクラスは1学年と呼び方が異なります。通常、第3学年からのところ、僕は第4学年に入り、第8年までの4年間学びました。

Q:ローマでの学校時代は順調でしたか。

A:ローマに行った最初の年はママっ子の僕には大変でした。それに寮がなかったので、ある生徒の家にもう一人の生徒と一緒に暮らしてたのだけど、僕たちの食事を用意してくれる二人はしょっちゅう喧嘩をしていて・・・ある時学校から戻ったところ男性が女性を殺さんばかり勢いでもめていたんです。そんなことから最初の半年でそこを去り、残り半年はアパートで一人暮らし。まだ12歳のときのことです。この時に料理、洗濯を学んで・・・学校の授業もあったけれど、なんとかなっていましたよ。マダローニからローマはそれほど遠くなく、車で1時間30分から2時間でしょうか。だから毎週末、両親がローマに来てくれていたので、孤独を感じることはなかった。

Q:卒業まで一人暮らしを続けたのでしょうか。

A:いえ、2年目は両親がローマに越してきたんです。というのも、この僕の体験から、父はローマ歌劇場バレエ学校の寮をつくることにしたんですね。料理や掃除の人を雇って・・・今もその寮を経営してますよ。このバレエ学校は劇場でもレッスンが行われるのだけど、劇場は学校から少し距離があります。それで父は生徒たちを車で劇場に送り届けることもしていて、生徒たちを自分の息子のように思っているんです。パリ・オペラ座のナンテールの寮は金曜の夜から週末は閉館してるけど、父のところは週末にも生徒がいるので仕事は大変です。

Q:ローマでの学校時代は優秀な生徒として、学校公演にも参加していたと想像します。

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Photo Frederica Capo

A:2018年に最優秀生徒の賞をもらいました。その年の学校公演では『くるみ割り人形』で、僕は主役のプリンスを踊りました。その前には『コッペリア』でソリストの一人、『ライモンダ』はコール・ド・バレエ・・・。パリ・オペラ座に来る前には、ローマ歌劇場バレエ団のジュリアノ・ペパリーニ版『ロメオとジュリエット』などに出演もしています。『ロメオとジュリエット』に出た時に、僕の学校の教師が「彼、オペラ座の臨時団員に採用されました」と、芸術監督のエレオノーラ・アヴァニャートに紹介してくれて。彼女、僕のために喜んでくれました。

Q:オペラ座への憧れがあったで、ローマ歌劇場バレエ団に入ることは考えなかったのですね。

A:2000年生まれの僕は第8学年を終えたとき、まだ17歳。学校から、よりテクニックを鍛錬すべくもう1年学ぶことを提案されました。すでに学校時代にステージ経験もあったのだけど、イタリアでは18歳未満だと、どこのバレエ団のオーディションも受けられないのです。実はそういうこともあって、パリ・オペラ座の外部入団試験を受けたわけなのですね。ロンドンかアムステルダムで学ぶことを考えていたけれど、パリ・オペラ座で1年契約を得られたのでこちらを選びました。

Q:今のパリ・オペラ座にはイタリア人ダンサーが多いようですが、イタリア人ダンサー同士で一緒に時間をすごすことは多いですか。

A:はい、みんなとても仲良しなんですよ。僕はとりわけアンドレア・サーリとよく話しますけど、彼以外にもイタリア人のダンサーを交えてオペラ座の外で一緒に時間をすごすこともあります。今、契約ダンサーの中にはイタリア人がとっても多いんです。母国語のイタリア語で話しますから、すごくリラックスできますね。フランス語も好きですけど・・実はイタリアにいた時にフランス語を学んでるのです。でもパリに引っ越してきた当初はあまり上手く話せなかった。カンパニーにイタリア人がいてくれたおかげで、すごく助けられました。シンガポール、上海にツアーに参加した時につっかえが取れて、フランス語が楽に話せるようになったんです。

Q:アレッシオ・カルボーネ率いるグループ「パリ・オペラ座のイタリア人」のメンバーですか。

A:はい。4月15〜16日にもパリ近郊のシュレーヌ市でガラがあります。ブルーエン(・バティイストーニ)と『眠れる森の美女』を踊ります。こうした外部のガラではブルーエンだけでなくいろいろなダンサーと踊っています。例えばクララ・ムーセーニュとか・・・。

Q:この夏日本で開催される『ル・グラン・ガラ』でも、彼女と『パリの炎』『ドン・キホーテ』を踊るのですね。

A:はい。『ドン・キホーテ』は一度過去に一緒に踊っています。良いエネルギーが生まれて、彼女とはとても快適に踊れるんですよ。この作品はすごく技巧を要求されますね。『パリの炎』は僕はまだ一度も踊ったことがないので、今、オペラ座の公演のリハーサルの合間を縫って、稽古しているところなんです。高いソーが僕のクオリティであることを日本の観客の前でしっかりとお見せしたいし、また表現の面でもきちんと仕事をしてゆきたいと思っています。日本に行くのは初めてだけど、みんなが話すのは良いことばかりなので安心して行けます。スケジュールがわからないので、何が日本でできるか・・・。

Q:オペラ座では次にどの作品に配されていますか。

A:ウエイン・マクレガーの『ダンテ・プロジェクト』です。これはコンテンポラリー寄りの作品ですね。僕は重要な役のセカンド・キャストなんです。プルミエ・キャストはジャック・ガツォットで、作品を通してずっとステージの上にいる役なんです。マクレガーの振付ではクラシックでは真っ直ぐにしている背中をリリースします。こうしたコンテンポラリー作品は僕には初めてのこと。ハードだけど公演が今から待ち遠しいです。

Q:オペラ座のレパートリー入りする作品ですから、コスチュームもあなたの身体に合わせて作られるのですね。

A:そうなんです。嬉しいですね。代役のときって他の人に合わせて作られたコスチュームで踊るの時に大き過ぎたり、時にきつかったりするのだけど、『ダンテ・プロジェクト』のコスチュームは僕の身体に合わせて作られるのだから。

Q:ヌレエフ作品が好きなあなたには、来シーズン2023/24のプログラムは喜ばしいですね。

A:はい。『白鳥の湖』があることが何よりも嬉しいです。コンクールのときにすでに踊ってるけど、パ・ド・トロワを本公演のステージでぜひ踊りたい。もちろん主役ジークフリートの代役にも選ばれたいです。ヌレエフ以外にも、『ジゼル』と『リーズの結婚』もプログラムにあって・・・。先に話したように『ジゼル』では韓国のようにペイザンのパ・ド・ドゥをガルニエ宮でも踊れたって願っています。

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