プレルジョカージュが演出・振付けたリュリ作曲のバロックオペラ『アティス』がジュネーブで上演された

ワールドレポート/パリ

三光 洋 Text by Hiroshi Sanko

Ballet du Grand Théâtre de Genève ジュネーブ・グランテアトル・バレエ団

"Atys" Jean-Baptiste Lully/ Philippe Quinault/ Angelin Preljocaj  Première suisse
『アティス』ジャン=バティスト・リュリ作曲 フィリップ・キノー台本 アンジュラン・プレルジョカージュ振付・演出(スイス初演)

ジュネーブのグラン・テアトルでジャン=バティスト・リュリ作曲、アンジュラン・プレルジョカージュ振付・演出『アティス』のスイス初演が行われた。リュリは1632年にフィレンツェのアルノ河畔にあった粉挽き屋の息子として生まれた。14歳の時、謝肉祭に沸き立つ街頭でアルレッキーノのお芝居を演じているのを通りかかったド・ギーズ騎士に見出され、騎士の姪にイタリア語を教えるためにフランスに連れて行かれた。この姪は「グランド・マドモワゼル」と呼ばれたルイ14世の従姉妹モンパンシエ侯爵夫人だった。こうしてヴェルサイユの宮廷に入ったリュリは優れたダンサーで、1653年(21歳)には若かったルイ14世のパートナーとして『国王の夜のバレエ』(バレ・ロワイヤル・ド・ラ・ニュイ)の5役を踊っている。なおルイ14世は太陽の役を踊った。リュリはこのバレエを踊った一ヶ月後、太陽王に伺候している。
その後、1661年(29歳)にフランス国籍をもらい、音楽の師の娘と結婚し、国王付きの楽長になった。1672年(40歳)にルイ14世からパリ・オペラ座の前身である王立音楽アカデミーの総監督に任命された。見落としてはならないのは、パリ・オペラ座が音楽とダンスが一体となった歌劇を上演する組織として生まれたことで、その伝統は創立350年を経過した現在も変わっていない。リュリは毎年のように新しい歌劇を発表したが、その中で1676年に初演されたのが「国王のオペラ」と呼ばれた『アティス』だった。ルイ14世はこの曲をすっかり気に入って、宮殿の廊下を歩きながら旋律を口ずさんでいたのである。

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サンガリード(左)、アティス(右)© Gregory Batardon

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シベール女神(中央)© Gregory Batardon

『アティス』の台本は優れた劇詩人だったフィリップ・キノーが書き上げた。台本は古代ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』に基づいている。
神々たちの王妃たるシベール女神の祭司アティスは河神の娘サンガリードを愛している。しかし、サンガリードはフィリギア王セレヌスと結婚しなければならない。一方、シベール女神はアティスを密かに愛し、自分の力を使ってアティスを狂乱させる。アティスはサンガリードを刺し殺してしまい、狂気から覚めて自殺しようとするが、シベール女神によって松に変身させられる。
このオペラは初演から実に311年が過ぎた1987年にウイリアム・クリスティー指揮のアール・フロリッサン管弦楽団・合唱団、ジャン=マリー・ヴィレジエ演出、フランシーヌ・ランスロ振付によりパリのオペラ・コミック座で復活上演が行われ、センセーショナルな成功を納めた。
この公演はパリだけでなく、欧州各地やアメリカでも行われた。これがきっかけとなって、フランス・バロックオペラが世界の主要歌劇場で次々に取り上げられることになった。
『アティス』に限っても、2015年にルシンダ・チャイルズがドイツのキール歌劇場で新しい振付を行なっている。

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アティス © Gregory Batardon

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アティス © Gregory Batardon

今回のジュネーブ公演が大きな意義を持っているのは、グラン・テアトルのアヴィエル・カーン総監督が指揮にバロック音楽の俊英レオナルド・ガルシア・アラルコン、舞台の責任者にオペラ演出の経験のない振付家アンジュラン・プレルジョカージュを起用したことにある。
もっともプレルジョカージュは「声のないオペラ」と言っても良いプロコフィエフ作曲の『ロメオとジュリエット』をリヨンオペラのために振付・演出している。作曲家が総譜に託したドラマや人物の心理を読み取って、ダンスによって表現しており、オペラ演出が既に射程に入っていたことは間違いない。
リュリとキノーによる『アティス』をプレルジョカージュは、相愛の男女が自分たち以外の障害のために結ばれないという点で『ロメオとジュリエット』と類似の悲劇と考えている。その一方で、シェークスピア劇ではジュリエットが睡眠薬を飲んで偽りの眠りについていることをロメオに伝える手紙が届かなかったという行き違いが、二人を死へと導くのに対して、アティスとサンガリードはシベール女神の嫉妬によって命を失うという違いがある。

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シベール女神の神殿 シベール女神役のダンサー © Gregory Batardon

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サンガリード(左)、アティス(右)© Gregory Batardon

