ステファン・ビュリオン、ひたむきで誠実なダンサーのアデュー公演に拍手鳴り止まず!

ワールドレポート/パリ

三光 洋 Text by Hiroshi Sanko

Ballet de l'Opéra national de Paris パリ・オペラ座バレエ団

Mat Ek "Carmen" " Another place" " Boléro" Adieux de Stéphane Bullion
マッツ・エク振付「カルメン」「アナザー・プレイス」「ボレロ」
ステファン・ブリヨン アデュー公演(6月4日)

6月4日の「マッツ・エクの夕べ」でエトワールのステファン・ビュリオンが引退した。ビュリオンに続いて、アリス・ルナヴァンが7月にジゼルを踊って引退する。ここに来て、パリ・オペラ座バレエ団は世代交代の時期に入ったようで、ミリアム・ウルド=ブラーム(1982年1月生)、ドロテ・ジルベール(1983年9月生)、マチュー・ガニオ(1984年3月生)、ローラ・エケ(1984年4月生)といったエトワールたちに残された年数も限られてきている。
このトリプルビルは2019年6月に行われたものの再演だ。2016年1月にいったん活動を休止したマッツ・エク(77歳)がオーレリー・デュポン・オペラ座舞踊監督に切願されて手がけた舞台である。

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「カルメン」マリーヌ・ガニオ
© Ann Ray / Opera national de Paris

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「カルメン」マリーヌ・ガニオ、ユーゴ・マルシャン
© Ann Ray / Opera national de Paris

トリブルビルは『カルメン』で始まった。前回はエレオノーラ・アバニャートのカルメンが観客に強い印象を残した(もう一人はアマンディーヌ・アルビッソン)。今回はマリーヌ・ガニオ(ドン・ホセ役はユゴー・マルシャン、エスカミーリョ役はフロリアン・マニュネ)とレティツィア・ガローニ(ドン・ホセ役はシモン・ル・ボルニュ、エスカミーリョ役はフロラン・メラック)というスジェの若手が抜擢された。
当夜のカルメンはマリーヌ・ガニオで、若いエネルギッシュな踊りを見せてくれたが、フランス語でファム・ファタルと呼ばれる「宿命の女」らしさを感じることはできなかった。この役を初演したのはマッツ・エックの妻のアナ・ラグーナという破格のダンサーだけに、周囲にいる他の女性ダンサーたちから抜きん出た存在感が求められる。アバニャートの引退後、舞台に現れるだけでカルメンの妖艶さを放射できるダンサーはまだ出てきていない。
2019年にはエスカミーリョにふさわしいダイナミックな踊りで評価されたユゴー・マルシャンが、今回のドン・ホセだった。前回、フロリアン・マニュネが気弱で、女性に翻弄されるホセの性情をうまく演技していたのに対し、マルシャンは長身の美貌の青年という立ち姿では申し分なく、踊りも溌剌としていたものの、人物の特徴が出てこない恨みがあった。
ホセのフィアンセ M(ビゼー作品のミカエラ)は、オニール八菜がたばこ女工と兵士たちの世界とは隔絶した堅気の女性を優れたテクニックで演じ、フロリアン・マニュネもあっけらかんとした闘牛士らしい演技でエスカミーリョにふさわしかった。

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「カルメン」イダ・ヴィキコスキー、シモン・ル・ボルニュ
© Ann Ray / Opera national de Paris

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「カルメン」ユーゴ・マルシャン
© Ann Ray / Opera national de Paris

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「カルメン」フロリアン・マニュネ
© Ann Ray / Opera national de Paris

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「カルメン」 © Ann Ray / Opera national de Paris

後半は『アナザー・プレイス』でスタートした。2019年にオーレリー・デュポンとこの作品を踊ったステファン・ビュリオンがアデューの舞台に選んだ。今回の相手役はリュドミラ・パリエロだった。この作品では、マッツ・エクが2007年にミハイル・バリシニコフとアナ・ラグーナという年配のダンサーのために振付けた『プレイス』に使われたテーブル、絨毯が再度登場する。長い年月を経た夫婦の倦怠や葛藤、新たな歩み寄りが日常のありふれた所作を通じて描かれている。スタフェン・シェヤのピアノが奏でるフランツ・リストの「ピアノソナタイ短調」に支えられて、33分間の長いデュオが展開する。テープルを移動させる、男性のメガネを女性が拭く、二人が激しく言い争う、男性が舞台の端から空のオーケストラピットに飛び降りる、こうした出来事が積み重ねられ、最後に舞台奥の鋼鉄の扉が開かれて、後方にあるフォワイエ・ド・ダンスの豪奢な空間が現れるのを二人が見守るところまで、ビュリオンとパリエロの所作と表情がていねいに男女の機微を刻んでいった。

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「アナザー・プレイス」ステファン・ビュリオン
© Ann Ray / Opera national de Paris

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リュドミラ・パリエロ、ステファン・ビュリオン
© Ann Ray / Opera national de Paris

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「アナザー・プレイス」リュドミラ・パリエロ
© Ann Ray / Opera national de Paris

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「アナザー・プレイス」リュドミラ・パリエロ
© Ann Ray / Opera national de Paris

