追悼 ミカエル・ドゥナール(元オペラ座エトワール)が78歳で逝去 Décès du danseur Michael Denard
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三光 洋 Text by Hiroshi Sanko
パリ・オペラ座は2月17日にコミュニケを発表し、元エトワールのミカエル・ドゥナールが同日に78歳で逝去したことを伝えた。パリ・オペラ座舞踊監督のジョゼ・マルティネスは「親愛なるミカ、テルプシコラー(ギリシャ神話に登場するダンスの女神)はあなたを自分の元に置いて満足しているでしょうが、私たちはあなたがいなくなって寂しい」とインスタグラムに記し、マリ=アニエス・ジロやユゴー・マルシャンもそれぞれの想いを綴っている。
「パリ・オペラ座のプリンス」と呼ばれたドゥナールの実際の舞台を見ることができたのは2014年3月3日ビルギット・クルベリー振付『令嬢ジュリー』でヒロインの父親役として客演した時だった。ニコラ・ル・リッシュの従僕、オーレリー・デュポンのジュリーという舞台に、客演としてヒロインの父の伯爵を演じた。年齢を重ねても崩れることのなかったシルエットと気品ある姿、人物になりきった演技はいまだに記憶に残っている。
ミカエル・ドゥナール(右)
© Opéra national de Paris/ Anne Deniau
ミカエル・ドゥナールは1944年11月5日にドレスデンで生まれた。父はフランス人、母はドイツ人である。ピレネー山脈を望むタルブで最初にバレエの指導を受けたのは1961年と極端に遅かった。1963年にトゥールーズのカピトル・バレエ団のコール・ド・バレエに、次いで1964年にナンシー・バレエ団に入った。上京してソランジュ・ゴロヴィーヌの指導を受けている。1965年パリでの初舞台はロルカ・マシーヌ主宰のバレエ・オーロぺアン(Ballet européen)の公演だった。
パリ・オペラ座バレエの入団試験に通って、1966年に定員外メンバーとして入団し、1967年にコリフェ、1968年にスジェ、1969年にプルミエール・ダンスールととんとん拍子に昇級した。エトワールには1971年に任命されている。
1970年に当時53歳だったイヴェット・ショーヴィレがパリ・オペラ座バレエのロシアツアーのパートナーにドゥナールを指名した。
同じ年にモーリス・ベジャールは、従来女性ダンサーが主役を踊ってきた『火の鳥』(音楽はストラヴィンスキー)をドゥナールのために振付け、パレ・デ・スポール(パリ・スポーツパレス)で公演が行われた。ベジャールはオペラ・コミック座で『今晩サロメ王女は何と美しいのだろう』(音楽はリヒャルト・シュトラウス)をジョジアーヌ・コンソーリに踊らせた時(1970年)、コンソーリはパートナーにドゥナールを選んでいる。
振付家ピエール・ラコットも妻のギレーヌ・テスマーのパートナーにドゥナールを選び、1972年に二人のためにタリオーニ版の『ラ・シルフィード』を復活上演している。この二人は舞台上のカップルとして名を馳せたが、ドゥナールはテスマー以外にもノエラ・ポントワ、シルヴィ・ギエム、クレール・モットとも共演した。
「パリ・オペラ座の舞踊監督がレイモン・フランケッティだった時代で、テスマーとドゥナール、ジャン・ギゼリックスとウィルフィリード・ピオレ、ノエラ・ポントワとシリル・アタナソフといったカップルが活躍した時代」だったとベジャールとヌレエフの評伝を書いたアリアーヌ・ドルフュスはフランス国営通信の取材に答えている。
ドゥナールは美貌と均整の取れた肢体、破格の技術と表現力によって『ジゼル』『白鳥の湖』『眠れる森の美女』といったロマンチック・バレエの理想の王子役であっただけでなく、バランシン振付の『オルフェ』(1973年)、サン・レオン原振付ピエール・ラコット復刻『コッペリア』(1973年)、ロビンズ振付『牧神の午後』(1974年)、ローラン・プティ振付『幻想交響曲』(1975年)、グリゴーロヴィチ振付『イワン雷帝』(1976年)、同『ロメオとジュリエット』(1983年)といった作品のレパートリー入りでも活躍した。同時にアメリカン・バレエ・シアター、ボリショイ・バレエ、キーロフ・バレエといった世界の檜舞台で客演エトワールとしてたびたび舞台に立っていた。
しかし、1983年にオペラ座舞踊監督に就任したルドルフ・ヌレエフは、マニュエル・ルグリ、ローラン・イレールといった若手を前面に押し出したため、それまでのように起用されることはなくなり、1983年定年前に引退したが、舞台から遠ざかることはなかった。
1993年から1996年まではベルリン州立歌劇場バレエ団総監督を務めている。
パリ・オペラ座バレエにはジョン・ノイマイヤー振付『椿姫』のアルマン・デュヴァルの父親(2006年、2009年)、フレデリック・アシュトン振付『リーズの結婚』のシモーヌなどの客演で戻ってきている。
演劇への関心も強く、オスカー・ワイルド『理想の夫』(アドリアン・ブリーヌ演出)やゴーゴリ『狂人日記』(アラン・マーティ演出)他に出演した。またパリ国立高等舞踊・音楽院やオペラ座で教鞭を取り、後進の指導にも力を尽くした。
破格の才能を持ちながら、気取るところはなく、誰にも感じよく接し、ユーモアに溢れた魅力的な紳士だったミカエル・ドゥナールに、多くのバレエ関係者から追悼の辞が寄せられている。
参考文献
2023年2月17日付け パリ・オペラ座コミュニケ
2023年「フィガロ紙」2月17日付け アリアーヌ・バヴリエ記者
2023年2月17日付け Franceinfo(フランスアンフォのネットサイト 無署名記事)
https://www.memopera.fr/spectacle
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