プレルジョカージュは歌唱、管弦楽、演劇、ダンスと機械仕掛けによる太陽王のためのスペクタクルを、音楽と身体とを振付によって一体化することで、新たな息吹を吹き込もうとした。人物の心理をダンサーが踊りによって歌手の周囲で表現するだけではなく、歌手にも振りを付け、時には歌手がダンサーたちと一緒に踊った。「踊っている身体には秘密と神秘を表せる」という信念に基づいて、身体の動きによってキノーの台本を視覚化しようと試みたのである。「ダンスが音楽と完全に一体になってしまってはダメです。この二つが対話することが肝要です。」そのためには振付家と指揮者の緊密な共同作業が必要だった。
リハーサルの見学を許された「ル・モンド紙」のマリー=オード・ルー記者によると、第3幕初めでアティスが腹心のイダスとニンフ(川や森に棲む乙女の姿をした女神)のドリスに勧められてセレヌス王を裏切る決意を固める場面で、アラルコンは「これではリュリの意図が全くわからない」と言って三度、三人の歌手たちとダンサーたちを止めた。舞台前方に三人を進ませ、まず動かないで歌い、次いで歌わずに振りを行わせてから、最後に歌と動きを合わせた。「旋律線を支えるためにダンスの動きを使って」という指示には歌と踊りを撚り合わせた今回の舞台の本質が要約されていたと言えよう。
なおダンサーの所作には能の要素も取り入れられている。プレルジョカージュは1987年に半年間日本に滞在し、「能ではゆっくりした動きが舞台の空間を存在させている」ことに気づいたという。「空気には厚みがあり、身体の動きに抵抗します。早い動きと遅い動きとを交互に使うことで、空間のテクスチャーが変わります。」『アティス』では場面の雰囲気を変えるのにこの手法が導入されている。
プレルジョカージュは歌劇の冒頭にある本筋とは無縁のプロローグを短縮し、かついくつかのダンスをカットすることで全体を3時間45分(休憩を含む)にまとめた。ドラマを凝縮したこの措置は、間暇を持て余していた王侯貴族ではない現代の観客に対しては適切だったと思う。

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サンガリードとアティス(中央)© Gregory Batardon

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第5幕第3場 サンガリードの死 フリジア王(左)、四人のダンサーに支えられたサンガリード © Gregory Batardon

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第5幕第7場 アティスの変身 © Gregory Batardon

白と黒を基調とし、簡素ながら品の良い装置は女流造形芸術家・彫刻家プリューヌ・ヌーリが考案した。シベール女神を祀った神殿の壁面が開いて女神が登場したり、フィナーレでアティスの遺骸の上に縄でできた大きな松が引き上げられ、主人公が天上に昇っていったりする場面は鮮烈で、観客の目を見張られせた。ジャンヌ・ヴィセリアルが手がけた衣装も趣味が良く、装置とよく合って気品のある舞台を構成した。
きれいなフランス語でアティスの感情をよく歌にしたカウンターテノールのマチュー・ニューリン、ヒロインのサンガリードの純情が溢れたアナ・キンテンス、悲劇を引き起こすシベール女神のジュゼッピーナ・ブリデッリの主役三人だけでなく、シベールの腹心メリス(ロール・ビノン)やドリス(グヴェンドリーヌ・ブロンデール)といった脇役もそろって、身体表現と歌の両面に全身で取り組んだ成果を感じさせた。
こうしてアラルコンとプレルジョカージュの完成度の高い共同作業によって、ルイ14世の元で誕生したオペラが再度、新しい装いで蘇った。本公演は、フランスでは十七世紀から音楽とダンスとは切り離すことができなかったことを改めて明らかにした舞台となった。
(2022年3月1日 ジュネーブ・グラン・テアトル)

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第2幕第2場 シベール女神の神殿 天上からシベール女神が密かに愛しているアティスに会おうと降臨する © Gregory Batardon

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アティス(中央)© Gregory Batardon

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第3幕第4場 アティスの夢 © Gregory Batardon

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第5幕第7場 アティスの変身 © Gregory Batardon

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第5幕第7場 アティスの変身(死) © Gregory Batardon

『アティス』(トラジェディー・リリック)(1676年1月10日 サン・ジェルマン・アン・レ初演)
指揮 レオナルド・ガルシア・アラルコン
演出・振付 アンジュラン・プレルジョカージュ
装置 プリューヌ・ヌーリ
衣装 ジャンヌ・ヴィセリアル
照明 エリック・ソワイエ
合唱指揮 アラン・ウッドブリッジ
配役
アティス マチュー・ニューリン
シベール女神 ジュゼッピーナ・ブリデッリ
サンガリード アナ・キンテンス
セレヌス 時 アンドレアス・ヴォルフ
イダス フォベトール 不吉な夢 ミカエル・モフィディアン
ドリス イリス フロール 泉の神2 グヴェンドリーヌ・ブロンデール
メリス 泉の神1 ロール・ビノン
眠り ニコラス・スコット
モルフェ 川の神 ヴァレリオ・コンタルド
河神サンガール ルイジ・デ・ドナート
ファンターゼ ジョゼ・ポゼス
グラン・テアトル バレエ団
グラン・テアトル合唱団
カペラ・メディテラネ管弦楽団

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