最後はラヴェルの有名な『ボレロ』がパリ・オペラ管弦楽団によって演奏される予定だったが、オーケストラに複数のコロナ感染者が出たため、録音を使っての公演となった。舞台を暗くしている間に、中央奥に浴槽が置かれた。
『ボレロ』は1928年にオペラ座でニジンスカ振付、イダ・ルビンシテイン主演の作品が発表されて以来、モーリス・ベジャールをはじめとする多くの振付家が舞台化してきた。その中にあってマッツ・エクの振付は異彩を放っている。ラヴェルの音楽に合わせて、マッツ・エクの弟であるニクラス・エクが袖と浴槽を行き来して、水を浴槽にためていき、最後に飛び込む。周囲でコール・ド・バレエのメンバーが踊り続けているが、スペインを思わせるものは一切ない、抽象的な作品である。何度見ても不可思議な雰囲気が舞台を包み込んで特異な魅力があるが、今回はオーケストラの生演奏でないことでかなり興が削がれたことは否めなかった。それでも、観客は作品が醸し出した独自の雰囲気に浸された。

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「ボレロ」© Ann Ray / Opera national de Paris

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「ボレロ」© Ann Ray / Opera national de Paris

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「ボレロ」© Ann Ray / Opera national de Paris

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「ボレロ」© Ann Ray / Opera national de Paris

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© Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

そして、22名の『ボレロ』出演のダンサーたちに促されて、ステファン・ビュリオンとリュドミラ・パリエロが舞台に再登場して、アデューが始まった。
1980年にフランス中央部のジボール市近郊で生まれたビュリオンは、1994年にクロード・ベッシーが校長を務めていたオペラ座バレエ学校に入学した。1997年にコール・ド・バレエの一員となり(同期に7月に引退するアリス・ルナヴァンがいた)、2001年にコリフェ、2003年にスジェ(AROP賞を受賞)、2008年にプルミエール・ダンスールに昇進し(同じ昇級試験でマチアス・エイマンがプルミエール・ダンスールとなった)、2010年6月2日にヌレエフ振付『ラ・バヤデール』のソロールを踊ってエトワールに任命されている。
2004年癌に罹ったものも事なきを得た以外は大きな怪我もなく、安定してダンサーとしての生活を送った。
控えめな性格からだろう。ビュリオンはパートナーのパリエロとあいさつしてから、『ボレロ』の出演者たちも呼んで、一緒に観客の拍手に応えていた。マッツ・エク振付『アナザー・プレイス』初演の共演者オーレリー・デュポン、ノイマイヤー振付『椿姫』のアニエス・ルテステュ、エレオノーラ・アバニャート、アリス・ルナヴァンらが次々に登場し、パートナーへの心配りのあったビュリオンと熱い抱擁を交わしていた。ひたむきで誠実なダンサーであるビュリオンへの拍手は鳴り止まず、普段は感情を表に出さない彼も、手で目頭を拭っていた。
ビュリオンはインタヴューで「今後のプロジェクトは一切ありません」と「ル・モンド」紙のロジータ・ボワソー記者に語っている(6月7日付)。しかし、デュポン監督から懇請され、10月から11月に上演されるケネス・マクミラン振付『マイヤリング』でルドルフ大公を踊ることが決まっている。
(2022年6月4日 ガルニエ宮)

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© Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

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© Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

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© Agathe Poupeney/ Opéra national de Paris

『カルメン』
音楽 ジョルジュ・ビゼー、ロディオン・シチェドリン(「カルメン組曲」1幕構成 1967年)
振付 マッツ・エク
振付アシスタント アナ・ラグーナ
装置・衣装 マリー=ルイーズ・エクマン
照明 ヨルゲン・ヤンソン
リハーサル担当 ラフィ・サディ
(1992年クルベリー・バレエ団によりストックホルム初演 2019年6月22日 レパートリー入り)
ジョナサン・ダーリントン指揮 パリ・オペラ座管弦楽団
配役(6月4日)
カルメン:マリーヌ・ガニオ
ドン・ホセ:ユゴー・マルシャン
エスカミーリョ:フロリアン・マニュネ
M:オニール八菜
キャプテン:アクセル・イボ
ダンカイロ:アドリアン・クーヴェーズ 他

『アナザー・プレイス』
振付 マッツ・エク
振付アシスタント アナ・ラグーナ
音楽 フランツ・リスト「ピアノソナタロ短調」
装置・衣装 ペダー・フレイ
照明 エリック・ベルグルント
ピアノ スタファン・シェヤ
(2019年6月22日 パリ・オペラ座バレエ団により世界初演)
ダンサー リュドミラ・パリエロ、ステファン・ビュリヨン

『ボレロ』
振付 マッツ・エク
振付アシスタント 青山真理子
音楽 ラヴェル「ボレロ」
衣装・装置 マリー=ルイーズ・エクマン
照明 エリック・ベルグラント
(2019年6月22日 パリ・オペラ座バレエ団により世界初演)
ダンサー アリス・カトネ、シャルリーヌ・ギーゼンダンナー、マルコ・モロー 他

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